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2020.03.04

幸せな恋が一転悲劇へ。義経に愛された静御前のその後が寂しすぎる…

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大河ドラマにもしばしば登場する源義経。能や歌舞伎・浄瑠璃・講談・文学作品をはじめ、現在でも漫画やゲームなどで人気を誇っている、平安時代末期の武将です。弱い立場の人に同情して応援する「判官(はんがん)びいき」という言葉のもとになるなど、歴史の敗者側でありながら、常に絶大な支持を受けています。

その義経に愛された女性が静御前(しずかごぜん)です。『ドラえもん』のヒロイン・しずかちゃんも、この静御前から名前がつけられたようなのですが……。静御前って、どんな人だったのでしょう?

静御前とは?

静御前は、平安時代後期から鎌倉時代初期に生きた女性です。白拍子(しらびょうし)という、頭に烏帽子(えぼし)をかぶって水干(すいかん)という装束を着、太刀を腰につけた男装姿で舞うことを生業としていました。白拍子舞をはじめたと言われる女性の1人、磯禅師(いそのぜんじ)は静御前の母親です。

義経と出会った経緯は不明ですが、静御前は義経に非常に愛されました。また、とても頭のいい人で、義経が京都で兄・頼朝の刺客に襲われたときに難を逃れたのも、静御前のとっさの機転によるものだったとされます。

義経と吉野で別れた、その後

文治1(1185)年、兄である源頼朝と不仲になっていた義経は、京都を離れます。その時にも義経の側には静御前がいました。

しかし翌年、雪の降る大和国(現在の奈良県)吉野山の山中で、静御前は義経と別れます。義経に身の安全を配慮されたためでしたが、ここで静御前は捕まり、母・磯禅師とともに鎌倉へ送られます。

「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
頼朝とその妻・北条政子に命じられて、鶴岡八幡宮の社前で静御前が舞ったときの歌です。どちらも義経を恋い慕う内容で、頼朝を激怒させましたが、政子が「自分も同じ立場ならこうする」と取りなして、命を助けられました。

義経の子を産むも……

静御前は義経の子を宿していて、文治2(1186)年・閏(うるう)7月29日に出産します。生まれた子供が女の子なら救うが、男の子なら将来の禍根を残さないために殺す、と告げられていたのですが、生まれてきたのは男の子でした。大泣きして離さない静御前の腕から磯禅師に取り上げられ、頼朝の家来の手に渡った義経の子は、鎌倉の由比ヶ浜に沈められました。

その1カ月半ほど後、静御前は母とともに京へ帰されます。頼朝の妻・政子母娘が静御前を憐れみ、たくさんの宝物を持たせたといいますが、その後の静御前がどうなったのか、いつ頃まで生きたのか、記録は何も残っていません。

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