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2020.04.01

商店街が丸ごとホテル? 街に活気を呼び戻す「商店街HOTEL 講 大津百町」のユニークな戦略

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割烹着につっかけサンダル、買い物かごを手に提げて……「今日の夕飯、何にしようかしら?」

昭和の時代、食料品や日用品の買い物の場は商店街が当たり前だった。青果店、精肉店、衣料品店に電気店まで、あらゆる個人商店が連なるエリアは地域に密着した商業空間。海外では日用品を扱う小さな店舗は露天市場や屋台街に並ぶところが多いので、日本のような面構えのしっかりした店舗が連なる景色は珍しいらしい。で、「商店街ホテル」だ。この日常ど真ん中の場所がホテルってどーいうこと!?

商店街の数が増えたのは戦後の復興期から高度成長期にかけて。街道沿いなど人通りの多い場所に自然発生的に生まれて、地域の祭りやイベントを支える「街の顔」としての役割も担ってきた。スーパーマーケットができ、郊外に大型ショッピングセンターが建つようになって人々の足は商店街から遠のき、あちこちで店が閉まったシャッター街化が問題になっているのは周知のとおり。ここで取り上げる滋賀県大津市でも状況は変わらない。そんな場所に2018年、これまでにないアプローチで街の活性化を仕掛けるホテルが誕生。それが「商店街HOTEL 講 大津百町」だ。

東海道五十三次最大の宿場町、大津。商店街の再生を目論む新感覚ホテル

2019年来、滋賀県は朝ドラや大河ドラマの舞台として、なにかと話題が多い。大津はその県庁所在地。三井寺や石山寺といった名刹があり、比叡山延暦寺の表玄関も大津だ。1571年にこの地に築かれた、明智光秀が城主の坂本城はいまは湖に沈む幻の城。仏像好き、国宝好きにとってたまらないロケーションは、京都からJR快速でわずか2駅9分。けれど、観光で訪れても、宿泊は京都を選ぶ人がほとんどだったろう。

歴史を振り返ると、東海道五十三次最大の宿場町、大津宿には多くの人と物資が往来し、「大津百町」と呼ばれるほどに賑わった。豊臣秀吉が坂本城を廃城としたのちに大津城が築かれ、現在の市街地を形成。江戸時代に城下町から商業都市へと変わって、幕府の天領として発展した。しかし今、その面影はなく、中心部に約1500棟の町家が残るものの数は年々減っている。築100年を超える住宅の多くが取り壊しの危機に直面。同エリアに位置する丸屋町、菱屋町、長等の3商店街からなる通称「ナカマチ商店街」も、シャッター化が進んでいたのだ。

日本一大きな湖、琵琶湖はマザーレイクとして滋賀県民に愛される存在。大津は琵琶湖の南側にある

商店街では活気を取り戻すために新店舗を誘致したり、イベントを開催したりといくつかの取り組みを行ってきてはいた。そこに新たな一石を投じたのが滋賀県竜王町の株式会社木の家専門店谷口工務店、代表の谷口弘和さん。はじめは大津支店を構えるために、自社の技を生かした町家再生を考えていたらしいが、株式会社自遊人(※)の岩佐十良(いわさ とおる)さんへの相談をきっかけに町家再生、商店街活性化のホテル計画へと舵を切る。

※雑誌「自遊人」を発行し、新潟県南魚沼「里山十帖」、神奈川県「箱根本箱」などの体験型宿泊施設も運営

商店街全体をホテルに「見立て」る。出発点にあるのは日本古来の創造力

昔ながらの町家を再生してホテルに転用した宿は、この10年ほどの間に全国各地に誕生している。それらは一棟、あるいは複数の棟が街なかに点在している場合でも、建物自体で完結しているものがほとんど。対して、「商店街HOTEL 講 大津百町」はホテルをその建物だけで捉えてはいない。「商店街HOTEL…」とは言い得て妙で、商店街全体を丸ごとホテルに「見立て」たことに由来する。

見立てとは、「物をそのものとしてではなく、別の物として見ること」で、日本で古くから実践されてきた物の見方、捉え方だ。もともとは和歌などにおける技法だが、例えば枯山水の庭では敷き詰められた砂で海を表し、砂に描いた文様で荒波やさざ波を表す。これも「見立て」。日本の文化は、思いもよらない発想で新しい価値を創造してきた。

商店街をひとつのホテルとして見立てた「講 大津百町」では、リノベーションした個々の町家は客室の一室で、商店街にある飲食店や喫茶店はホテルのレストランやカフェ。地酒をそろえる酒屋さんに、江戸時代創業の漬物店、琵琶湖の恵みである鮒ずし専門店など多彩な商店は、みやげものショップにあたる。だから、ゲストは食事をするにも、物を買うにも、必然的に街に出て店舗を利用することになる。結果、商店街にお金が落ちる仕組みだ。

ホテル名に入る「講」というのも信頼関係を基盤とした相互扶助システムのこと。困った時に互いに手を差し伸べる、日本的な支え合いの精神もその核にある。

レセプションがある近江屋は旧東海道に面している。ここには部屋貸しタイプのスーペリアツインが3室。ゲストが利用できるラウンジも 写真提供=商店街HOTEL 講 大津百町

3商店街からなるナカマチ商店街は旧東海道と並行して走る中町通りにある。「丸屋」(左写真の黒壁の建物)は5棟ある1棟貸しのなかで一番広い 右の写真提供=商店街HOTEL 講 大津百町

「講 大津百町」の建物自体は全部で7棟あって、ナカマチ商店街を中心に点在。もとの町家の特徴を活かしながら現代的にアレンジした建物の設計は、建築家の竹原義二さんが手掛けた。施工に谷口工務店の手わざが活きる。一般に築年数の長い建物のリノベーションは取り壊して建て替える以上の手間とコストがかかるが、それを厭わず、素材、技術を含めて本物にこだわっている。だから、空間に身を置いたときに感じる安らぎは他ではなかなか得られないと思う。

1棟貸しの「糀屋」はかつて花街として栄えたエリアに。建物はすべて断熱や防音など機能性を高め、インテリアには現代の暮らしに合うよう北欧家具をセレクト。和洋のミックスが不思議と心地いい 写真提供=商店街HOTEL 講 大津百町

「講から来た」は通行手形。旅はコミュニケーションと考える人のベストホテル

名所を見て回ったり、温泉で疲れをいやしたり。旅の目的は人それぞれだが、土地の文化を知り、地域の人との交流を旅の醍醐味と考える人にとって、「商店街HOTEL 講 大津百町」はベストな選択になるはず。

ホテルではコンシェルジュが案内する宿泊ゲスト向けの商店街ツアーを開催していて、チェックイン後の夕方1時間程度、商店街を散策し、主なスポットをガイドしてくれる。ナカマチ商店街には江戸時代創業の店もあれば、新しいショップもあって飽きることがない。特に印象に残った2店を紹介しよう。

一つ目は、漬物専門店の「八百與(やおよ)」。ケヤキの一枚板の看板がかかる店舗は町の歴史そのもの。看板には宮内庁御用達の文字も。「京都を含めても、漬物店で御用達を務めていたのはうちだけだよ」と6代目店主の小倉与七郎さんは誇らしげに教えてくれ、店内にはゆかりの品々も置かれている(訪れたときのお楽しみのため、ヒミツ)。創業嘉永3(1850)年という老舗の自慢が「ながら漬」で、近江かぶらを酒粕で漬け込んだ漬物こそが献上の品だ。

左)「八百與」の小倉与七郎さん 右)創業当初から伝わる看板は縦90㎝×横220㎝。大津市景観重要広告物の第1号

もう一つは「茶菓 山川」。こちらは2017年開業の新しいお店。和菓子職人の山川誠さんが菓子をつくりながら一人で切り盛りし、自ら大納言小豆を琵琶湖西岸の高島町で育てている。だから農作業に従事する月曜から水曜はお休み。おすすめの「生どら」はたっぷり小豆抹茶クリームの中にわらびもち、というサプライズが。

いずれの店舗も「講から来ました!」と言うと、ウェルカムで迎えてくれる。いわば、挨拶は通行手形のようなもの。ホテルでは町家を活用した新しい試みができ、ゲストははじめての土地にすんなりと受け入れてもらえて、商店街にはにぎわいが戻る。近江商人の「三方よし」さえ成り立たせているホテルだ。

右)茶菓 山川の「生どら」。優しい甘さでビッグサイズもペロリといける。500円 右)「おいしく食べてもらいたいから、素材からすべてをつくることは長年の夢でした」と話す山川誠さん

「講 大津百町」で提供される朝食(要予約)は商店街とコラボ。メインは「うなぎ茶漬け」で川魚専門店「タニムメ水産」特製。お茶漬け用のお茶は「中川誠盛堂茶舗」の番茶。「八百與」のながら漬も登場

商店街HOTEL 講 大津百町 基本情報

ホテル名:商店街HOTEL 講 大津百町(しょうてんがいほてる こう おおつひゃくちょう)
住所:滋賀県大津市中央 1-2-6
公式webサイト:http://hotel-koo.com/

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日本美術や伝統芸能(特に沖縄の歌や祭り)、建築、デザイン、ライフスタイルホテルからブラック・ミュージックまで!? クロス・ジャンルで世の中を楽しむ取材を続ける。相棒は、オリンパスOM-D E-M5 Mark III。独学で三線を練習するも、道はケワシイ。島唄の名人と言われた、神=登川誠仁師と生前、お目にかかれたことが心の支え。