現在、新型コロナウィルスの影響で急速に進んでいるリモートワーク。このまま進めば、家庭内家事分担が大きく変わりそうな勢いである。まだまだ家事、特に食事担当は女性への比重が多いのが現状だが、この災いによって、これらが転換できるチャンスとなるかもしれない。
その大きな要因となるのが「包丁」だ。男性が家事仕事にのめり込むための一つのきっかけとなるのがこだわりの道具! それも男心、オタク心をくすぐりやすいのが「包丁」、もとい「刀剣」だ! 武士の末裔の血が騒ぐという人でなくても、刃物にはなぜか惹きつけられる人が多い。
女性にとっては、そこまでこだわりのない日常生活での「包丁」だが、男性にとっては「お宝」になりえてしまう。ならばこれが家庭円満の秘訣に一役買うかもしれない。そんな幻想を抱いて、刃物の町、関市を訪ねてみた。
日本でのシェア50パーセント以上を誇る刃物の町
岐阜県関市は、刃物産業が有名で、現在でも国内シェアは50パーセント以上とトップを誇る。近年、高品質市場を狙った関の刃物が、世界から注目を集めている。中でも、料理界のトップシェフといわれる人々が、関の包丁の品質の良さを絶賛しているのだ。
という、にわか知識を叩き込んで、いざ、関市へ!
息巻いて乗り込んだのだが、単線電車の長良川鉄道「刃物会館前」駅を降りるや、驚きの光景が広がる。「改札がない」「駅員さんがいない」「ホームちっちゃ!」「この切符、どうする?」と頭が混乱。ここが世界に名を轟かせる刃物の産地なのか。刃物で儲かっているんだから、ドドーンと刃物のオブジェとか、「世界に刃物で羽ばたく関市」の垂れ幕とか、何かないのか。アピールしなさすぎ? いや、この奥ゆかしさこそ、関市のすごさなのか。という動揺を抑えつつ、そもそもなぜ、関の刃物がこれほどまで有名になったのか。その歴史をまずは、紐といてみることにする。
関の刃物のルーツは、はるか鎌倉時代にまで遡る
美濃国(現在の岐阜県)に移り住んだ「元重」と「金重」という刀鍛冶が、「五箇伝」と呼ばれる鍛錬法の一つ「美濃伝」を作り上げたとされる。平安時代後期から武家社会が確立されていく中で、日本刀の需要が急成長した時代だ。各地で日本刀の職人、「刀鍛冶」がもてはやされ、中でもその技術の高さから後世に伝えられたのが「大和伝(奈良県)」「山城伝(京都)」「備前伝(岡山)」「相州伝(神奈川)」そして「美濃伝(岐阜)」だ。この「美濃伝」が発展した理由には、良質な土、炉に使う松炭、長良川をはじめとする豊富な水量といった刀作りの条件がそろっていたことが一つにある。室町時代以降、300人を超える刀鍛冶が美濃に誕生し、全国一の数を誇り、技術も切磋琢磨され、関の刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」と評判になった。
さらに、現在放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀をはじめ、織田信長、徳川家康といった有名武将たちが好んで美濃伝を使い、全国にその名を轟かせることになったという。この鍛冶の歴史については、「関鍛冶伝承館」で詳しく知ることができる。毎月1日には、日本刀鍛錬の実演が行われている。この古式ゆかしい伝統行事が、毎月行われているところも、関の刃物ののすごさを裏付けているようだ。
時代に翻弄され、世界情勢に巻き込まれた関の刃物
繁栄を極めた美濃の日本刀だが、江戸時代に入って泰平の世となり、刀剣の需要は激減していく。その中で、小刀や剃刀(かみそり)、包丁といった家庭用刃物へと転向し、鍛冶屋となる者が増えていった。さらに、明治に入り、「廃刀令」によって、帯刀(たいとう)が禁止され、多くの刀鍛冶が転向を余儀なくされたのだ。このように、関の刃物は江戸から明治、そして昭和と、社会の情勢に巻き込まれ、翻弄されながら成長を続けていったといえる。明治時代にはポケットナイフの国内生産を開始。「折れず、曲がらず、よく切れる」といった関の刀鍛冶の技術を受け継いだ職人たちが、ピンチをチャンスに!と奮起し、やがて技術の高さが注目を集めて輸出業へと展開していく。しかし、昭和に入ると、アメリカ、イギリスによる中国援助政策による日本製品の締め出しなどがあり、再び関の刃物は打撃を受けた。そして、第二次世界大戦時には、軍需産業の下請工場へと転換を余儀なくされるのだ。しかし、ここでも、軍需産業の急成長で全国に粗悪な刀が出回る中、関市はいち早く、品質保証を掲げ、関刃物工業組合で検査を行い、専門分野の育成、分業制の確立を経て、全国90パーセントのシェアを占めるようになる。
このどんな状況にも、「心折れず、信念曲げず、時代を切る」精神で突き進んできたのが関の刃物だといえる。まさに武士が惚れこんだ名刀を作り続けたDNAが受け継がれているのだ。関市を降りた時のあの静けさは、「鍛錬」という刀づくりでもっとも大切な精神性が脈々と流れていたからなのだ!(私、自慢じゃないですが、めちゃくちゃ、洗脳、感化されやすい人間です)
関市の刃物を世界に轟かせたスミカマ本社を訪ねる
本来の目的であった包丁探しへと、時を戻そう。大正5年に創業し、いち早く海外市場に向け、ポケットナイフの輸出からスタートした株式会社スミカマを訪ねた。
関の刃物メーカーは現在約100社あり、その製造工程は、職人による分業体制となっている。日本刀が、刀匠、研師、柄巻師、塗師など分業となっていたのと似ているが、それぞれの工賃が安いこともあり、最近では職人を抱え、自社工場で一貫生産するところも増えている。大量生産を可能にした金型プレスを関で初めて導入し、それを職人たちの手によって研磨し、刃を合わせ、柄をつけ、刃物を作り上げていく製造方法を行った株式会社スミカマ。その繊細かつ、高度な職人の技術から、アラン・デュカスなどの人気シェフにも愛用されている。ナイフ市場と言えばドイツが有名だが、株式会社スミカマは、ダマスカス鋼ステンレスで作ったフルラインナップの包丁を初めて世界市場で販売し、ドイツ・フランクフルトで行われる「メッセ・アビエンテ」においても、2度のデザイン賞を受賞した老舗メーカーだ。まるで刃物を作るためつけたような苗字を持つ炭竈勝美社長と炭竈太郎取締役に、男性を鍛冶ではなく、家事にどっぷりとはまらせる包丁について単刀直入に伺ってみた。
シャープなデザインと美しい模様が男のロマンを駆り立てる
炭竈:近年ブームとなっているのはこのダマスカス模様の包丁です。波模様のように見えますが、これは何枚もの刃を重ね合わせた積層構造で、ミルフィーユ状に重なった刃を研いで作ります。芯材となる薄い鋼材に片刃に16層、両刃なので32層、1層は2枚合わせでできているので、枚数でいえば64枚を重ね合わせていきます。それを研磨する中で年輪のような模様が浮かび上がってくる。この技術を家庭用包丁に取り入れました。
もともとダマスカス鋼は、古代インドで開発された模様を特徴とする鋼で、この素材を使った刀剣をシリアのダマスカスで製造していたことに由来している。この美しい刃型模様が、厚みと重みのある洋包丁と違い、より繊細な薄さを誇る日本の包丁と相まって、日本文化の象徴のような美しい包丁として人気を呼んでいるのだ。
炭竃:ちょうど20年前ぐらいから、世界で日本料理や日本食がブームになり、日本文化が浸透してきた時期でした。それでロゴも漢字を使い、柄の部分にも和包丁のイメージを保ち、デザインにこだわったことで、海外市場で人気に火が付きました。
それまでは安かろう悪かろうのイメージが強かった日本の刃物だが、高品質で切れ味も優れたデザイン性のある刃物ブランドへと認識が変わっていったという。今では関自体が刃物ブランドとしての海外での地位を高めている。材質と職人の技術の高さから、なんとナイフ市場最高峰に輝くツヴェリングの工場が関市に置かれているほどだ。もはや、関市の包丁を持たずして、刃物を語るべからず、と言えるほどだ。
炭竈:フランスのリヨンで開かれた料理コンクール「ポギューズ・ドール」で優勝したシェフが弊社の包丁「霞 KASUMI」を使ってくれていました。日本の包丁はいろんな材質のものがあり、変化に富んでいると興味を持たれているんです。最近では昔ながらの製法で作る鋼の打ち包丁も人気があります。手入れが難しく、すぐに錆びてしまうような和包丁にも注目が集まったり、日本の砥石が売れるようになっていたりと、刃物市場も変わってきています。
関市では、「刃物会館」をリニューアルし、市の財産である「関鍛冶伝承館」や近くにある「フェザーミュージアム」と共に刃物の町をアピールしていく予定もあるとか。静かすぎたあの駅前も、世界に開かれていくことになるのだ。関の刃物メーカーの工場では、ショールームを併設しているところもあり、一般の人々でも事前に予約などをすれば、見学が可能となっているところもある。
これだけ世界から注目を集める関の包丁。美しくきらめく包丁を掲げ、男子たるもの、料理の一つや二つ、手掛けられなければ、男が廃る。そして世の女性たちは、パートナーが高い包丁を欲しがったら、家事分担の向上に一役買ってくれると信じ、その贅沢な趣味をほめたたえようではないか!
関鍛冶伝承館
住所 岐阜県関市南春日町9-1
電話 0575-23-3825
開館時間 9時~16時
休館日 火曜日
入館料 大人300円/高校生200 円/小中学生100円
鍛錬見学 1月、10月を除く毎月第一日曜日
株式会社スミカマ
住所 岐阜県関市肥田瀬383-1
株式会社スミカマ公式サイト