Culture
2020.05.15

アメリカ人画家が見た日本の母親。ヘレン・ハイドはなぜ浮世絵師になったのか

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明治から大正にかけて、日本の風俗を描いた木版画家ヘレン・ハイド(1868-1919年) 。
彼女もまた、多くの西洋人を心酔させた日本ブーム(ジャポニスム)の最中、東洋へと思いを馳せた一人でした。

浮世絵の手法を用いて描かれた彼女の作品はどれも、一度目にすると忘れがたい魅力があります。

アメリカから日本に渡り、異人でありながら浮世絵師として活躍した彼女には、日本がどのように映っていたのでしょうか。

アメリカ人女性版画家ヘレン・ハイド

ヘレン・ハイドは1868年に3人姉妹の長女としてアメリカに生まれました。12歳のとき、父親の勧めで素描を習いはじめ、18歳になるとサンフランシスコの美術学校へ進学し、卒業後は油絵を学びます。

アートを学ぶのに恵まれた家庭で育ったヘレンを日本へと駆り立てたのは、フランス滞在時、フェリックス・レガメー(1844-1907年)との出会いがきっかけでした。

フェリックス・レガメーはエミール・ギメ(1836-1918年)の日本滞在記で挿絵を描いた画家です。ヘレンはパリでフェリックス・レガメーに師事しています。
この時期、浮世絵や日本の美術品を通して、アメリカの美術界では「芸術的でエキゾチック」な日本のイメージが大衆化され、彼女もジャポニズムジャポニスムの波に巻きこまれていきます。
ギメに同行して日本へ赴いたレガメーの話を耳にしたヘレンは、おとぎの国、日本へ自分も行けたらと、夢を膨らませたのかもしれません。

憧れの日本滞在

パリからサンフランシスコへ戻ったヘレンは、エッチング制作をはじめます。そして1899(明治32)年、31歳のときにアーティストとして独り立ちする夢を叶えるために、来日。
当初は1年か2年ほど日本でアートを学ぶ予定でしたが、結局、彼女は1914(大正3)年まで日本に滞在することになります。

ヘレンは、赤坂の日本家屋に住み、女中と車夫を雇いました。
室内に、大きな火鉢、漆や竹の家具を置いたり、生け花を飾ったり。畳のうえには絨毯を敷き、心地よく暮らすためにテーブルやイスを用意しました。自分でデザインした家具を日本の職人にあつらえてもらうこともあったそうです。

こうした生活の様子をみると、ヘレンが慣れない異国の地での暮らしを楽しもうと工夫をこらしていたことが分かってきます。

女性と子どもをモチーフにした木版画

ヘレンは狩野派の日本画家、狩野友信(1843-1912年)に日本画を学び、やがて木版画へと移行します。日本の浮世絵の仕組みを取り入れ、彼女は意欲的に制作に励みました。
そうして生みだされた作品の多くは、日本の子どもや女性をモチーフにしています。彼女は、日本人の母親と会話し、日常生活に溶けこみ、おなじ時間を過ごしながら、人びとの暮らしを描きました。

室内で体を洗ってもらう赤子や、戸外で母親に遊んでもらっている子ども、働いている女性。子どもたちの遊ぶ姿はヘレンが好んで描いたモチーフです。

The Bath, 1905, Helen Hyde (The Art Institute of Chicago)

The White Peacock, 1914, Helen Hyde (The Art Institute of Chicago)

Mother and Child, 1901, Helen Hyde (The Art Institute of Chicago)

An April Evening, 1910, Helen Hyde (The Art Institute of Chicago)

アメリカで人気を博したヘレンの版画

彼女の作品は、特に、当時日本に滞在していた外国人たちのあいだで人気だったようです。
やがて日本を去る人たちにとって、彼女の作品は、ぜひ思い出として国に持ち帰りたい、かっこうのお土産になったことでしょう。
購入しやすく、持ち運びしやすい木版画であることも人気の理由でした。

遠い異国の地を描いたヘレンの作品は日本を飛び出し、アメリカで人気を博します。さらに、ロンドン、ボストン、シカゴの画商たちを通じて国際的にも認められるようになっていくのです。

おりしも時代は、児童文学の隆盛期。
家を守り、子どもを育てるという母親の重要性が強調された19世紀から20世紀初頭にかけて、日本でも「母と子」は大衆に好まれたモチーフでした。

アメリカ人が夢見る、日本が描かれていること。ジャポニスムへの興味。そして、流行の母と子のモチーフ。いくつもの理由が重なり、ヘレンの作品は共感を呼んだようです。

日本にもある、母と子モチーフの浮世絵

日本にも、喜多川歌麿(1753?-1806年)に代表されるように、母親と子どもの仲睦まじい姿を描いた浮世絵がいくつもあります。

Goldfish, from the series “Elegant Comparison of Little Treasures (Furyu kodakara awase), Kitagawa Utamaro (The Art Institute of Chicago)

ヘレンの絵を日本の浮世絵とくらべてみると、その違いのおもしろさに気づくかもしれません。

西洋の背景をもつヘレンは、女性や子どもたちの顔をよりくっきりと描いています。まるで児童書の挿絵に登場するような佇まいです。背景には花や植物を配し、淡くて鮮やかな色使いは、質素であたたかな、こざっぱりとした日本の暮らしを連想させるかもしれません。

さいごに

アメリカのジャポニスムの担い手として多くの木版画やエッチングを残したヘレン・ハイド。
14年もの間、日本で暮らしてきた彼女は46歳のときに、日本を去る決意をします。

健康上の問題もありますが、彼女が帰国を決めた理由はほかにもありました。
近代化が進み、子どもたちが着物を脱ぎ、母と子の関係が変化していくなど、絵にしたい日本の風景が失われはじめていると感じたようです。

外国人のヘレンが見つめていた日本の風景、とりわけ親子の姿は、じっとみつめているうちに、母と子の親密な空気が伝わってきます。心のなかに大切に閉まっておきたくなる、そんな気がしませんか。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。