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2020.12.29

今、近江八幡の建築巡りが熱い!伊庭貞剛が発注したヴォーリズの初期建築「旧伊庭家住宅」へ

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滋賀県近江八幡市には、1905(明治38)年に来日したアメリカ人事業家・建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計建築が25件現存しています。ヴォーリズは日本に1600以上の建物を遺しており、その代表作といえば「山の上ホテル」や「大丸心斎橋店本店」など、モダンなデザインでありながら細やかな気遣いあふれる設計が特徴です。没後50年以上経った現在でも根強いファンが多く、これらを巡るために近江八幡へ訪れる建築ファンも多いんだとか。

今回訪れたのは、ヴォーリズ建築が多く集まる近江八幡の市街地から車で東へ15分ほどのところにある安土町。ここに、知られざるヴォーリズの名建築がありました。

アニメやドラマの舞台にもなった旧伊庭家住宅

ヴォーリズの貴重な初期の建築のひとつ、旧伊庭家住宅(きゅういばけじゅうたく)。約107年前に竣工した建物です。最近では、京都アニメーション制作の『中二病でも恋がしたい!』のヒロインの両親の邸宅のモデルや、堀北真希さん主演のテレビ朝日系戦後70年ドラマスペシャル『妻と飛んだ特攻兵』の撮影に使われるなど、多くの映像作品のモデルやロケ地となっています。

アニメに登場した建物を一目見ようと、台湾から観光バスで団体客が訪れたこともあるんだとか

1913(大正2)年、ヴォーリズの設計によって建てられたこの木造住宅は、英国の伝統的な様式を一部に伝えるスレート葺洋風建築の主体部と入母屋造瓦葺き(いりもやづくりかわらぶき)の和風玄関で構成されています。主体部の外観は、北方ヨーロッパの木造建築技法「ハーフティンバー」と呼ばれる化粧梁(けしょうはり:アクセントとして使われる梁)で細分化された外壁が特徴です。

ハーフティンバーを用いた外壁に傾斜の強い屋根。イングランドの15世紀頃〜17世紀初頭までの建築様式であるチューダー調が用いられた、大正時代では珍しい外観

建設当初は建物全体が洋風のデザインでしたが、昭和の初期に1階の大部分が和風の装いに変更されました。入母屋造瓦葺きの和風玄関を新たに取り付け、座敷広縁(ざしきひろえん)やサンルーム風の部屋も設置。和風改造後の室内デザインも、既存の洋風部分との調和に優れているため、非常に価値が高いとされています。

昭和の初期の改装で設置された入母屋造瓦葺きの玄関。元々の玄関は庭に面した主要部の中央にあった

発注主は第二代住友総理事、伊庭貞剛

この邸宅の発注主は、明治時代の近江国(現在の滋賀県)出身の実業家、第二代住友総理事・伊庭貞剛(いばていごう)。別子(べつし)銅山煙害問題の解決に心血を注ぎ、後世に名を遺しています。数々の功績をあげるも「事業の進歩発展を最も害するのは青年の過失ではなく、老人の跋扈(ばっこ)である」という信念から、わずか58歳で引退。石山(滋賀県大津市)の別荘で余生を送ったといわれている人物です。

そんな貞剛が、息子、伊庭慎吉(しんきち)夫婦のためにヴォーリズに設計を依頼したのが、現在の旧伊庭家住宅。ヴォーリズに設計を依頼した経緯は、はっきりとわかっていません。しかし、自動車を滋賀県下で最初に購入するなど貞剛には新しいもの好きな一面があったようで、近江八幡を拠点に活動する若きアメリカ人建築家のヴォーリズに興味を抱いたのではないか? といわれています。

貞剛の四男である慎吉は、学生時代に美術を学ぶためにフランスへ留学。帰国後は八幡商業学校(現:滋賀県立八幡商業学校)の美術教師として勤務しました。もしかすると、このときに英語教師として赴任していたヴォーリズと面識をもっていたかもしれません。

慎吉は、結婚後の1913(大正2)年に、近江八幡市安土町常楽寺の沙沙貴神社(ささきじんじゃ)の宮司に就くことになりました。このことを受けて、父・貞剛が息子夫婦のために、神社に程近い場所に建てたのが現在の旧伊庭家住宅だったのです。その後、慎吉は昭和の初期に2度にわたって安土村長に就任。国鉄安土駅の新設誘致など、地域の発展に尽力したそうです。

安土町の指定文化財建造物第1号に

夫婦は30年余り、邸宅で生活を送りますが、アジア・太平洋戦争の後、諸事情により手放します。昭和の後期になると建物の老朽化が激しく、取り壊しも検討されました。しかし、ヴォーリズの初期作品として文化的価値が高いことが認められ、1979(昭和54)年に安土町の指定文化財建造物第1号に指定、邸宅は修復保存されるようになりました(現在は近江八幡市と安土町の合併で市の指定文化財として保存されています)。

2013(平成25)年から旧伊庭家住宅はボランティア団体の運営により一般公開されている

旧伊庭家住宅の見どころはここ!

さて、いよいよ建物の内部を見学してみましょう。まずは建物の1階からご案内します。

1階の大部分は和風のしつらえで、小丸太や竹、ナグリなど数寄屋造りで使われる木材が積極的に使用されています。

座敷広縁の天井は網代(あじろ)。洋風の外観からは想像もつかない内装だ

玄関から入ってすぐの「ジャパニーズルーム」と呼ばれる座敷部屋は、明治の日本画家高倉観崖(かんがい)の春の絵が描かれた襖で仕切られていて、その奥はゲストルームになっています。慎吉と親交のあった多くの文人や芸術家たちが集った場所とされており、広々としています。

次は1階中央にある小部屋へと進みましょう。

障子で仕切られているのは、女中部屋。後年は慎吉夫婦の部屋として使われていた畳の間で、書院造り風のしつらえです。天井は船底天井(天井の両脇よりも中央が高くなった構造)、書院造り風の棚と階段下を利用したクローゼットが設置されています。

また、この部屋の障子の格子はあえて均等ではなく、窓が下方に付けられているのも特徴です。これは、座敷に座ったとき、窓の外の風景を切り取って額縁に飾った絵画のように楽しめるように、というヴォーリズの配慮によるもの。小さな部分にも、気遣いが溢れています。

女中部屋の奥にある洋風の部屋が、食堂(リビング)です。ここに置かれたテーブルや椅子は、100年以上前から使われているもの。

中央奥に位置する暖炉も、同じく100年以上前から使われているものだそう。床面には、色とりどりのタイルが敷き詰められています。

これらのタイルは現在では手に入らないものばかり

食堂に併設されたサンルーム風の部屋は、光と風をたっぷりと取り込む設計で、食堂側にも光がたくさん入るよう工夫されています。

ふたつの部屋を隔てるドアの上、光がたくさん入るよう窓の木枠の下の部分があえて切られている

リビングを出てすぐ、2階への階段がある場所は、元々の玄関があったホール部分。階段は緩やかな傾斜と手に優しい幅が広めの手すり、丸みのある角で、いかにもヴォーリズらしい使う人にやさしい設計です。

2階へ上ってみましょう。

1階の多くが和風の内装であるのに対し、2階は天井が高くて圧迫感のない、洋風の設計となっています。壁紙や床板、じゅうたんなどは洋風のデザインですが、建具や天井は和風のしつらえで、調和がとれているのもヴォーリズならでは。

洋風と和風のバランスという点で、特に注目したいのが、洋室のアトリエに続くこちらの板戸。

画材の出し入れがスムーズにできるようにする、ヴォーリズの配慮が感じられる

もともとはお寺などにあったと思われる複数の板戸の1枚を、ヴォーリズはアトリエの扉へと大胆にアレンジしています。

屋久杉の一枚板に滝やソテツ。江戸時代中期〜後期に描かれたものといわれる

飾り金具も精巧。現代では再現できない技術かも?

この板戸を開けたところにある広々とした部屋が慎吉のアトリエです。この部屋は、慎吉の画家の友人たちのアトリエになることもあったんだとか。

旧伊庭家住宅では、これらの部屋の他にも、屋根裏部屋や屋上、手洗いや庭など隅々まで見学することができます。慎吉たちの生活を想像しながら、じっくりと部屋を見てまわるのがおすすめです。近江八幡で建築巡りをするなら、ぜひ旧伊庭家住宅も訪れてみてください。

旧伊庭家住宅

住所:近江八幡市安土町小中191
関連サイト:https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/9766