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2021.01.06

吉原・花魁道中はまるでランウェイ?竜の模様も着こなす、ビジュアル最強の遊女10選

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いつの時代も、有名人のファッションは注目を集めます。
最近は、インスタグラムなどのSNSで気軽に情報発信ができるので、私服コーデを発信していた方の着こなしが話題になり、フォロワーが増え、ファッションリーダーとなることもあるようです。

江戸時代のファッションリーダーと言えば、錦絵にもその姿が多数描かれた歌舞伎役者と遊女たち。評判の町娘たちも錦絵に描かれていますが、町娘とは違う豪華で派手な花魁ファッションは、一般の女性たちにとっては非現実的な装いであると同時に、憧れでもありました。中には、現代の少女たちがアイドルのファッションを真似するように、錦絵に描かれた遊女のファッションを真似する娘たちもいたようで、親たちが嘆くこともあったとか。

和樂webの記事に使う画像を探すため、インターネット上の「国立国会図書館デジタルコレクション」などを見ていると、「今回の記事では使えないけれど、他の記事で使いたい!」と思う錦絵に出会うことが少なくありません。そんな時は、忘れないように、メモしてストックしていますが、この記事では、「こんな着物の模様、ありなの?」と思った、ちょっと奇抜な模様(?)の衣装を着こなす花魁の錦絵をピックアップして紹介します。

「花魁」と「太夫」の違いとは?

京・大坂・江戸の三都の遊郭で、最高位の遊女は「太夫(たゆう)」と呼ばれていました。
江戸時代初期の太夫は、関ヶ原の合戦で徳川家康が率いる東軍に負けた武将の子女だったとも言われています。このため、美しいばかりではなく、舞や音曲(おんぎょく)などの芸事のほか、和歌や歴史などの教養を身につけた者が太夫を務めました。どのような高貴な身分の人とも対等に応接できるよう、華道、茶道、香道、碁や将棋なども学び、学問や技芸に優れた太夫を輩出しました。
しかし、次第に太夫を務めることができる者が少なくなっていき、宝暦年間(1751~1764年)に一度姿を消してしまいます。これは、遊客の主流が、より手軽に遊ぶことを望む町人層に移ったためとも言われています。

当初、日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東側に開設された吉原遊郭は、明暦2(1656)年に発生した「明暦の大火」の後に浅草千束村へ移ったことから、「新吉原」と呼ばれます。そして、新吉原では、いつの頃からか太夫を「花魁(おいらん)」と呼ぶようになりました。
新吉原では、「花魁と遊ぶには、30両(=約300万円)も使って3回指名して、ようやく床入りできる」といった豪華なしきたりもできますが、実際には、しきたりよりもお金が優先したとも言われています。

ゴージャスでデコラティブな花魁道中の衣装に注目!

「花魁道中」とは、江戸時代、位の高い遊女が馴染み客を迎えに郭内の茶屋の行き帰り、あるいは特定の日に美しく着飾って遊郭の中を練り歩いたこと。行列を仕立ててゆっくり、優雅に練り歩きます。お供は、妹分の新造や見習い身分の禿(かむろ)、荷物持ちの男衆などで、大名行列さながらの光景でした。
花魁のゴージャスでデコラティブな衣装でまず目をひくのは、華やかな織物の打掛に、分厚い綿が入ったボリューミーな裾回しでしょうか? 帯は前で結ぶ「俎帯(まないたおび)」と呼ばれる幅広のもの。立兵庫などに大きく結われた花魁の盛り髪には、たくさんの簪(かんざし)や笄(こうがい)を挿します。足元は、素足に黒塗りの高下駄がお約束でした。

二代目歌川広重「東都三十六景 吉原仲之町」 国立国会図書館デジタルコレクション
吉原仲之町の花魁道中を描いた錦絵です。右側の花魁の打掛には、竜が!

実は、私たちが錦絵などを見てイメージする華やかな花魁道中の衣装は、江戸時代後期のものなのだとか。江戸時代初期から中期の花魁道中もそれほど大がかりではなく、衣装も一般の女子たちの装いの延長線上にあるようなものだったと言われています。

和樂webが選んだ、ビジュアルも最強の花魁たち10選

今回は、「こんな模様の着物、女性が着ても平気なの?」と思ってしまった、ビジュアルも最強な花魁の錦絵を10点選んでみました。そこだけを見ると奇抜な模様ですが、トータルコーディネイトとして見ると、それほど違和感がないようにも思ったのですが、いかがでしょうか?

インパクトのある竜の模様は、花魁コーデの必須アイテム?

竜は、想像上の動物。胴体はヘビ、頭には鹿に似た角が2本あり、口付近に長いひげを生やし、背には81枚の堅い鱗(うろこ)をもち、4本の足にはそれぞれ5本の指を備えた巨大な爬(は)虫類として描かれます。
最近、パイソン柄(=ヘビ柄)がトレンドになっていますが、江戸時代の花魁は、竜の模様の着物をさらりと着こなしてしまうのです!

【1】黒地に竜の模様の打掛コーデ

歌川豊国「三浦屋若紫」 国立国会図書館デジタルコレクション

後ろを振り返る花魁の黒地の打掛に描かれているのは、なんと、竜! ギョロリとした大きな青い目と赤い口に、とがった爪を持つ竜の表情は、ちょっぴりユーモラス? 迫力がある竜の全体像を見てみたいのですが、女性でもこんな模様を着こなしてしまうなんで、さすがです。

【2】白地に竜の模様の打掛コーデ

豊原国周「今様源氏三曲遊興之図」より 国立国会図書館デジタルコレクション

画像の花魁は、室内で胡弓をひいています。そして、白地の打掛の背中には大きな黒い竜が! 黄色い目と赤い口が不気味な、リアルな竜の模様です。

【3】竜の模様×雄鶏の模様のコーデ

香蝶楼国貞「新吉原京町壱丁目角海老屋内鴨緑」 国立国会図書館デジタルコレクション

画像の花魁は、オレンジ色の俎板帯が金色の竜の模様です。青と緑の瑞雲模様(ずいうんもよう/雲を図案化した模様)も描かれているので、空を飛んでいる竜を描いているのでしょうか?
豪華な打掛は、青地に梅の木と雄鶏の模様。本物そっくりの雄鶏は、迫力があります。
花魁のお供をする二人の禿も、花魁とお揃いのコーデです。

【4】竜の模様の帯に、お正月模様の打掛を合わせてみる?

香蝶楼国貞「五節句内」 国立国会図書館デジタルコレクション

画像の花魁は後ろ向きなので、ちらりとしか見えないのですが、この花魁の俎板帯もオレンジ色の地に、金色の竜と瑞雲模様のようです。
黒地の打掛の背には、注連縄(しめなわ)、凧、羽子板、羽根、手毬などの模様があるので、お正月用の打掛でしょうか? 唐草模様に菊の模様が散らされた裾回しもゴージャスです。

【5】竜の模様の帯×花車の打掛のコーデ

歌川国貞「吉原高名三幅対」より 国立国会図書館デジタルコレクション

モダンなチェック柄の床几に腰掛ける花魁を描いています。
ちらりと見える黒地の帯の模様は、金色の竜でしょうか? 打掛は大きな花車と華やかな花の大きな模様で、とてもゴージャスです。

【6】富士山×竜の模様の打掛は最強コーデ?

渓斎英泉「契情道中双〔ロク〕 見立よしはら五十三つゐ 尾張屋内玉琴 江尻」 国立国会図書館デジタルコレクション

画像の花魁の打掛の背中には、青空にそびえる富士山と、黒い闇の中に金色の竜! 不気味な雲も渦巻いていて、見るからに強そう……。
一方、帯はシックなブラウンの地に、芍薬(しゃくやく)のような大きな花が散りばめられています。

人気アイテム「鯉の滝登り」の帯の映えるコーデで、運気も上げる?

「鯉の滝登り」は、「黄河の上流にある滝、竜門を登ることのできた鯉は竜になる」という『後漢書』の故事から、立身出世することのたとえ。また、鯉の滝登りを見ると、「出世する」「運がよくなる」という俗信もありました。
「鯉の滝登り」の模様を俎板帯に使った錦絵が意外と多かったのは、そんな理由もあったからでしょうか?

【7】「鯉の滝登り」の帯は、ブルー系でまとめる

「新吉原京町一丁目岡本楼内重岡」 国立国会図書館デジタルコレクション

画像の花魁の俎板帯に注目! なんと、「鯉の滝登り」模様です。
花魁の打掛は、青地に大輪の菊の模様。裾模様の黒と白のモダンな市松模様がアクセントになっています。打掛からのぞく中着の裾回しは「子持ち亀甲」で、亀甲の中に花菱模様。たくさんの模様を使っていますが、ブルー系にまとめたことでバランスがとれた花魁コーデになっています。

【8】「鯉の滝登り」の帯×雄鶏模様の打掛コーデ

歌川国貞「吉原高名三幅対」より 国立国会図書館デジタルコレクション

この画像の花魁も、俎板帯が「鯉の滝登り」模様です。
そして、打掛には雄鶏が描かれているのがわかりますか? 花魁に付き添う二人の禿もお揃いのコーデです。

ドラマティックな模様はこう着る! 花魁の着こなし方、大公開

このほかにも、鷹、唐獅子といった女子にとっては「迫力ありすぎ」な模様を着こなす花魁を描いた錦絵もありました。

【9】鷹の模様の打掛を着こなす花魁

渓斎英泉「契情道中双〔ロク〕 見立吉原五十三対 丁字屋内名山 土山」 国立国会図書館デジタルコレクション

打掛には、松の木にとまる鷹。鋭いくちばしと目が印象的です。打掛は藍色のベースで、裾は黒。背中などに「丸に違い鷹の羽」紋が使われています。

【10】「牡丹に唐獅子」模様の打掛を着こなす花魁

「新吉原江戸町壱丁目和泉屋内」(『錦絵帖』より) 国立国会図書館デジタルコレクション

画像は、新吉原の花魁を描いた錦絵の1枚です。
打掛は「牡丹に唐獅子」模様。唐獅子の体の色は打掛の地色に同化していますが、金色のタテガミと眉、ギョロリとした目、赤い口が目を引きます。険しい岩山に川が流れているので、能「石橋(しゃっきょう)」を題材にしたものでしょうか?

「石橋」のあらすじ
日本の僧・寂昭法師が唐の清涼山(しょうりょうぜん)の石橋のそばで一人の木こりと出会います。木こりは、石橋を渡った向こうに文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の浄土がありますが、橋は幅が狭くて苔ですべりやすく、人間が簡単に渡ることのできない橋であると教えました。
やがて法師の前に仙人が現れ、文殊菩薩の使いである霊獣の獅子の出現を告げると、姿を現した獅子は、石橋の傍らに美しく咲く牡丹に戯れ、豪快に舞を舞います。

実は、衣装は自前? 花魁道中は虚構の世界を演出するためのもの?

花魁道中ができるのは、上級の遊女である花魁にのみ許された特権でした。そのような花魁との遊興には、揚代のほかに引手茶屋での芸者の費用や祝儀などが必要なので、非常に高額だったと言われています。

同時に、花魁になると、自分用の部屋の調度品から衣装、食費、従業員への心付け、郷里への仕送り、新造や禿などの妹分を養う経費といった膨大な費用はすべて自前。馴染み客からうまく金を引き出すことができなければ、自分の借金となり、年季が延びてしまうのです。華やかな表の顔の裏には、厳しい現実もありました。

華やかで美しいだけではなく、現実離れをした過剰とも思える花魁の衣装。これは、花魁道中をして招かれた客の座敷へ出るための晴れの衣装であり、自身や妓楼のPRであり、権勢を誇る姿でもあり、「非日常性」を演出するものでもあったのです!
過剰なまでに豪華絢爛な重い衣装を着て、厚底サンダルのような高下駄を履いて歩くのはとても大変だったと思われるのですが、それを堂々とやって魅せるのも花魁としての意地があったのかもしれません。
花魁にとって、豪華な衣装を着こなして見せ、自分をより輝かせて魅せる舞台でもある花魁道中。「花魁道中は、まるで、ファッションショーのランウェイのようなもの?」と思ったのは私だけでしょうか?

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

この記事に合いの手する人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。

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