冬の寒い日の外出、何を着るか悩みますよね。
寒いのはイヤだけど、着ぶくれしてスタイルが悪く見えるのもイヤ。お気に入りの服を着るとテンションが上がるから、毎日のコーデも、私らしくしたい……。
そんな「おしゃれに見せたい!」「おしゃれを楽しみたい!」という気持ちは、いつの時代の女子も変わりません。
ところで、江戸時代の冬は現代よりも5度くらい気温が低く、毎年のように雪が積もったと言われています。隅田川が凍ることもあったとか。江戸の風景を描いた錦絵の中にも雪景色を描いたものがあります。
現代よりも寒く、暖房機器類、暖かいニットやダウン、機能性インナーなどがなかった時代、女子たちはどのようなファッションで冬を過ごしていたのでしょうか? この記事では、江戸時代の女子たちの雪の日コーデを錦絵で紹介します。
衣替えで寒さに備える
江戸時代は、年に4回衣替えを行っていました。現代のように、クローゼットの服を入れ替えるというのではなく、衣替えのたびに、袷(あわせ/裏地のある着物)→単衣(ひとえ/裏地のない着物)→袷→綿入れ→袷……と、季節に合わせて女性たちが家族の着物を仕立て直していたのです!
冬の時期(旧暦9月9日から3月末日まで)は、冬用の防寒着として、着物の表地と裏地の間に綿を入れた「綿入れ」を着ました。
このため、江戸の女子は裁縫が必修。武家や裕福な商家では、針仕事専用の女性を雇ったり、「御物師(おものし)」と呼ばれる和裁士に外注したりすることもあったそうです。
冬の行楽は、雪見!
江戸の人々は、冬の行楽として雪見に出かけたようです。江戸で雪見が人気だったのは、雪見をテーマにした錦絵などが残されていることからも伺えます。雪景色を見るだけなら、基本的に無料。しっかりと防寒対策をして、雪見に出かけました。隅田川の周辺、上野、不忍池、湯島、道灌山、飛鳥山、愛宕山などの眺望の良い小高い場所が雪見の名所として人気だったと言われています。
「雪の日に、暖かい料亭で雪見酒」「隅田川に船を浮かべて雪見を楽しむ」というのも粋な過ごし方ですが、このような贅沢な雪見ができたのはごく一部の富裕層に限られます。
江戸女子の雪の日コーデ、見本帳
江戸の女子たちは、雨が降ったり、風が強かったり、天気の悪い日は外出しないようにしていたと言われています。その理由は、雨の日は着物が濡れると重くなるし、風の日は、埃で髪や着物について汚れるため。道は舗装されておらず、雨でぬかるんで歩きにくくなります。
雪の日も、足元は歩きにくいし、何よりも寒い! それでも「雪見に行きたい!」という女子も多かったようで、錦絵には、目いっぱいおしゃれをして、雪見を楽しむ女子たちの姿が描かれています。それでは、錦絵で、江戸の女子たちの雪の日コーデを見ていきましょう。
着ぶくれてもOK? 重ね着コーデ
現代の私たちも寒い時は重ね着しますが、江戸の女子たちも、着物の下に中着や長襦袢・下着を重ね着をしていました。おしゃれな女子たちは、色合わせや柄合わせを工夫しながら重ね着を楽しんでいたようです。
【1】重ね着コーデは、色のトーンを合わせるとしゃれ見え!
雪が降りしきる中、隅田川の堤に雪見に来た三人の美女。
右側の美女は、黒い御高祖頭巾に手ぬぐいを結び、黒と茶色の格子模様の「半纏(はんてん)」を着ています。紺色と緑色のぼかし横縞の着物も素敵です。
酉の市の帰りなのか、手に縁起物の熊手と、里芋の一種「八つ頭(やつがしら)」を笹の枝で貫いて輪にした「何首烏玉(かしうだま)」を持っています。
中央の美女は、着物も帯も青系でまとめたコーデ。雪の日に、白い「雪華模様(せっかもよう)」という雪の結晶を模した着物を着るなんて、おしゃれですね。帯は「分銅繋(ぶんどうつな)ぎ」の地模様に、カラフルで大きな「宝相華(ほうそうげ)模様」で、華やかです。
左側の美女は、後ろに見える隅田川と同じ青い色の道中着を着ています。(雪が道中着の模様のように見えてしまいました……。)
長襦袢の衿はきっちり合わせて、首が見えないように工夫していますが、道中着の下に着ている着物や中着、長襦袢の衿をずらして見せているところがおしゃれのポイントでしょうか?
【2】重ね着しても、黒い着物ですっきり見せる!
傘をさして、雪景色の中に立つ美女。衿や裾を見ると、着物の下には花柄の中着、長襦袢など、かなり重ね着しているようですが、着物が黒地のためか、すっきり見えます。模様の入った半衿、表と裏で違うチェック柄の帯もおしゃれですね!
裾からのぞく足元が、ちょっと寒そうですが……。
着物とコートの合わせ方、How To
冬は、現在と同じく、着物の上に半纏やコートを着たりします。
【3】地味色コートは、アクセントカラーを使うとすっきり!
画像は江戸の情景を12ヶ月に当てて描いたシリーズのうちの一つです。「小春」は陰暦10月の異称で、現在の11月頃にあたります。
左側に「焼き芋屋」が描かれています。焼き芋は、江戸時代も人気でした。雪の中、母親と娘が小僧をお供に、焼き芋を買いに来たのでしょうか? 母親も娘も、着物の上から黒衿の「道中着」と呼ばれる地味色のコートを着ています。腰のあたりに結んだ「しごき帯」がアクセントになっていますね。寒いのか、道中着の衿元にマフラーのようなものを巻いていますね。
足元は、薄い二枚歯の「足駄(あしだ)」という下駄を履いています。娘の下駄の歯の間に雪が詰まってしまったようで、お供の小僧が一生懸命かき出しています。
【4】きれい色の着物は、大胆に見せる!
ブラウンの地に、竹に雪輪模様のコートを羽織った美女。中に着た、松葉や紅葉、イチョウの葉などが散らされた裾模様の青い着物とのコントラストがきれいですね。なお、「極月(ごくげつ)」とは、陰暦の12月の異称です。
【5】異なる柄を、シックにまとめる!
雪の夜、船に向かう美女たち。二人とも、防寒用に柄物の半纏を着ています。
左側の御高祖頭巾をかぶった女性は黄色がアクセントのチェック柄。着物は小紋のようですが、柄と柄を組み合わせてもシックにまとまっています。
防寒用小物を使って、もっとおしゃれに見せる!
冬、特に雪の日には頭部だってしっかり防寒したいのは、今も昔も同じ。防寒用として江戸の女子に人気だったのが「御高祖頭巾(おこそずきん)」という女性専用の頭巾です。御高祖頭巾は、ヘアスタイルが崩れないのために人気があったと言われています。
【6】地味色御高祖頭巾は、鮮やか裏地をアクセントに!
グレーの地に波型模様の道中着にオレンジ色のしごき帯を結んだ美女。寒いのか、首には防寒を兼ねた手ぬぐいを結んで、御高祖頭巾が飛ばされないようにしています。ちらりとのぞく御高祖頭巾の裏地、しごき帯、長襦袢のオレンジ色がさりげなくリンクしていて、おしゃれですね。
【7】御高祖頭巾の巻き方アレンジ
雪に映える青い道中着を着て、黒い御高祖頭巾をストールのように巻いた美女は、雪の中、どこへ出かけるのでしょうか?
御高祖頭巾から、簪(かんざし)が見えます。
でも、足元は裸足?
画像は、雪の日の朝を描いたものです。
右側の、肩に手ぬぐいをかけた美女は、起きたばかりでなのか、「房楊枝(ふさようじ)入れ」を左手に持ち、右手に持った房楊枝に歯磨き粉をつけているところです。「綿入れ」という中に綿が入った防寒用の着物を着て、寒くないよう着物や襦袢の衿を立て、胸元を詰めています。衿には「黒繻子(くろしゅす)」という、黒衿をつけています。黒衿は衿の汚れやすり切れを防ぐ実用的なものでしたが、幕府の贅沢禁止令が出た時に、芸者たちが豪華な着物に黒衿をつけたことから流行したと言われています。
縄をかけた板で雪かきをしている中央の女性は、母親でしょうか? 赤ちゃんを抱いた左側の少女は、着物の上に綿入りの半纏を重ね着しています。3人とも、着物は渋い色合いで、大きな柄の帯をしています。
そして、3人とも素足に下駄で、足元は寒そう!
江戸時代前期までは、足袋は武士が儀式の時にだけ履くものでした。それが、中期になると、町人も足袋を履くようになりますが、庶民の多くは冬でも素足で過ごしました。これが粋だと言っていましたが、本当は、汚れた足袋を洗ったり、新しい足袋を買うのが大変だったからではないかと思われます。
防寒しながらおしゃれも楽しむ!
雪国育ちの私には、どうしても「雪=寒くて辛い冬」という暗いイメージがあります。
今回の記事を書くにあたって雪景色の錦絵を見ているうちに、江戸の人々は、寒い雪の日も楽しんでいたように思うようになりました。錦絵の美女たちも、衿元をきっちり合わせて、首元が寒くないよう工夫をしています。でも、足元は素足に下駄で、しもやけにならないのか、心配もしてしまったのですが……。
現在、外出しにくい日々が続いています。江戸の人々のように、身近な場所で季節の移り変わりを楽しむ暮らしを真似てみるのも悪くないのかもしれません。
アイキャッチ画像:初代歌川豊国「雪こかし」(メトロポリタン美術館)
主な参考文献
- 『ニッポンの浮世絵』 日野原健司、渡邉晃著 小学館 2020年9月
- 『絵解き「江戸名所百人美女」:江戸美人の粋な暮らし』 山田順子著 淡交社 2016年2月
- 『絵でみる江戸の女子図鑑』 善養寺ススム文・絵 廣済堂出版 2015年2月