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2022.04.03

アバンギャルドな仏像「空也上人立像」をつくった康勝って?父はあの天才仏師だった!

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世界中を探しても、こんな姿の彫像はほかにはない!? 東京国立博物館の特別展「空也上人と六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)」(2022年5月8日まで開催中)に、半世紀ぶりに京都から東京へとお出ましになった重要文化財「空也上人立像(くうやしょうにんりゅうぞう)」。口からなにやら飛び出す斬新な姿は教科書でもおなじみ。一度見たら、決して忘れることはできません。作者は鎌倉時代の仏師、康勝(こうしょう・生没年不詳)です。

え? 康勝ってだれ?というそこのアナタ! 父親は、日本人なら知らない人はいない(ハズの)あの天才仏師です。「空也上人立像」をはじめ六波羅蜜寺所蔵の名宝が並ぶ展覧会。会場で目の当たりにできる仏像の魅力を東京国立博物館 学芸企画部長の浅見龍介さんに徹底解説いただきました。

※トップ画像 重要文化財 空也上人立像(部分) 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

念仏の祖をリアルに再現した、康勝のデビュー作

「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」。一度でも、そう念仏をとなえたなら、極楽に往生できる。安楽な気持ちになれる。やさしく、人々に寄り添いながら、阿弥陀信仰を説いたのが平安時代の僧、空也上人(903-972)だ。新型コロナウイルスが拡がる現代と同じように、謎の流行り病に苦しめられた時代。空也上人は諸国を行脚し、京のまちなかを歩いては念仏をとなえ、病や貧困に苦しむ人々に救いの手を差し伸べた。日本における念仏の祖、として知られる上人が京都・東山に創建したのが西光寺(さいこうじ)、現在の六波羅蜜寺だ。

仏師、康勝による「空也上人立像」は、空也上人が生きた時代から約250年を経て造られた。腰をかがめて首から下げた鉦鼓(しょうこ=かね)を打ち、左手に鹿の角が付いた杖を握り大地を踏みしめ歩く上人の姿を彫り出したもの。

像の高さは117.0㎝と小ぶりだが、オーラはたっぷり/重要文化財 空也上人立像 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵 撮影=森聖加(撮影は以下、すべて同じ)

光を受けて輝く瞳は水晶をはめこんだ玉眼(ぎょくがん)。左足を一歩前に、いまにも歩み出しそうな力感ある姿はやせてはいるものの、若々しい。正面のお姿を拝めただけでなんとも胸アツなのだが、360度ぐるりと鑑賞できるのが今回の展示! じっくり部分を見ていくとさらに像のスゴみが見えてくる。「喉ぼとけ、鎖骨と肋骨のみえるやせた体格、くるぶしから上に向かう骨格を忠実にとらえた膝下のライン、足指と筋、血管など、からだの細部まで写実的に表現されています」と浅見さん。首の後ろの肉のたるみまでもがリアルだ。

「身に着けている衣にはシワがほとんどありませんが、これは布ではなく皮を表現したから。布とは異なる質感の表現は背面にも見られます」。この皮衣と左手に持つ杖の頭は、空也上人が心の友として鳴き声を愛した鹿の形見。平定盛という猟師に鹿が殺されたことを知って悲しみ、その皮と角をもらい受け、肌身離さず過ごしたという言い伝えに由来する。

自らの体はかえりみず、托鉢で得たものは貧しい人や病人に与えた/重要文化財 空也上人立像(部分) 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

手の甲から腕にかけて浮き出た血管が生々しい/重要文化財 空也上人立像(部分) 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

血管の浮き出た手の甲や足の甲に対して、ふくらはぎはキュッと引き締まって張りがあり、アキレス腱もくっきりと。「草鞋(わらじ)の、藁を編んだ様子、結び紐もよったさまが見事に表現されています。足首の下方を一周する紐から草鞋の底につなぐ紐と足の間には隙間があります」と浅見さんは続ける。

アスリートのように鍛え抜かれた足は山岳修行のたまもの/重要文化財 空也上人立像(部分) 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

そして、開いた口から銅線につながれて飛び出すのは……小さな仏さま! 空也上人が念仏をとなえ続けた声の一音一音(南・無・阿・弥・陀・仏)がやがて6体の阿弥陀仏に変化したという伝承を康勝はカタチにしてみせた。20代でのデビュー作ではないか、との指摘もある。

「現実感を持たせるため、細かなところまで入念に造ったことがわかります。こうした写実表現は運慶のもとで学んだものです」

運慶? そう、康勝は、あの鎌倉時代の天才仏師、運慶の四男なのだ。

口の中には上下の歯や舌も掘り出されていて、歯の白や口内に施された赤い彩色が残る/重要文化財 空也上人立像(部分) 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

仏師界の革命児のDNAを受け継ぐ、康勝。造像の源泉は?

特別展では康勝の父、運慶(1150頃-1223)と、彼らより前の時代に活躍した仏師、定朝(じょうちょう/-1057)の作と伝わる地蔵菩薩像が同時に展示されている。康勝の創造の源を探るため、ここではそれら2つの像を紹介しよう。

定朝-穏やかで優美な仏像の理想形を完成

定朝は平安時代後期を代表する仏師だ。京都・宇治、平等院鳳凰堂の国宝「阿弥陀如来坐像」が広く知られている。王朝文化華やかなりし頃、穏やかで優美な定朝の作風は貴族たちに好まれ、ブームに。

「六波羅蜜寺の地蔵菩薩立像は、『今昔物語集』巻十七に、但馬の前司 国挙(くにたか)、地蔵の助けによりてよみがえるを得たる語 第二十一に、死亡した国挙が冥府で出会った小僧(実は地蔵菩薩)に蘇生したらひとえに地蔵菩薩に帰依する、と誓って蘇り、仏師定朝に造らせたもの、と記されています。説話ですからそのまま信じるわけにはいきませんが、地蔵菩薩立像の作風は定朝にきわめて近いと言えます。長身でやせた体形、穏やかな表情、衣のひだは少なめで、浅く平行に整えられています」(浅見さん)

定朝の造る像は仏の理想的な姿として様式化されて「定朝様(じょうちょうよう)」と呼ばれ、以降、仏像のスタンダードとなる。「遠く極楽で見守ってくれる仏さまは、きっとこんな姿だろう」と私たちが思う多くが定朝のスタイルだ。

定朝作と伝わるこの立像では、腹部のふくらみ、左袖内側に見える腰の丸みのあるラインなど、穏やかな中にみられる写実的な表現にも注目/重要文化財 地蔵菩薩立像 平安時代・11世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

運慶-型にはまらず、オリジナルを追い求める

定朝から約100年後に登場する運慶。彼の作品でよく知られるのは、奈良・東大寺南大門の国宝「金剛力士像」だろう。実際の力士をモデルにして造ったと考えられていて、圧倒的な大きさもさることながら、力みなぎる姿に驚かされる。「運慶の造形のすごさは、筋肉、骨格の徹底した観察のうえで写実表現を極めていること、動きのある体勢をどの角度から見ても破綻なく造っていることです」と浅見さん。

今回の展覧会に並ぶ「地蔵菩薩坐像」は、現存する運慶仏のなかでも、衣文(えもん=衣のひだ)の表現が抜きん出たもののひとつに浅見さんが挙げるもの。「両袖の内側にもひだが彫られていて、宝珠(ほうじゅ=すべての願いを叶える珠)を持った左手の肘の上には袈裟が掛かります。ここでは下層に衣文を彫った上に、別材を貼って衣が重なる様子を表現しています。右胸を垂直に垂れる衣は袈裟の下に潜らせ、袋状になっていて、ここも別材を貼って立体的に表現している。やわらかな布がつくるひだを、木で彫ったとは思えないように彫刻しています。ギリシャ彫刻に比肩しうる造形だと思います」。そんなことまで!?と驚かされる創意工夫がたくさん盛り込まれている。

運慶、30代の造像とみられる。運慶は如来や菩薩像では彫眼にすることが多いが、この像では玉眼を採用。運慶が夢に現れた地蔵菩薩の姿を彫ったとされ、別名「夢見地蔵」ともいわれる/重要文化財 地蔵菩薩坐像 運慶作 鎌倉時代・12世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

左内袖が足に垂れている部分は、布で覆われているものの下から足先がのぞいてる!? 会場ではガラスケースなしでの展示。像に近づきすぎないよう気を付けて細部を鑑賞しましょう/重要文化財 地蔵菩薩坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・12世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

運慶による坐像と、定朝と伝わる立像の表現を比べてもらった。「両者は体勢が異なりますが、全体のプロポーションを正面と側面で比べて見ると、胸を張って堂々たる体格の坐像に対して、立像はなで肩でおとなしい立ち姿です。側面から見ると胸、背筋の肉付きがたくましい坐像に対して、立像は胸も背中も薄い。衣のひだは一目瞭然、流れるように動きに富むひだが布の質感をたっぷり見せる坐像に対し、立像の衣文は数が少なく、浅く、布の質感を伝えるものではありません」。戦乱や飢餓、病に苦しむ中で人々は確かな救いを求めた。そのとき運慶は「仏さまは実在するんだ!」と思わせる像を造ったのだ。

運慶が力士をモデルにしたように、康勝も空也上人立像の造像では、実際に念仏をとなえて歩く鎌倉時代の僧をモデルとしたと考えられる。また、皮と布の質感は違えど、衣の表現、草鞋の紐の結びにいたる細部にも気を配ったことは先の浅見さんの説明からもわかる。現実感ある表現を求めて、いっさい妥協することがなかった運慶の創作を間近に見ながら、康勝もおのれの表現を厳しく磨いていったのだろう。

姿かたちの写実表現のみならず精神性も表現する

「目の前に生きた空也上人がいるよう!」。康勝による上人像を見た人のほとんどが、そう感じるはずだ。念仏をとなえ人々を何としても救おうとする空也上人のやさしさ、不屈の魂を像は発している。

康勝がそうしたように、父、運慶も実在した過去の人物をまるで生きているかのように造った。奈良・興福寺北円堂の「無著(むじゃく)菩薩立像」「世親(せしん)菩薩立像」(ともに国宝)はインドに実在した兄弟僧を彫ったもので、運慶の最高傑作と評される。像は造形表現にとどまらず、その精神をも表現している、と浅見さんは言う。「無著はあたたかな眼差しで包容力を、世親は凝視する眼光で観る者に働きかける印象があります」。ゆえに、「運慶は仏師としてのみならず、日本が世界に誇れる彫刻家だと思います」。

運慶のように名前に慶の字が付くものが多い、奈良を拠点に活動した仏師集団を慶派(けいは)という。ただ、「運慶と慶派の他の仏師は共通する部分もありますが、異なる部分も少なくありません。特に快慶とは大きな違いがあります」と浅見さん。

――あれ? 東大寺南大門「金剛力士像」で運慶・快慶は共に制作してますし、教科書では常に並び称されていますが?

「運慶は決まった型を繰り返すことがありませんでした。常に新しい造形を求め、『唯一無二』『自分の作品をつくる』という意識があったように思われます。対して、快慶の仏像は衣文が左右に単純な曲線の反復で表された端正な造形に特長があり、バリエーションは少ない。彼が目指したのは独創的な作品をつくることではなく、阿弥陀如来を信仰する仏師として、誰が見ても美しいと思う像をつくること。その表現は定朝様に近いものです」

自分の作品を造らんとする父の熱い思いが康勝に受け継がれ、極めて珍しい声を形にした像に結実したのかもしれない。

浅見龍介さん。専門は日本彫刻史。これまでに興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」(2017年)をはじめ、特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」(2013年)、特別展「鎌倉―禅の源流」(2003年)などを担当した(撮影のときのみマスクを外していただきました)

康勝は、姿だけでなく、動きや音までも表現しようと試みた!?

康勝には3人の兄、湛慶(たんけい)、康運(こううん)、康弁(こうべん)と2人の弟、運賀(うんが)、運助(うんじょ)がいる。6人兄弟はみな、仏師となり造像に励んだ。「建久8年(1197)に運慶は子どもたちを率いて京都・東寺講堂ほかの仏像修理を行いました。長男湛慶はこの時25歳、弟たちが毎年一人ずつ生まれたとすると末子は20歳となります。彼らはおそらく、幼い時から鑿(のみ)を握り、手ほどきを受けていたのではないかと思います」。兄弟は互いの存在がその創作の刺激になったはずだ。

運慶と伝えられる像。6人の息子たちを厳しく指導? がっしりとした大きな手が多くの造像にたずさわったことを印象付ける。手に数珠を持ち僧の姿なのは当時の仏師は僧侶でもあったから/重要文化財 伝運慶坐像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

康勝作として現存するのは空也上人立像に加えて、京都・東寺御影堂の「弘法大師坐像」(国宝)と奈良・法隆寺金堂の「阿弥陀如来坐像」(重要文化財)がある。しかし、数が少ないことと東寺の像は秘仏のため浅見さんでも見たことはなく、康勝らしさについては判断ができないという。「法隆寺の阿弥陀如来坐像は、飛鳥時代の釈迦如来坐像、薬師如来坐像に似せて造っているので康勝独自の作風を見ることはできません。ただ、弘法大師坐像を実際に見た方からは、みごとな作である、と聞きました。空也上人立像も先に述べたように大変優れた像です」。肖像彫刻が得意だったのか?

運慶亡き後の慶派を率いた兄、湛慶/重要文化財 伝湛慶坐像 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

――康勝が『南無阿弥陀仏』の6音を形にした狙いは?

「動きと音を表現することを意図したのでしょう。『南無阿弥陀仏』ととなえる様子を造形化したものとして、ほかに善導大師(ぜんどうだいし:613-681/中国浄土教の祖師)の肖像画があります。図像は中国から伝来した可能性があります。また、善導大師の彫像にも口腔内に穴があり、空也上人像と同じような表現をしたと考えられるものがあります。彫像は空也像の造像より早く日本に伝わっていたかはわかりませんが、肖像画はおそらく伝来し、作者康勝はそれを見ていたかもしれません」

空也上人の彫像や肖像画は六波羅蜜寺の形式をならうものが滋賀県、愛知県の寺にもあり、康勝はその姿を決定づけた。現代の私たちが上人の実在を実感できるのも、康勝のリアルな「空也上人立像」ゆえだ。

「会場では造形がはっきり見えるように照明を当てています。六波羅蜜寺の像はお寺でも拝観できますが、お寺とは違う見え方を目指しています。もちろん、信仰があって造られたことは前提のうえ。彫刻作品として、造形を余すことなくご覧いただきたいと思います」(浅見さん)

最後に、空也上人の後ろ姿を

重要文化財 空也上人立像 康勝作 鎌倉時代・13世紀 京都・六波羅蜜寺蔵

(参考文献)
浅見龍介監修『運慶への招待』朝日新聞出版、2017年
東京国立博物館編『運慶』東京国立博物館、2017年
東京国立博物館、朝日新聞社編『特別展 空也上人と六波羅蜜寺』図録 朝日新聞社、2022年

展覧会基本情報

展覧会名:特別展「空也上人と六波羅蜜寺」
会期:2022年5月8日(日) まで開催中
会場:東京国立博物館 本館特別5室、本館11室 ※総合文化展(本館11室)での関連展示コーナーでは六波羅蜜寺所蔵の作品も展示しています。
※本展は事前予約(日時指定券)推奨です。詳細は展覧会公式サイトまたは東京国立博物館ウェブサイトなどでご確認ください。
展覧会公式サイト:https://kuya-rokuhara.exhibit.jp
東京国立博物館ウェブサイト:https://www.tnm.jp

書いた人

日本美術や伝統芸能(特に沖縄の歌や祭り)、建築、デザイン、ライフスタイルホテルからブラック・ミュージックまで!? クロス・ジャンルで世の中を楽しむ取材を続ける。相棒は、オリンパスOM-D E-M5 Mark III。独学で三線を練習するも、道はケワシイ。島唄の名人と言われた、神=登川誠仁師と生前、お目にかかれたことが心の支え。