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北斎肉筆画の傑作、「八方睨み鳳凰図」

80歳を超えていた北斎が、初めて訪問した小布施。そこで出会ったのが豪農商・高井鴻山でした。肉筆画を生涯描き、追求し続けた北斎。最晩年に描いた天井画も、鴻山のすすめで描いたものでした。
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2017年10・11月号では、葛飾北斎の壮絶人生約70年を、AからZまでの26字をキーワードにご紹介しています。技や作品だけでなく、浮世絵の秘密や、世界に与えた影響まで。北斎のすべてにとどまらず、アートの深みまでも味わうことができます。

今回は【N】の「肉筆」と、【T】の「高井鴻山」をピックアップ。

死ぬ間際まで、北斎は肉筆の絵を描いていた

浮世絵には多色摺版画の錦絵のほかに、紙や絹に描かれた一点物の肉筆画があります。

北斎は40代後半にあたる文化年間の初期に肉筆画の制作に没頭した時期があって、このころの画号が「葛飾北斎」。以後は「北斎漫画」などの絵手本や、「冨嶽三十六景」などの風景画が評判となり、浮世絵版画中心の時期が続きます。

スクリーンショット 2017-10-04 12.31.50葛飾北斎「雪中中国武人図」絹本着色一幅 天保14(1843)年ごろ 氏家浮世絵コレクション

人気絵師としての活動が一段落した北斎は、80歳を過ぎて再び肉筆画に取り組み、中国や日本の故事と古典に基づく作品や自然を主題にした作品に専心。いまわの際まで肉筆画を追求し続けました。

北斎の肉筆画は西洋の収集家にとりわけ好まれ、イギリスの建築家コンドルの旧蔵品「鶏竹図」や、出島のドイツ人医師シーボルトが持ち帰りオランダのライデン国立民族学博物館が所蔵していた洋風画が実は、北斎の肉筆画だと考えられているように、海外には、まだ知られていない北斎の肉筆画が眠っているかもしれません。

晩年の北斎が目ざした小布施のキーマン

「冨嶽三十六景」にはじまる風景画ブームも去り、80代を迎えた北斎は、ひとところに留まることなく独自の肉筆画を追求するようになっていました。そして、天保の改革で贅沢が禁止され、作画にも支障をきたし始めたことから、信州・小布施を目ざします。そこで頼りにしたのが、地元の豪商・高井鴻山でした。

葛飾北斎「鳳凰図天井絵彩色下絵」紙本着色一幅 弘化3(1846)年ごろ 小布施町・岩松院

絵のたしなみがあった鴻山にとって北斎の来訪はこの上なくありがたいことで、屋敷内に北斎専用のアトリエを建てるなどして歓待。作画に専心することができた北斎は83歳から89歳になるまでの間に4回も小布施に滞在。その最後に手がけたのが、鴻山にすすめられて描いた21畳もの大きさの岩松院の天井画「八方睨み鳳凰図」です。北斎は老いてなお、制作意欲は衰えず、このような大作を仕上げていたのです。

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