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2018.05.22

水墨画から浮世絵まで!アジアで描かれた山の絵4選

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富士山を主題にした葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、“山”を主題にした絵画シリーズの世界最高峰ともいわれます。では、それまでの人々は、山をどう描いてきたのでしょうか。絵画の原初から東洋、西洋における山、そして北斎にいたるまでの山の絵を検証! 今回は、長年中国で描かれ続けた山水画の成り立ちをはじめ、東洋で山がどのように描かれてきたのかをご紹介します。

山が主題の絵画が描かれたのは、中国が最初

山をはじめとした風景が東洋で描かれるようになったのは、中国・唐時代に水墨で描いた山水画の成立が最初の作例と考えられます。

ただし、中国においてもヨーロッパと同様に、最初から風景が独立した主題としてとらえられていたのではありませんでした。中国絵画の三大部門でいうと、まず人物画が盛んに描かれ、次いで花鳥画、そして山水画の順。山水画は、中国絵画では比較的新しいジャンルなのですが、風景を主題として絵を描いたのは、ヨーロッパより1000年も早かったことになります。

山水画の歴史をひもとくと、そのはじまりは3~6世紀の六朝(りくちょう)時代の神仙山水図に見られ、遠近法や透視画法がすでに用いられていました。一方で、同時代に描かれたとされる敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)では、自由でのびやかな絵が石窟の壁面全体に描かれ、当時から優れた絵画表現を有していたことがわかります。

山水画「莫高窟249室 天井壁画」須弥山の下で、太陽と月をかかげる阿修羅の壁画は、仏教と道教思想の融合。阿修羅の左右には「風神雷神図屏風」の原型が。写真提供:Tungstar(アフロ)

山水画の巨匠が続々と出現!

山水画が独立した絵画の分野となるのは唐時代。後期の9世紀ごろから写実的・感覚的な表現が試みられるようになり、山水画専門の画家が登場します。

やがて北宋(ほくそう)時代になると、現在一般に考えられている山水画の描法と構図形式の基本形が成立。南宋時代にかけて、郭煕(かくき)や李唐(りとう)、馬遠(ばえん)らの山水画の巨匠が現れて、特色ある画風を確立します。以来、山水画の系譜は絶えず受け継がれ、現存する中国絵画の大半を占めると言っても過言ではないほど数多くの作品が残されています。

山水画郭煕「早春図」紙本墨画 宋時代・1072年/郭煕は中国山水画史上、最も重要な画家で、最高傑作「早春図」には春を迎えた深山幽谷の壮大な風景とともに、そこに暮らす人々の息づかいまで描かれている。写真提供:Bridgeman Images(PPS通信社)

山を描くには、高い精神性が必要だった!?

中国の山水画において重要なのは、大自然を意味する山水に、道教(どうきょう)思想や陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)などが投影されていて、山を霊的・精神的な存在として見る中国人の自然観が反映されているということです。

また、文人にとっての山水画とは、彼らが理想とした、俗世間を離れた理想郷を表したものであり、作画にあたっては高い精神性が要求されました。

ついに日本にも! 禅とともにもたらされた山水画

山水画が日本にもたらされたのは鎌倉時代。禅とともに伝わったことから、当初は禅の思想を表した図が主で、中国的な山水画が描かれるようになるのは、室町時代になってからのことです。

実は山水画が伝播(でんぱ)する前から、日本独自のやまと絵の手法で描かれた、仏教の縁起などを表した絵巻物に、山や風景は見ることができます。それは、自然や四季の変化を身近に感じながら暮らしてきた日本ならではの、八百万(やおよろず)の神がおわす自然に対する親しみの表れだと考えられます。

日本最高峰の山はやっぱり特別!

そんな中でも、信仰の対象として崇められてきた富士山は特別な存在でした。

山水画「遊行上人縁起絵」第八巻 重要文化財 鎌倉時代 真光寺/鎌倉時代になると東海道の往来が活発になり、富士山を実際に目にする人が増加。この富士山の美しさは、現代に通じるものがある

絵画に描かれた最古の例は平安時代の「聖徳太子絵伝」。このときからすでに富士山は三峰で万年雪という定型で描かれ、鎌倉時代になると「一遍上人絵伝」や「遊行上人縁起絵」などの絵巻物に富士山が登場します。

ただし、この時代の富士山の絵は、やはり主役ではなく、物語や伝記を絵画にする際に背景の一部として描かれたものでした。

富士山ブーム到来?

室町時代には、雪舟(せっしゅう)作と伝わる「富士三保清見寺図」(永青文庫)が登場し、その後の富士山の絵の典型となります。また、道案内などのための参詣曼荼羅図(さんけいまんだらず)の発展によって、富士山を主題とした作品が数多く描かれるようになります。

山水画狩野元信「富士曼荼羅図」重要文化財 絹本着色 室町時代 富士山本宮浅間大社/駿河側の登拝の拠点であった大宮からの富士山を描いたもので、登拝の作法や道順を知らしめる絵として用いられたと考えられる

そして江戸時代後期に起こった旅行ブームとともに、庶民の人気を集めていた浮世絵で風景画が大流行。北斎が描いた「富嶽三十六景」によって、富士山人気はピークを迎えることになるのです。

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