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北斎AtoZ
K=【川村鉄蔵】これが本名。普通すぎて草・・・

「川村鉄蔵」という字面(じづら)を目にしただけでは、だれのことなのか想像もつかないのではないでしょうか。
実はこれが北斎の本名です。
宝暦10(1760)年9月23日、本所割下水(ほんじょわりげすい)に生まれた時の名前は時太郎(ときたろう)。
それから鉄蔵となったとされますが、それ以上詳しい記録はなく、幼いころに鏡師(かがみし)の家の養子になったという説もあります。
10代の初めのころ、鉄蔵は貸本屋の小僧として働き始めたとされます。もともと手先が器用だったのか、10代半ばには木版印刷の版木を彫る職を得て、版木を彫りながら、文章や絵にも親しむようになったとか。
そのうちに絵を描いてみたいと思うようになった鉄蔵は19歳のころ、役者絵で人気を得ていた浮世絵師・勝川春章(かつかわしゅんしょう)に弟子入りします。
勝川春章とは、役者似顔絵の名手!

春章のもとで、浮世絵版画や肉筆画を学んだ鉄蔵は、早くも入門した翌年に浮世絵師としてデビュー。
このことからも、鉄蔵がいかに優れた絵の才能を持っていたのかがよくわかります。
左が春章、右が春朗。師の教えを受け継いでいたが・・・

そして、画号は師の名前を3文字もらった〝勝川春朗(しゅんろう)〟。
デビュー作は役者絵で、以後約15年間に浮世絵版画や黄表紙の挿絵などを描くようになります。
この駆け出しの時期は「春朗期」と呼ばれ、後に大成功を収める風景画とはまったく異なる画風で、実力を蓄えていた時期と言ってもいいでしょう。
役者絵も美人画も、なんでも上手い!

やがて浮世絵に飽き足らなくなった春朗は、師に内緒で、狩野派や洋画などを学び始めます。
しかし、それが春章の知るところとなり、あえなく破門。勝川春朗と名乗ることはできなくなって、新たな道を探るようになります。

