400年以上、養源院に伝わる宗達の名作を、ご覧あれ!
【唐獅子図杉戸絵 西面】

右/強弱のある描線で、躍動感のある毛並みを描く。爪の先が、杉戸の枠いっぱいにはみ出しそうな迫力が。左/後脚を上下に大きく開いた特異な構図。「だんっ」と跳び下りた、今まさに着地したような一瞬。デフォルメを効かせながらも、全体にどっしりとした安定感がある。全身に金箔が貼られていたのが今でもよくわかる。
【白象図杉戸絵】

宗達が描いた杉戸絵のなかでも、とりわけ人気の高い『白象図』。現在は落ち着いた色調に見えるが、制作当初は口の部分が鮮烈な赤で、牙にも金泥(きんでい)が施されていたという。白い巨体を大胆に単純化し、白象をモダンな造形へと変貌させている点に、宗達のデザイン感覚の鋭さが際立つ。右/母象が小僧を見つめるような、愛おしげなまなざしにキュン。普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗り物が白象。仏法を守る存在の象徴だった。左/養源院の一番人気はこちらのかわいい象! 輪郭の太い線は、同時代の大絵馬を参考にしているかも。
【波と麒麟図杉戸絵】

白く切りとられた波に呼応するかのように、水犀(みずさい、すいさいとも呼ばれる)が跳ね、躍る。ふたつが重なり合い、独特のリズムを生み出している。右/鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)や日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の透かし彫りにもこんな水犀がいるらしい! 角あり甲羅ありの霊獣です! 左/やわらか&リズミカルな波のカタチ! 波や水辺とセットで表現される水犀は、水をつかさどり、水難(すいなん)除(よ)けの力をもつ動物。
そしてついに…! 通常非公開の唐獅子図にも会えました!
【唐獅子図杉戸絵 東面】

『白象図杉戸絵』の裏面に描かれているのがこちら。杉戸の木目もよく残っていて迫力満点! 「唐獅子と混同されやすいのですが、これは“狻猊(さんげい)”という想像上の動物でしょう。火鉢や灯籠(とうろう)などの火器、また銅鏡(どうきょう)背面にも表され、火難(かなん)除けの霊獣として知られてきました。黒い体で描かれることが多いですね。この尾のグルグルとした線描には、金と黒と茶が使われていますが、黒は本来『銀』で、それが酸化黒変したもの。だから、これも金銀泥(きんぎんでい)絵なんですね。霊獣の生命力が画面いっぱいに広がっています」と奥平先生。
奥平俊六先生に作品について教えてもらいました
養源院の杉戸絵には、美術の教科書で見慣れた「洗練の宗達」とは別の、むき出しの熱があります。
白象は画面いっぱいに迫り、唐獅子の目はギョロリ! しかも、ここではいつでも、本物の作品を間近で見ることができるのです。
養源院の杉戸絵の注目ポイントを、日本美術史家の奥平俊六先生にうかがいました。
俵屋宗達は、日本美術史を代表する絵師のひとりです。
けれど生没年をはじめ、その生涯には謎が多い。どんな人物だったのかを伝える記録も、ほとんど残されていません。
ただ、はっきりしているのは、「俵屋」という工房を営み、金銀泥を用いた華やかな料紙装飾(りょうしそうしょく)や扇面(せんめん)をつくる「絵屋(えや)」だったこと。
ちょうど、宮廷のなかで少しずつ知られるようになったころ、宗達に巡ってきた大仕事が、養源院の障壁画(しょうへきが =襖や杉戸など、建築空間を彩る絵画)でした。
画面からあふれ出す
養源院の杉戸絵を前にすると、まずその迫力に圧倒されます。杉戸絵は、本来、枠の中におさまりよく描くのが一般的なんですね。
でも宗達は違う。白象も唐獅子も、画面からあふれ出しそうなほど大きい。足先が枠に触れていて、裁ち落としのような感覚さえあります。
これはやっぱり、かなり特異なんです。同時代の杉戸絵を見渡しても、ここまで大胆な例はありません。
特に表玄関すぐのところの『唐獅子図』は、最初にインパクトを与えてくれる作品。

尾や毛並みの描線は、一見すると不揃いですが、その“ばらけ”が勢いをつくっている。ためらいがないんですね。
私は「頭でっかちになると、造形は痩せる」と思っていて。でも宗達は、勢いや熱量がそのまま画面に刻み込まれています。
また、逆立ちのようなポーズの唐獅子には、全身に金箔(きんぱく)が貼られています。箔あしも見えますね。
杉戸絵にここまで大胆に金箔を貼る例はほとんどなく、宗達、かなり攻めています。
「麒麟」ではない!?
もうひとつ面白いのが、『波と麒麟図』として知られてきた作品です。

実は麒麟ではなく、「水犀」という霊獣(れいじゅう)。一角(いっかく)をもち、背には甲羅のようなものを背負っている。麒麟も水犀も中国由来の霊獣なので、混同されやすかったんでしょう。
水犀の原型には、インド犀のイメージがあったと考えられています。実際『鳥獣人物戯画巻』や日光東照宮の彫刻にも、この図像が見られるんですね。
しかも水犀は、波とセットで描かれることが多い。つまり、水難除けの意味をもつ存在です。
でも宗達は、それを単なる古典モチーフとして扱っていない。
波だって、いかにも動き出しそうに描いているでしょ。どこか前衛的に見えるところが、宗達のずば抜けた表現力なんだね。
白象はもっと鮮やかだった
そしてこれ、一番人気の『白象図』も、ぜひ近くで見てほしい作品です。

2頭の象が対で描かれています。現在は落ち着いた色調に見えますが、制作当初はもっと鮮やかでした。
右側の象は、口は赤、耳裏には淡いピンクが残っていますからね。瞳の虹彩(こうさい)は金泥で、牙にもたっぷりと金泥が施されていました。
瞳孔(どうこう)の銀泥は経年によって黒変していますが、当初は光を反射していた。
料紙装飾を仕事にしていた宗達なので、金銀泥の効果をよく知っていたんでしょう。
当時のままの場所にはまっているとはいえ、想像以上にカラフルな印象だったと思いますね。
なぜ宗達だったのか
養源院は、浅井長政(あざいながまさ)の菩提寺(ぼだいじ)として創建され、一度焼失したのち、元和(げんな)7(1621)年に再建。
その後は秀忠(ひでただ)以降の将軍が祀(まつ)られ、仏殿(ぶつでん)であると同時に、霊廟(れいびょう)的な性格ももつ空間となっていきます。
白象は普賢菩薩、唐獅子は文殊(もんじゅ)菩薩の乗り物。こうしたモチーフからも、この場所の強い守護性が見えてきますよね。
再建は元和7年ですが、杉戸絵自体は、それより少し後の寛永(かんえい)6〜7(1629~30)年ごろの制作ではないかと、私は考えています。
当時、幕府の御用絵師(ごようえし)の狩野派(かのうは)集団は、二条城(にじょうじょう)、名古屋城、江戸城、日光東照宮、大寺院の障壁画制作など、いくつもの仕事を同時進行で抱えていました。
障壁画を担う中心勢力が極度に逼迫(ひっぱく)していた時代だったんです。
その一方で、養源院では、なんらかの事情から空間整備を急ぐ必要が生じていた。
そこで、宮廷や町中で評価を高めていた宗達に白羽の矢が立ったのではないか、そう推測しています。
実際、近年の解体修理の調査では、杉戸絵の引手金具(ひきてかなぐ)の下に絵具がないことも確認されています。
つまり、まず無地の杉戸がつくられ、建物にはめ込まれたあとで、宗達が絵を描いたということ。
実際、引手金具を避けるように色が塗られていて、絵具溜まりも確認できます。
そんな杉戸絵はこれまでありません。これは極めて珍しい事例なんですよ。
宗達の“格闘”が残る場所
私は、宗達を孤高の天才芸術家というより、むしろ「卓越した職人」だったと思っています。
小画面の料紙装飾や扇面をつくる絵屋として活動しながら、技術を吸収し、その都度、目の前の仕事に応えていった。
その延長線上に養源院があったのではないでしょうか。
だから、この作品群は面白いんです。
慣れた小画面の仕事ではなく、未開拓の大画面に挑みながら格闘している熱が、そのまま画面に残っている。
しかも、障壁画として宗達作品を現地で体感できる場所は、現在、事実上ここしかありません。
約400年前、宗達が思いっきり筆を走らせた。そのライブ感を、養源院では今もまるごと味わうことができます。
奥平俊六(おくだいらしゅんろく)
大阪大学名誉教授。専門は中近世絵画史で、近世初期風俗画、狩野派、琳派など。今春刊行の共著『杉戸絵の研究』(思文閣刊)に養源院杉戸絵の論文を寄稿。主な著書に『彦根屏風-無言劇の演出』(平凡社)、『俵屋宗達』(新潮日本美術文庫)など。
養源院(ようげんいん)
住所:京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
電話:075-561-3887
拝観時間:10時~15時(最終受付14時30分)
拝観料600円
公式サイト:https://yougenin.jp/
※営業日が不規則なため、インスタグラム@yougeninを要確認。

