祝・世界遺産登録。2016年話題の美食家・北大路魯山人を徹底解説

祝・世界遺産登録。2016年話題の美食家・北大路魯山人を徹底解説

東京・三井記念美術館で6月26日(日)まで開催されている「北大路魯山人の美 和食の天才」展が話題になっています。

大正から昭和にかけて、美食家、そして陶芸家として活躍した北大路魯山人(きたおおじろさんじん)。魯山人が手がけたのは、実に20~30万点とも伝えられ、これは普通の陶芸家が手がける生涯の製作総数を上まわる驚異的な点数です。そのほかにも、書や篆刻(てんこく)、絵画などでも優れた作品を残し、今日の美と美食を形づくった人として知られています。

天才! 北大路魯山人 美と美食とその人生

北大路魯山人は明治16(1883)年、京都の上賀茂神社の社家、北大路家の次男として生まれました。社家とは世襲の神官の家柄で、いかにも裕福なお坊ちゃんのように思われますが、そうではありません。北大路家は、生活に窮する宮守の家だったのです。魯山人というしかつめらしい名前は、のちに自分がつけた号で、本名は房次郎といいます。

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房次郎は、生まれたと同時に、比叡山の先の農家へ里子に出されました。それから転々と養家が変わり、養家で「おまえは、うちとはまったく何も関係ない」と折檻(せっかん)を受けることもあり、尋常小学校に上がると、待遇を少しでもよくするために、三度三度の食事係を買ってでました。そんななかから、魯山人は食材には多くの持ち味があること、そして旬の食材のもつ素晴しさを実感していったのです。食にこだわれば心豊かになる。それは苛烈な時代と引き換えに得た、唯一の福音でもありました。

DMA-IMG_0508_r「北大路魯山人の美 和食の天才」展より『椿鉢』昭和15(1940)年ごろ 足立美術館
琳派の影響が強いこちらの大鉢は、魯山人57歳ごろの作品。直径43.2㎝という巨大な器体に、ぽったりとした紅白の椿が大胆繊細に描かれている。江戸時代の尾形乾山(けんざん)の名作として知られる椿図案の向付を意識しつつ、伝統柄である光琳菊の表現のように、椿の花びらを丸いかたちにして、抽象的に描写。そして、とりどりの葉を加えることによって、乾山の表現とはひと味異なる、躍動感にあふれた華やかさを創出。これほどズバリと椿に迫った表現は、魯山人をおいてほかにない。

10代より書の才能が開花し次第に古美術、陶芸への眼を養う

魯山人が書と出合ったのは、10代半ばごろ。当時、ちまたでは、書の懸賞で一字書きが流行っていて、魯山人はこづかい稼ぎのために応募を繰り返していました。この懸賞には、毎回、何千何万という応募がありましたが、書才に恵まれた魯山人の作品は、きまって優秀作に選出。また西洋看板の仕事も手がけ、近所で先生と呼ばれるまでになります。そして、20歳の折に実母がいる東京へ。母が四条男爵家で女中頭をしていたつながりで、男爵より有名な書家を紹介してもらうなどの縁にも恵まれたので、東京で書家を目ざすことになりました。

翌年、上野で開催された日本美術協会展の書の部に隷書(れいしょ)の千字文を書いて出品すると、これが見事に褒状一等二席を受賞します。弱冠21歳での受賞は、前代未聞の快挙でした。さらに朝鮮に渡って、彼の地で1年余りを過ごしつつ、篆刻や芸術一般も学びました。30代に入ると、文人や数寄者、陶芸家、資産家、趣味人たちと知り合います。古美術に精通していた金沢の細野燕臺(えんだい)の世話で、須田菁華(せいか)窯ではじめて陶器の絵付けを試みたのもこのころです。

DMA-IMG_6210_r「北大路魯山人の美 和食の天才」展より『青手古九谷幾何学文飾皿』 昭和8(1933)年ごろ 足立美術館 30代より金沢の数寄者との交流によって、かの地に逗留することが多かった魯山人。これは、その名残の作。現代的な意匠が面白い。

美食倶楽部から、関東大震災を経て会員制料亭の星岡茶寮へ

37歳のときに大きな転機が訪れました。友人の中村竹四郎と共同で古美術骨董を商う「大雅堂美術店」(前年まで大雅堂芸術店と称した)を開くと、店で扱う器にみずから調理した料理を盛り付け、ふるまうようになったのです。これが会員制の「美食倶楽部」の始まりでした。

「金はいくらかかってもいい。美味いものを食わせてくれ」という政財界の大物が魯山人料理を礼賛し、会員は200名にも膨れ上がります。この出来事が、その後、会員制料亭開業の契機となっていったのです。

大正12(1923)年、関東大震災で大雅堂美術店を失った2年後に会員制料亭「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」を立ち上げます。会員には、貴族院議長の徳川家達や男爵の藤田平太郎、侯爵の細川護立(もりたつ)、電力王の松永安左エ門、作家の志賀直哉や画家の鏑木清方(かぶらききよかた)ら、各界の名士が名を連ねました。

美食倶楽部時代の最初は、選りすぐりの古陶磁に料理を盛っていたものの、会員数が激増したため、そのころから新しい器の製作に取り組むようになります。星岡茶寮では、ときに100人前を超える食器一切をそろえる必要に迫られ、とうとう魯山人は本腰を入れて星岡窯という窯を創設。加賀の須田菁華窯や京都の宮永東山(とうざん)窯といった有名な窯から職人を引き抜いて、理想の器の創作に没頭していきました。

そうした魯山人の本気の取り組みが、評判に評判を呼び、昭和恐慌(1930年ごろ)のさなかにありながら、星岡茶寮の会員は千人を超えるまでに。世間では「星岡の会員に非ざれば、日本の名士に非ず」とまでいわれました。しかし魯山人は、放漫経営の責任と、強引なやり方に不満をもっていた反対勢力のクーデターによって、昭和11(1936)年、ついに茶寮を追放されてしまったのです。

DMA-068「北大路魯山人の美 和食の天才」展より『絵瀬戸草虫文壺』 昭和27(1952)年 北村美術館蔵 ススキの秋草文は琳派が好んで描いた主題だが、魯山人はこれを最も得意とした。この文様を多く描くようになったのは、星岡茶寮を追放され、孤独を慰める自然が、本当に心の友になっていたころ。

歯に衣着せぬ物言いがたたったが陶芸、美食の功績は永遠

茶寮追放後は、星岡窯にこもって、陶芸家として眼を見張る活躍をしましたが、晩年は決して幸せとはいえない部分もありました。魯山人は、美を厳しく追求する姿勢からもわかるように、遠慮なく自分の信ずるところを口にし、ときに人を人として扱わない一面もあったといわれます。周囲から煙たがられたのは、ずばりと痛いところを突く眼識と、大きな風貌からにじみ出た威圧感によるところが少なくなかったのです。

けれど魯山人の芸術は、その人間性さえも凌駕するような高みを見せ、没後から現在に至るまで、その絶対的な評価はまったく揺るぎません。昭和34(1959)年、魯山人は横浜の病院で76年の生涯を閉じます。この数年前、文部省から二度にわたって重要無形文化財(人間国宝)認定の要請がありましたが、頑として首を縦に振りませんでした。「芸術家は位階勲等とは無縁であるべきだ」という自分の信念を最期まで貫いたのです。

DMA-118「北大路魯山人の美 和食の天才」展より『桃山風椀』 昭和19(1944)年 京都国立近代美術館蔵 ゆったりとした絵付けが優雅。戦時下にあったころ、横須賀の海軍基地に近い星岡窯は窯焚きができなかったので、魯山人は漆芸に精を出していた。

「北大路魯山人の美 和食の天才」

昨年の京都国立近代美術館、島根県の足立美術館で多くの入館者を集め、大好評を博した本展。書や篆刻、料理、陶芸など多彩な分野で活躍した北大路魯山人の、料理に対する厳しい目や感性に触れられる企画展です。テーマは和食器。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことを記念して、北大路魯山人が生涯に手がけた数10万点の作品のなかから選りすぐった約120点もの和食器の優品作品を通じて、日本の美意識やもてなしの精神など、魯山人の美的世界をあますところなく紹介されています。

三井記念美術館

住所/東京都中央区日本橋室町2-1-1
ホームページ 
会期/6月26日(日)まで 
開館時間/10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日/月曜 
入館料/1,300円

「魯山人」展に多数出品! 「足立美術館」魯山人コレクションとは

島根県安来(やすぎ)市の足立美術館は、横山大観をはじめとする近代日本画の一大コレクションと、日本庭園の美しさで知られていますが、実は魯山人コレクションにおいても、質量ともに国内屈指といわれています。なんとその数、約270点! 今回の「北大路魯山人の美 和食の天才」展においても、足立美術館から多くの代表作が出品されました。

コレクションのきっかけは、美術館の創設者である足立全康(ぜんこう)氏が、この天才肌の芸術家に惹かれ、作品の魅力にのめり込んだから。昭和63(1988)年、陶芸館開館時には、地元の偉大な陶工、河井寬次郎の作品とともに魯山人作品も約200点を揃え、それを基礎に現在の豊かなコレクションが築かれたのです。

こちらの魯山人作品は、色絵の椿鉢や織部の板皿、渋い輝きを放つ銀彩鉢、志野や信楽の抹茶茶碗といったやきもののほか、漆芸作品や書、篆刻、絵画など、魯山人芸術のすべてのジャンルにわたります。

そしてそのどれもが、特別に高い質を誇っているのです。魯山人はあまり島根と馴染みがないように思われるかもしれませんが、実は松江での2度の作陶展の折に、この地を訪れています。そして、亡くなる前年に訪れた訪問では、松江や玉造(たまつくり)温泉に滞在し、宍道湖(しんじこ)の景色を満喫したといいます。

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写真・上/世界で絶賛されている「足立美術館」の日本庭園。中/陶芸館の北大路魯山人室。下/宋の詩人・蘇東坡(そとうば)の詩の一節を記した飄逸な『詩書陶器図』。「到り得て帰り来たれば別事なし 廬山は煙雨 浙江(せっこう)は潮」という詩が、染付の花入や赤絵の鉢、信楽(しがらき)壺などとともに記されている。

足立美術館では、陶芸館2階「北大路魯山人室」で常時50点前後の作品を並べ、年4回の展示替えをおこなっています(陶芸館は本館入館料で鑑賞可)。所蔵作品のすべてを見ようと思えば1年半も通う必要がありますが、魯山人作品を目当てに、また日本庭園や近代日本画の企画展にも立ち寄りながら、ぜひ、春夏秋冬のすべての季節に通ってみたい美術館です。

DMA-IMG_0927_r『鉄製透置行燈』 魯山人は陶磁器や漆器以外に、インテリアの証明にも才能を発揮。これは小田原や大船の職人につくらせた魯山人デザイン。明かりを灯すと、影絵のように懐かしい武蔵野の風景が浮かび上がる。

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『染付古詩花入』 肩から腰にかけては漢詩が記され、反対側には月や鷺、水鳥、舟を漕ぐ船頭の絵が描かれている。書と絵が渾然一体となった作品。

足立美術館 

住所/島根県安来市古川町320
ホームページ
開館時間/9時~17時30分(4月~9月)、9時~17時(10月~3月)
年中無休(新館のみ休館の場合もあり)
入館料/大人2,300円  

憧れの北大路魯山人をあなたのお手元に!

書家、陶芸家、美食家と様々な顔をもつ芸術家・北大路魯山人。その類まれな才能と共に残された数々の逸話には、今なお多くの人が惹かれ、魯山人が手がけた美術作品は高額で取り引きされています。そんな魯山人作品を購入したいと考えている方に朗報です! 「しぶや黒田陶苑」の魯山人の茶碗が「和樂の通販」に登場しました‼

近現代陶芸を扱う「しぶや黒田陶苑」は、代表の黒田草臣氏の父で、故・領治氏が公私にわたって魯山人と交流があったことから、数多くの魯山人作品を扱ってきました。今回ご紹介するのは、いずれも自由闊達な様子に見とれてしまうような名品。手に取って、お茶を一服・・・。これ以上の至福はありません。

DMA-012_1左/北大路魯山人作『鼡志野檜垣文(ねずみしのひがきもん)茶碗』2,500,000円(税込み)、右/北大路魯山人作『三島手保里(みしまでほり)茶碗』1,500,000円(税込み)

昭和10~20年代の作。刷毛目(はけめ)で施した白化粧が生きる表と、彫りを入れた見込み。高麗(こうらい)茶碗の影響がまざまざと。魯山人による箱書きの共箱に収められている。昭和20〜30年代の作。素地に鉄化粧を施し、吉祥紋様の檜垣文を掻き落し、長石釉を掛け、焼成している。見込みは茶を点てたときに映えるつややかな灰色。

詳しくは「和樂の通販HP」をご覧ください。

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