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2020.10.22

信長にも愛された皇室御物!名刀・鬼丸国綱は銀の鬼を斬った!?

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妖怪を斬った、怪異を退けた、というエピソードを持つ名刀はいくつかあります。
刀好きで知られる信長の愛刀の中にも、鬼を斬ったとされるものがありました。

鬼丸国綱(おにまるくにつな)。今回は、現在「皇室御物」となっているこの宝刀をご紹介いたします!

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鬼丸国綱とは?

鬼丸国綱は、鎌倉時代中~後期ごろに活躍した山城(現在の京都)の刀工・粟田口国綱(あわたぐちくにつな)の手になる太刀です。いわゆる「天下五剣(てんがごけん・てんかごけん)」の1つに数えられ、「鬼丸」とも呼ばれます。

御物であるため、文化財保護を目的とした国宝などの指定は受けていません。また、一般公開される機会も非常に少なくなっています。

過去の展覧会図録によると、刃長は2尺5寸8分(78.2センチ)、精緻な鉄肌と、やや広めでまっすぐな刃文のベースラインにクローブのつぼみに似た小さな「丁子(ちょうじ)」の形が描かれているといいます。

鎌倉幕府執権の北条氏、新田義貞、斯波高経、足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉(本阿弥光徳に預ける)、徳川将軍家(引き続き本阿弥家で保管)を経て、皇室御物となり、明治14(1881)年、本阿弥家から宮内省に返還されました(信長を経ず、足利義昭から直接秀吉の手に渡ったという説もあり)。

名付けの由来

北条時頼(異説に北条時政もしくは泰時とも)は、毎晩夢で小鬼に苦しめられ病気になっていました。修験者でも陰陽師でも調伏できず苦心していたところ、ある夜の夢に老翁が現れます。老翁は「自分はいつもあなたを守護している粟田口国綱の太刀だが、汚れた手に握られてしまって錆びつき、鞘から抜け出せなくなってしまった。妖怪を退治するために、清浄な者の手で刀身の錆を拭ってほしい」と告げました。
時頼(時政・泰時)は、目覚めるとさっそく身を清めた者に太刀の手入れをさせ、抜き身のまま柱に立てかけておきます。すると、太刀が近くにあった火鉢の足に倒れかかり、細工されていた銀製の小鬼の頭を斬り落としました。以後、時頼(時政・泰時)の夢に小鬼は出なくなり、体調も回復していったのでした。

以上の逸話から、「鬼丸(おにまる)」の名が付けられたといいます。

粟田口国綱とは?

鬼丸国綱を作ったのは、鎌倉時代中~後期の京都で活躍した、粟田口国綱です。後鳥羽天皇の御番鍛冶(ごばんかじ:月ごとに交代で御所に上がって作刀した刀鍛冶)の1人とされ、「この刀工の短刀を持つのがステータス」と言われた、粟田口藤四郎吉光(あわたぐちとうしろうよしみつ)の末弟にあたります。

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後に相州山内(そうしゅうやまのうち・現在の神奈川県鎌倉市)に移り住み、93歳という大変な長寿を全うしたといいます。

作品には太刀が多く、刃文はまっすぐのラインをベースとして小さな上下の動きが交じる「直小乱(すぐこみだれ)」、晩年にはクローブのつぼみに似た華やかな「丁子(ちょうじ)」のものが見られます。

なお、「国綱」の名を持つ刀工は、他に備前・肥後・三河・伊賀など60工ほどが確認されています。

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アイキャッチ画像:河鍋暁斎・メトロポリタン美術館より

書いた人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。