少しひんやりした風が心地いいこの季節。公園や旅先で、あるいは桜を愛でながら、気軽にお茶を点てられたら、どんなに楽しいことでしょう。そこで、福島県会津地方で江戸時代から愛されてきた「会津木綿」を使い、カジュアルな野点セットをつくりました。外出がもっと楽しくなる、あたたかな手仕事です。
会津木綿「再生」物語
福島県の会津地方で、400年にわたって暮らしに寄り添ってきた手仕事の布。それが「会津木綿」です。会津は、古くから棉(わた)を育て、素朴な木綿布を織ってきた土地ですが、なかでも特別だったのが、豊かな水に恵まれた会津坂下町(ばんげまち)。藍の栽培や藍染めを行い、やがて染屋みずからが織機(しょっき)を導入。染めと織りが一体となった会津木綿がつくられるようになりました。
ものづくりプロジェクト「IIE Lab.」。織機のある工房はガラス越しでの見学のみ可能。会津木綿の製品を販売するShopも併設。
「ただ、時代と共に需要が減り、会津木綿は廃れかけてしまったんです」と語るのは、ものづくりプロジェクト「IIE Lab.」を主宰する千葉崇さんと谷津拓郎さん。北国の伝統が失われかけていること、それを織るための織機も、廃工場で打ち捨てられたまま30年経っていることに衝撃を受け、一念発起したのです。
千葉崇さん。現在この織機で木綿を織れるのは工房で千葉さんひとり。
「長く愛されてきた手仕事を、なんとか次の世代に繋げたい。まずそういう気持ちがありました。と同時に、ボロボロに錆びながらもものづくりの逞しさを宿す織機を見て、面白そう!と、ワクワクしてしまったんです。この機械を直せば、自分たちの手でまた織ることができるかもしれないって」(千葉さん)
工房の建物は元・幼稚園。
こうして始まったのが、会津木綿再生プロジェクトです。廃校になった幼稚園を工房として借り受け、錆びた織機を自分たちで移設。しかし「豊田式織機」と呼ばれるこの織機は、大正5(1916)年に購入されたもの。修復に手はかかるし、当時の部品を探すだけでひと苦労。
「しかも僕らは織り方も知らない素人でした。特に、会津坂下町に伝わる『青木縞(あおきしま)』と呼ばれる縞の織り方は30年以上前に織っていた人の頭にしか残っていない。その方々を訪ねて当時の話をうかがったり、同じように織物の産地である米沢や桐生を訪ねて教えていただいたり。地道な作業を繰り返し、ようやく織れるようになったのが3年前でした」
30年前に一度廃れた縞を再現した「会津青木木綿」。
修復した豊田式織機は、手だけを使ういわゆる「機織り(はたおり)」ではなく、モーターの動力を使う機械です。
「機械といっても一台一台にクセがあり、その性格をつかむのは人間です。気温や湿度で機械の調子も変わるし、糸の状態も変わります。平織の織物はシンプルですがごまかしがきかず、とてもデリケート。機械というより道具ですね」(千葉さん)
会津青木木綿。大正時代につくられた古い織機を使い、今回の「野点セット」のための新たな布が織り始められている。
現在ふたりは、復活させた会津木綿で布小物などを制作。企画からデザイン、織りまでを手がけています。「せっかく再生した手仕事を次世代に繋げるためには、今の暮らしになじむデザインに変換することが必要。伝統の縞模様をもとに、太さや糸使いにアレンジを加え、新しい時代の会津木綿を目ざしています」
和樂謹製「会津木綿の野点セット」42,984円(税込)
こうしてよみがえった北国の布を日常に…と考え、和樂が制作したのが「会津木綿の野点セット」なのです。