世界を驚かせた日本工芸の至宝!明治の超絶技巧を生み出した職人たちの物語

世界を驚かせた日本工芸の至宝!明治の超絶技巧を生み出した職人たちの物語

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長い歴史の中で育まれ、連綿と受け継がれてきた日本の伝統工芸。その技のすべてを結集したと言うべき、精緻極まりない装飾を施した工芸品が、明治という時代に彗星のごとく登場しました。日本工芸の技の粋を追求した、ひとつの極致とも言える「明治の超絶技巧」にまつわる物語をご紹介します。

平安時代から連綿と続く工芸ここに極まれり!

長き鎖国を終えようとしていた江戸時代末期から、広く西洋に門戸を開くことになった文明開化後の明治時代にかけて、日本の工芸品は間違いなくひとつの頂点に達したと言えます。それが今回ご紹介する「明治の超絶技巧」と呼ぶべき工芸品の数々です。

世界を驚かせた日本工芸の至宝!「明治の超絶技巧」を生み出した職人たちの物語錦光山(きんこうざん)「菊唐草文ティーセット」 薩摩 カップ・高さ4.8㎝ ソーサー・径13.7㎝ ティーポット・高さ12.8㎝ 明治時代 清水三年坂美術館 薩摩焼のルーツは桃山時代に遡るが、金彩による精緻な色絵の焼物として知られるようになったのは幕末から。明治時代に海外を中心に人気を博し、各地に工房が出現した。「錦光山」は京都にあった窯元。

この時代に編み出された七宝(しっぽう)、金工、さらには漆工や牙彫(げちょう)、陶磁器類といったジャンルの工芸品は、およそ人間ワザとは思えないほどに精緻で緻密な装飾が施されています。ものによっては見る者の度肝を抜くほどの奇抜なデザインで、鑑賞者すべてを圧倒するほどです。

世界を驚かせた日本工芸の至宝!「明治の超絶技巧」を生み出した職人たちの物語白山松哉(しらやましょうさい)「渦文蒔絵香合」 漆工 径9.0㎝ 明治時代 清水三年坂美術館 緻密で細密な研出蒔絵を得意としていた白山松哉。本作は僅か9㎝ほどの小さな香合の全面に大小様々な渦巻きや波頭を漆によって描いた緻密さが特徴。漆の線描は一方向にしか筆を動かせず、器を回して渦巻きを描いているというが、それにしても空恐ろしいテクニックだ。これぞ正しき超絶技巧の極み。

驚異の技と美を宿した日本を代表する工芸品の数々は、1世紀以上も前から欧米を中心に世界中の人々を魅了してきました。それは、これら「明治の超絶技巧」の卓越した技と繊細な感性が、理屈抜きに、無言のうちに、その凄みを見る者に伝えてきたからにほかなりません。

時代の要請に応えて技の極みを迎えた明治時代の超絶技巧

ではなぜ、こうした究極とも呼ぶべき工芸品の数々が、明治という時代に誕生し、海外にまでその名声を轟かせたのでしょうか。そこには、江戸から明治へと時代が大きく揺れ動いたことが大きくかかわっていました。

世界を驚かせた日本工芸の至宝!「明治の超絶技巧」を生み出した職人たちの物語柴田是真(しばたぜしん)「菊尽蒔絵印籠」 印籠 6.5×5.3㎝ 3段 幕末〜明治時代 清水三年坂美術館 文化4(1807)年生まれの柴田是真は、漆芸だけでなく絵画の世界でも名を馳せ、途絶えていた青海波塗(せいがいはぬり)を復興するとともに紫檀塗(したんぬり)や色漆で絵を描く漆絵の技法を発明したことでも知られる。黒漆を背景に咲く金銀大小の菊花が、是真の高い技術力を物語る。

それまでの徳川将軍家による幕藩体制下においては、刀装具や調度品、さらには印籠や根付、仏具といった各藩を代表する工芸品を手がけるため、金工師や蒔絵師といったおかかえの職人たちが数多くいました。将軍家や諸大名が必要とするそれら工芸品の数々は、彼らがパトロンとなっていた職人たちによって制作され、職人たちのもてる技術と美意識は、大いに磨きをかけられていったのです。

しかし、激動の明治維新を契機に、既存の体制であった武家社会が終焉を迎えると、職人たちはこれまでの後ろ盾を失い、連綿と培ってきた超絶的なテクニックとものづくりの感性を発揮する場を失います。そこで着目したのが、これまでは手がけることの少なかった香炉や花瓶、茶碗や鑑賞陶器といった、暮らしのさまざまな場面を彩る工芸品のジャンルでした。

世界を驚かせた日本工芸の至宝!「明治の超絶技巧」を生み出した職人たちの物語村上盛之「冬瓜大香炉」 金工 高さ26.0㎝ 明治時代 清水三年坂美術館 水戸出身で、帝室技芸員として活躍した金工師・海野勝珉(うんのしょうみん)の父・海野美盛(びせい)に師事した金工師だったという村上盛之だが、その消息は謎に包まれている。本作は四分一と呼ばれる銅と銀の合金で本体が、赤銅によって表現された葉と金で表された花が蓋となっているという香炉。冬瓜に寄り添う手前のキリギリスも金で制作されているというが、触ると折れてしまいそうなほど極細の脚の表現が作家の高い技術力を物語る。

刀装具や各種調度品づくりで培った、高度な技を駆使した名工たちの手によるこれらの作品は、明治政権下で新たなるパトロンとなった貴族や皇室の求めに応ずることとなり、工芸の未来を切り開く「明治の超絶技巧」として花開くことになったのです。

金工や漆工、蒔絵に牙彫と超絶技巧はジャンルを超えて

新たな需要層を求めて工芸の未来を模索しはじめた明治の工芸作家たち。その発展の礎となったのは、明治政府が推し進めた新たな工芸品による産業振興でした。明治政府は、七宝や金工、漆工や陶磁器のジャンルで超絶技巧を凝らした工芸品を、積極的に海外に売り出すことで外貨獲得を画策。明治の工芸は経済発展の一翼を担うべく産業の最重要品目として一躍脚光を浴びたのです。

こうした流れを受けて、明治を代表することとなる工芸作家たちは、ウィーンやパリなど世界各地で開催された万国博覧会に作品を出品しようと制作に没頭。それぞれが切磋琢磨することで、「明治の超絶技巧」はその極みへと達することになりました。

幕末から盛んにつくられるようになった七宝の世界では、京都に窯を構えた並河靖之(なみかわやすゆき)が、繊細で緻密な色彩と文様が特徴の七宝作品を多数生み出します。並河は、ドイツ人のお雇い外国人の指導によって改良された釉薬(ゆうやく)によって、鮮やかな色彩表現が可能となっていた七宝の世界にさらなる魅力を加えるべく尽力。試行錯誤の末に有線七宝の技を究め、華麗で優美な文様の作品を誕生させ、世界を大いに魅了したのです。

世界を驚かせた日本工芸の至宝!「明治の超絶技巧」を生み出した職人たちの物語正阿弥勝義(しょうあみかつよし)「古瓦鳩香炉」 金工 高さ15.0㎝ 明治時代 清水三年坂美術館 岡山・池田藩のお抱え職人として、主に刀装具をつくっていた正阿弥勝義は、明治になって室内装飾品の制作に従事。優れた技術で高い評価を得た金工師である。本作は金工によるリアルな古瓦の再現も見事ながら、鳩とクモの一瞬の攻防を捉えた情景描写も見事といえよう。

金工の世界では、ともに刀装具制作に従事していた正阿弥勝義加納夏雄らが、そこで培った高い技量を輸出向けの装飾性豊かな花瓶や香炉、宝石箱などに施し、新たな工芸の世界として活路を見出すのです。特に日本の金工は、金や銀、赤銅、素銅、四分一(しぶいち)といった多様な色合いの金属を使い分けた上で、高度な彫りと複雑な象嵌(ぞうがん)技術によって加工され、世界に類を見ない超絶技巧として博覧会場で絶賛されました。

世界を驚かせた日本工芸の至宝!「明治の超絶技巧」を生み出した職人たちの物語安藤緑山(あんどうろくざん)「竹の子、梅」 牙彫 長さ37.0㎝ 明治時代 清水三年坂美術館 明治後半から昭和の初期にかけて活躍した安藤緑山は、写実を極めた圧倒的な描写力と高い彩色技術を駆使した牙彫作品で知られる。この竹の子も、優れた彫刻技術と、謎とされている彩色技法によって、象牙でできているとは信じ難いほどの存在感を放っている。

こうした流れは七宝、金工に留まらず、江戸時代から受け継がれてきた蒔絵や印籠に代表される漆工、根付に端を発する木彫や牙彫作品にも及びました。漆の世界では漆絵や青海波塗の復興で知られた天才蒔絵師・柴田是真が、牙彫では後に彫刻家としても名を馳せる謎の牙彫師・安藤緑山らが、筆舌に尽くし難いほどの超絶技巧を発揮して、特に海外で高い評価を得るのです。

明治という新時代の要請に応えつつ、ひたすらに己の矜持を胸に技を研鑽し続けた職人たち。彼らの比類なき技の集積があるからこそ、「明治の超絶技巧」は日本を代表する工芸の極致として、今も世界にその名を轟かせているのです。

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