もはや美術工芸品! 和時計に秘められた江戸時代の知られざる超絶技巧

もはや美術工芸品! 和時計に秘められた江戸時代の知られざる超絶技巧

目次

これまで3回に渡ってお送りしてきた「江戸時代の趣味娯楽に対する情熱が生んだすごいもの」シリーズですが、最後は「番外編」といたしまして、日本独自の時計、和時計についてお送りします。

江戸時代に機械式時計が、それも世界で唯一の不定時法に合わせた機械式時計が存在したことをご存知ですか? それは決して趣味娯楽から生まれたものではありませんでしたが、現代の工業製品とは一線を画する、美術品としての要素が強いものでした。当時の「メカオタク」が生んだ美術品の集大成、和時計の魅力をご堪能ください。

もはや美術工芸品! 和時計に秘められた江戸時代の知られざる超絶技巧
一挺天符枕時計(セイコーミュージアム)

西洋の機械式時計は使い物にならなかった?!

日本に初めて時計が輸入されたのは、記録によると1551年、キリスト教の布教にやってきたフランシスコ・ザビエルがもたらしたとされています。その後次々に来日した宣教師たちは、天文機器などとともに時計の製作技術ももたらしました。初めて見る機械式時計に、好奇心旺盛な人々は胸を高鳴らせたに違いありません。が、ここには一つ重大な問題がありました。西洋の機械式時計には、実用性がないのです。当時西洋では、すでに現代と同じ1日24時間の定時法が採用されていましたが、日本ではそれとは全く違った「不定時法」という方法で時間を数えていたからです。

複雑至極な時間の進み方、不定時法とは?

現在の世界基準である定時法では、1日は24時間と決まっており、1時間の長さも均等ですが、不定時法では違います。不定時法では、まず一日を昼と夜に分けます。そしてそれぞれを6分割し、1日12刻とします。昼夜の切り替えの基準となるのは夜明けの「明六つ」と、黄昏時の「暮六つ」。明六つが一日の始まりで、時間が進むとそこから5つ、4つ、と下っていき、4の次はなぜかいきなり9に飛びます。それからまた8つ、7つ、と下って暮六つになると夜の始まりです。なぜ数字を足すのではなく引くのか、なぜ基準が6なのか、なぜ1〜6ではなく、4〜9にしてしまったのか、いろいろとツッコミどころはあります。

また、十二支を使って一日を12刻に分ける呼び方もあります。この場合は、一刻をさらに四等分して、「牛一つ」「牛二つ」と呼びました。有名な「草木も眠る丑三つ時」とは、現在の午前2時〜2時半くらいのことをいいます。

さて、複雑なのは時の呼び方だけではありません。当然、昼と夜の長さは季節によって違います。ですから不定時法では、同じ一刻でも冬は夜が長くて昼が短く、逆に夏は昼が長くて夜が短いのです。

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夏至と冬至の時間配分(大名時計博物館)

和時計の誕生-日本で使える機械式時計が作りたい!

定時法の機械式時計が役に立たない以上、システムを定時法に変えるか、時計を不定時法に合わせて改良するしかありません。お天道様に合わせて生活を営むことに慣れていた江戸時代の人々が採ったのはもちろん、後者の道。こうして時計師たちの大冒険が始まったのでした。

時計は指針が一定の速さで文字盤の上を動くことで時間を知らせますが、これでは昼夜で一刻の長さが違う不定時法には対応できません。

そこで生み出されたのが尺時計と呼ばれる縦長のものさしのような時計です。尺時計は、錘(おもり)によって指針が下に落ちることで、文字盤に並んだ時刻を示すというもの。文字盤に刻まれた目盛りの間隔が、あらかじめ一刻の長さ分になっているので、指針が一定の速さで動いても、昼夜で違う一刻の長さに対応できます。さらに、目盛りの間隔を変えた文字盤を交換さえすれば、季節によって違う昼夜の長さにも対応できるという画期的な作品でした。

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尺時計と間隔の異なる7種類の文字盤(大名時計博物館)

もっと機械化したい! さらなる進化を遂げる和時計!

指針の進むスピードを変更することなく、目盛りの間隔を変えるという逆転の発想で不定時法の複雑さをクリアした時計師たちでしたが、もちろん彼らの挑戦はそこでは終わりません。

さらに進んだ和時計では、なんと指針の動く速度がコントロールできるようになったのです! 「一挺天符(いっちょうてんぷ)」と呼ばれるタイプでは、一日二回、朝夕に人の手で切り替えを行わなければなりませんが、後に進化した「二挺天符(にちょうてんぷ)」には2種類の機械が搭載されていて、昼夜切り替えのタイミングで指針の進むスピードが自動的に切り替わるのです!

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二挺天符目覚付袴腰櫓時計(セイコーミュージアム)

昼夜の切替えは自動になりましたが、では、季節によって違う時間の進み方にはどう対応したのでしょうか。厳密に言うと、昼夜の長さは「季節によって」ではなく毎日少しずつずれていくものです。しかしさすがに毎日は調整できないので、春分、夏至、秋分、冬至の間をそれぞれ六等分した二十四節気ごと(15日毎)に人の手で調整を行っていたようです。

和時計は「大名時計」だった! 「時の鐘」で充分だった庶民の時間

和時計は、別名「大名時計」とも呼ばれています。扱いがとても難しい上に、非常に高価だった和時計は、主に大名家で公務に使われることを目的としたからです。では庶民はどうだったかというと、実は一般人がこの時計にお目にかかることはほとんどなかったと言われています。不定時法では太陽の動きで時刻を計れますし、曇や雨の日でも、「時の鐘」さえ聞こえれば、生活には充分だったからです。時の鐘とは、江戸の街で一刻に一回撞かれていた鐘で、時報のようなものです。17世紀には全国に広がり日本中で鐘が鳴っていたと言われています。

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川越市に現存する「時の鐘」(小江戸川越観光協会)今でも、午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回、川越に時を告げています!

時の鐘には「町の鐘」の他、「城の鐘」といって各藩の大名屋敷で政務時間を管理する目的で鳴らされた鐘、また「寺の鐘」といって仏事や勤行のために寺院で鳴らしていた鐘がありました。一般市民には必要なくとも、それらの鐘を正確な時間に鳴らすには、やはり機械式時計が必要だったのです。

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忠臣蔵八景 二だん目の晩鐘(セイコーミュージアム)大名家には必ず、一日中時計の番をする時計係がいたそうです。

実用品を超えて・・・美術品の境地へ?!

和時計、またの名を大名時計は、大名屋敷で時間を管理するという立派な役割を与えられた、まごうことなき実用品です。しかし、一つ一つのパーツを全て人の手によって仕上げた時計師たちがもっとも注力したのは、機械としての正確性よりも、そのデザイン性だったと言われています。和時計の指針や文字盤、外装部の意匠は一つ一つ違います。そして、そのどれもが本当に美しいのです。時計師たちのプライドは、技術者としてというより、アーティストとしての優れた技巧にあったのかもしれません。こうして和時計は発展とともに、美術工芸品としての要素を強めていくことになります。

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意匠の例(全て大名時計博物館)

時計師のこだわりが爆発! からくり時計も登場!

美術工芸品となれば、後はもう独創性と遊び心を発揮するのみです。アラーム時計、オルゴール時計、からくり時計など、現代の私達にも馴染み深い仕組みはおてのもので、当時すでに作られています。さらに趣向を凝らしたものになると、卦算時計(けさんどけい)、印籠時計など、ちょっぴりマニアックな作品も生み出されました。

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卦算時計(セイコーミュージアム) 卦算(けさん)とは文鎮のこと。卓上時計としての機能を持ちながら文鎮にも使用できるというスグレモノ。物書きにはたまらない一品?!

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べっ甲蒔絵枠時打印籠時計(セイコーミュージアム) 当時誰もが持ち歩いた印籠(薬入れ)に時計機能がついたもの。印籠時計は持ち運びがしやすいため数多く作られましたが、こちらは水戸藩主徳川斉昭(1800-1860)の所持品と伝えられ、美術品としても評価が高いとか。

また特筆すべきなのは、和時計を作っていたのは一流の時計師たちばかりではなかったということです。江戸時代のベストセラー本、「機巧図彙(からくりずい)」という専門書には、和時計の部品が丁寧に図解され、構造や作り方まで解説されています。中にはこの本を片手に、自身の生活には必要ない(?!)和時計を独学で作り上げた一般人もいたかもしれないのです。

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「機巧図彙」(寛政8年)より。(国立国会図書館デジタルコレクション)

ついにたどり着いた超絶技巧の最高峰:万年時計

和時計の最高峰と国内外で称賛される時計があります。いわゆる万年時計です。万年時計は、正式名称を「萬歳自鳴鐘(まんねんじめいしょう)」といって、一度ゼンマイを巻くと、以後250日間も動き続けることからそう名付けられました。作ったのは、江戸時代後期の発明家、「からくり儀右衛門」こと田中久重です。機械の設計のみならず、1000点を超える部品をほとんど一人で自作したというから驚きです。

文字盤は六面からなり、和洋の時刻文字盤、二十四節気、七曜、十干十二支、月の満ち欠け、日付などが表示されています。さらに天頂部には、正確な日本地図の上を太陽と月が運動するプラネタリウムまでついているのです。

構造や機能のすばらしさもさることながら、七宝や彫金による細やかな模様を施した贅沢な外装部は、誰もが息を飲む美しさです。

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萬歳自鳴鐘(複製)(東芝未来科学館)

ものづくりは楽しい! モチベーションの源泉は、「美しいものが作りたい」

江戸時代、それは人々の粋な遊び心を源泉に、後に「日本代表」と呼ばれることになる一級品がたくさん生まれた時代です。和時計は、決して趣味娯楽から生まれたものではなく、「不定時法」で生活していた日本独自の時計が必要だったために生み出された、立派な必需品です。しかしその技術は、機械としての正確性が求められた西洋の時計とは少し違った発展の系譜をたどりました。作品のオリジナリティや美しさに非常な重きが置かれた和時計には確かに、江戸時代特有の「趣味娯楽に対する情熱」が息づいているのです。

また、独自の技術発展を遂げた和時計は、現在美術的にも技術的にも、この時代のどこにも類を見ない一級品として評価を受けるに至っています。「ものづくりは楽しい」「美しいものが作りたい」。本当にすごいものというのは、そんな「粋な」モチベーションを糧に生み出されるものなのかもしれません。

文/笛木あみ

「江戸時代の趣味娯楽が生んだすごいもの」連載記事一覧
・第1回 浮世絵を大発展させたのは江戸の「おもしろカレンダー作り」だった?! 大小暦が、世界に誇る日本美術「錦絵」になるまで
・第2回 江戸のやりすぎ? 園芸ブーム! 変化朝顔のディープな世界
・第3回 人の魂生き写し?! 効率化とは無縁の江戸時代「からくり人形」の世界

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