日本のナイフ産業の分岐点「刃物追放運動(刃物を持たない運動)」はなぜ起こったのか?

日本のナイフ産業の分岐点「刃物追放運動(刃物を持たない運動)」はなぜ起こったのか?

目次

日本国内のナイフコレクター、職人、そして肥後守を始めとする日本の伝統的ナイフのファンは、異口同音に「昭和30年代の刃物追放運動がなければ」と語る。

「刃物追放運動」または「刃物を持たない運動」が日本の刃物産業に多大な悪影響を与えたのは事実である。

肥後守は、その固有名詞自体が登録商標で、兵庫県三木市の刃物製造業者の組合員であれば同型ナイフに「肥後守」と刻印することができた。それが今では永尾かね駒製作所のみが肥後守の生産を続けている状態だ。

この記事では、日本のナイフ産業を急激に衰退させる分岐点になった刃物追放運動について考察していきたい。

日常から刃物が消えた!

1960年(昭和35年)10月12日、日本社会党委員長浅沼稲次郎が殺害された。

犯人は右翼活動家の山口二矢で、この当時の山口は17歳。自宅で偶然見つけた脇差を使い、浅沼の腹部を刺したのだ。

この直後から、民間の団体やPTA、青年団、婦人会等による「刃物追放運動」が活発になっていく。

小学校では児童の筆箱から肥後守が消え、同時に肥後守の需要自体も急激に減った。学校と地域が子供たちに対してそのように指導した、と表現してもいいだろう。山口が浅沼を殺害した凶器は脇差であるにもかかわらず、小型のフリクションホルダーナイフからハサミに至るまで「人を殺せる危険なもの」として、大人たちがそれを取り上げたのだ。

SNSというものがある今なら、ただ単に道具を取り上げるだけの運動に対して批判の声が上がるだろう。

だがこの当時でも、肥後守の産地である兵庫県三木市のナイフメーカーをいかに保護するかということが、政治家の口から提唱されていたのだ。

「肥後守の保護」を呼びかけた議員

民主主義の国の議会は、必ず議事録というものを作成しなくてはならない。質問主意書やそれに対する答弁書も、長年に渡って保管する義務が政府にはある。

衆議院の公式サイトでは、過去の国会での質問とそれに対する答弁が公開されている。ここで世界中の誰しもが記録を閲覧できる。

1961年2月28日に田中武夫衆議院議員が提出した質問主意書は、肥後守と刃物追放運動に関する内容だ。以下、それを引用したい。

刃物追放運動に伴う中小零細企業の救済に関する質問主意書

最近、続出する右翼のテロ行為及び青少年の犯罪等から「刃物追放運動」が行なわれ、政府においても治安立法が考えられているが、金物業界の中小零細企業の中には、この運動の余波を受け、町の刃物店は年末から軒並みに売り上げが三割に減じ、返品が殺到する全国各産地の刃物工場は、在庫激増で閉鎖寸前にまで立ち至り、整理された従業員が自殺する騒ぎまで生じており、その経営が危たいにひんし、深刻な問題となつている。
政府は、次の諸点についてどのように考えているか伺いたい。

(イ) 刃物追放運動の「刃物」とはどのようなものまで考えているのか。刃物と学童用の文房具(工作用の器具を含む。)との限界について。

(ロ) この運動の余波を受けて、経営上深刻な問題に直面している中小零細企業に対し、どのような対策があるか。
ことに、兵庫県三木市、小野市は古来伝統のある金物の産地として知られており、この地方には零細な金物製造業者が多く、三木市ではかつては月五万ダースの肥後守を出荷していたのに、十二月には二百六十ダースに落ち、新規注文は皆無の状態である。
また小野市では十二月に約三万ダース(三百万円)の返品があり、在庫額は千七百万円に達している。このように目下業界は死活の重大時に直面しているが、具体的救済策があるか。

(ハ) 治安立法(銃砲刀剣類等所持取締法改正案)において「刃物」をどのように規定しようとしているのか、また、政府は右翼テロ対策を刃物追放ですりかえようとしているのではないか。

右質問する。
衆議院公式サイトより)

ここで付け足しておくべきは、質問者の田中は社会党左派の議員であるという点だ。

自分たちの政党のリーダーが刺殺されたのだから刃物追放運動に積極的だったのではと想像してしまうが、実際の社会党は刃物追放運動に対して明確な反対姿勢を示していた。「一般犯罪と右翼テロを混同するな」と主張していたのだ。

田中の質問に対する、当時の総理大臣池田勇人の回答は以下の通り。

衆議院議員田中武夫君提出刃物追放運動に伴う中小零細企業の救済に関する質問に対する答弁書

(イ) 「刃物を持たない運動」は、最近の少年非行、とくに凶器類を使用した凶悪犯や粗暴犯の増加の傾向にかんがみ、青少年犯罪を未然に防止するため、刃物類を不必要に持ち歩かないようにしようとするものである。
この運動は、最初、民間から始まり、ついで青少年問題協議会および広範な民間団体の支持協力の下に展開されている。
したがつて、この運動は、
 1 不必要に危険な刃物類を持ち歩かない風潮を高めること。
 2 刃物類の保管、管理に十分注意するよう関心を高めること。
 3 児童、生徒が不必要に刃物類を持ち歩かなくてすむように、学校に鉛筆削り器、工作用具等を備えつけるようにする。
 4 必要があつて携帯する場合の安全な携帯の指導をすること。
等を主眼として行なつている。
また、この運動の対象とする刃物の範囲についていえば、特定の刃物のみを対象とするものでなく、人を殺傷する危険性のある刃物一般の携帯を自粛させようとするものであるが、法にふれない限り、その所持まで抑制しようとするものではない。したがつて学童用の文房具や家庭用の日常刃物類に対してまでもその所持及び販売の抑制に及ぶものではない。

(ロ) 刃物類製造業の当面の不振は、文房具様式の変化に加えて「刃物を持たない運動」による影響も否定できない。とくに肥後守の生産地である三木・小野両市は相当の影響を受けていると考えられる。
これに対しては、「刃物を持たない運動」に伴う関連業界なかんずく中小企業者に対する影響に十分留意して政府としては次のような措置を講ずるようにしたい。
 1 できるだけ危険性の少ない刃物を工夫して生産する。
 2 鍛工業として進出の余地ある家庭用器物等の生産により品種の多様化をはかる。
 3 当面の滞貨融資、今後の立ち直りのために必要な資金等については、商工中金等を通じて融資の円滑化をはかる。
なお、一月末現在商工中金より一〇、三六〇千円(販売組合五、一六〇千円、メーカー組合五、二〇〇千円)を三木市の金物関係組合に融資している。

(ハ) 最近における銃砲刀剣類等による犯罪の増加の傾向にかんがみ、銃砲刀剣類等の規制を強化する必要があるので、銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正することを検討中である。
この中で現在刃物に関係するものとして検討している事項は、比較的安全なもの以外の飛出しナイフの所持の禁止及び刀剣類と同じ程度の殺傷力を有する刃物を業務その他正当な理由がなくてもち歩くことの禁止である。
このことの結果として暴力事犯の防止に対する好影響はあると考えるが、右翼テロ対策については、さらに多角的にその対策を考究しつつある。

右答弁する。
衆議院公式サイトより

官製ではなかった「刃物追放運動」

「刃物追放運動により、三木市と小野市の刃物製造企業に悪影響が及んでいる」とする田中の質問に、池田は「運動による影響も否定できない」としている。つまり、野党の見解を事実と認めているのだ。

その上で池田は「したがつて学童用の文房具や家庭用の日常刃物類に対してまでもその所持及び販売の抑制に及ぶものではない」と回答している。肥後守は規制の対象にするべき刃物ではない、ということだ。

刃物追放運動とは民間の団体が自主的に始めたものであり、政府は一切関与していないという意味でもある。

池田政権は刃物製造業の救済に消極的だったわけではなく、答弁書にもあるように1961年1月までに1036万円の公的資金を三木市の組合に投入している。当時の大卒初任給は1万5000円前後、プロ野球の長嶋茂雄の60年度年俸は720万円だった。今の貨幣価値で見ると、数億円の公的資金が三木市の刃物産業に回されたということだ。

与党も野党も、政治家は誰ひとりとして「刃物が悪い」と考えていなかった。が、その後の政府は過熱化する巷の運動に引っ張られる形で、銃刀法を改正していく。この法改正についても、与野党両陣営の議員が「産業縮小の懸念」を議会で口にしていた。議事録にその発言が残っている、ということだ。

インターネットが産業再興のきっかけに

政治的権限のない民間の団体があるひとつのスローガンを掲げ、それを確立された権威のように振る舞う光景は「空気を読む国」日本ではしばしば見かける。

結局、日本の刃物産業は浅沼事件以前の隆盛を取り戻すことはできなかった。

だが、時代の流れというものはテクノロジーに左右されることがよくある。インターネットは情報の受信と共に、自らが情報を発信する手段を提供している。肥後守のファンがその情報をSNSで発信し、世界各国のナイフコレクターがそれをシェアする。

テクノロジーの進化により、日本製ナイフのコレクターは世界中に存在することが明らかになった。この追い風を活かせるか否かは、我々一般市民の刃物産業に対する理解にかかっている。

日本のナイフ産業の分岐点「刃物追放運動(刃物を持たない運動)」はなぜ起こったのか?
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