旬の食材を美味しく料理する日本料理職人、木造家屋を建てる大工や神社仏閣を建てる宮大工、近年注目を集める日本刀の美を引き出す研師(とぎし)……こういった職人の仕事に欠かせないものが、刃物を精緻に美しく研ぎ上げる砥石(といし)です。
現在、一般的に使われる砥石のほとんどは人工的に作られた人造砥石です。しかし、工業化が進むまで日本では天然の石を使った天然砥石が使われていました。そして今でも、刃物道具を使う職人の中には天然砥石を大切に使い続けている人がいます。
今回は、天然砥石とはどういった石なのか、人造砥石との違いはなにか、なぜ今でも職人に使い続けられているのかについて紹介します。
そもそも、砥石ってどんな石?
家庭でも、包丁の研ぎなどに使う砥石。しかし、当然ながらどんな石でも砥石として使えるわけではありません。
では、そもそもどういう石が砥石として使われるのでしょうか。
ポイントとなるのは、石の「硬さ」です。そしてこの「硬さ」には大きく2つの種類があります。ひとつめは、石に含まれる粒の硬さ。そしてもうひとつが、石そのものの硬さです。
砥石の原理は、刃物などを石で削って鋭くすることです。ということは、砥石は刃物を削ることができる程度の硬さの粒を含んでいなければいけません。刃物より柔らかい石を使うと、石のほうが削れてしまうからです。この粒を「砥粒(とりゅう)」と呼びます。
さらに、砥粒を含む石そのものも、柔らかすぎず硬すぎずという適度な硬さでなければいけません。柔らかければ研いでいるうちに石が崩れてしまいます。硬すぎると今度は、刃物がつるつるすべるだけで研げないという問題が出てきます。
つまり
・刃物を削るのに適した硬さの粒が
・石としても柔らかすぎず硬すぎない程度な硬さで固められている
石が、砥石に適した石ということになるわけですね。
砥石文化は縄文時代以前からあった!
では、この砥石の文化はいつから始まったのでしょうか。「砥石って刃物を研ぐものだから……鉄が日本にきたくらいから?」と考える人も多いかもしれませんね。
しかし、日本の砥石文化は、鉄が日本にやってくる前から存在していました。
たとえば、石器時代。当時の人たちは、硬い石を割ったり削ったりしたものを道具として使っていました。また、石だけでなく、木の枝や動物の骨や角などの先を削って鋭くし武器として使うこともありました。このように何かを鋭く削って道具をつくるためには、硬い石を使って研ぐことは必要不可欠です。
また、もう少し時代が下がると、きれいな石を磨いて勾玉などの宝飾品に加工することも始まりました。このような加工にも、別の硬い石を使って形を整え表面をなめらかにする必要が出てきます。ここにもまた、砥石が活躍したと思われます。
研ぎや研磨に使われたであろう石は、日本でも縄文時代の遺跡から出土します。たとえば、滋賀県東近江市にある縄文時代初期の相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき)や、埼玉県熊谷市にある同じく縄文時代初期の萩山遺跡(はぎやまいせき)からは、有溝砥石(ゆうこうといし)と呼ばれる砥石が発見されています。
有溝砥石は、手のひらにすっぽりおさまる程度の石で、中央に溝が1本あります。この溝は、石器や骨角器を研磨した跡ではないかといわれています。
人造砥石の登場と、天然砥石の減少
このように、縄文時代から日本人にとって必要不可欠だった砥石ですが、現在、天然砥石の採掘量は大きく減りました。その理由は、大きく3つあります。
1つめは、性能がよく安価な人造砥石が一般的になっていること。
人造砥石とは、人工的に砥粒を固めて作った砥石です。人造砥石は、性能が安定している上に安価に大量生産することができます。そのため、現在では刃物を使う職人の間でも、道具の研ぎに人造砥石を使うことがほとんどです。
2つめは、長年の採掘により、質のいい天然砥石が枯渇しつつあること。
たとえば、古くから日本刀の研磨にも使われていた砥石には、浄教寺砥(じょうけんじど)、三河白(みかわじろ)もしくは名倉砥(なぐらと)と呼ばれるものがありますが、これらは良質な砥石が枯渇したため、鉱山が閉山されてしまいました。
そして3つめは、砥石そのものの需要が減ってきているということ。
現在は、たとえば一般向けの工具にも使い捨てのものが増えています。つまり、自分で砥石を使って刃物をメンテナンスしながら使うという文化自体が減ってきているのです。
有名な砥石の産地のひとつである京都府亀岡市エリアでは、従来、丹波青砥(たんばあおと※1)と呼ばれる砥石や合砥(あわせど※2)と呼ばれる砥石を産出していました。しかし需要の低下を受け、現在は青砥はもう採掘されておらず、合砥は1ヶ所でのみ採掘されているという状態です。
※1…青砥と呼ばれる砥石のひとつ。大工道具の中研ぎや包丁の仕上げ研ぎに使われる。丹波青砥は全国的に流通していた、青砥の代表的な種類のひとつ
※2…仕上げ用に使われる砥石。代表的な産地は京都市右京区の愛宕山、梅ヶ畑など。これと同じ岩盤が亀岡の付近にも続いていることから、亀岡でも産出されていた
天然砥石と人造砥石、それぞれの特徴
では、天然砥石と人造砥石はどう違うのでしょうか。もっとも大きな理由は、砥粒の「硬さ」です。硬さが違うとはどういうことなのか、具体的に説明していきましょう。
比較的柔らかい天然砥石、硬い人造砥石
石(鉱物)の硬さを表す尺度のひとつに、「修正モース硬度」というのがあります。修正モース硬度は1から15まであり、最も柔らかいものが1、最も硬いものが15になります。
日本の天然砥石のほとんどは、砥粒として石英(せきえい)を含んでいます。石英と聞くとピンとこない人も、「水晶」と言い換えるとピンとくるかもしれませんね。この石英は、修正モース硬度で8の硬さです。
一方、人造砥石の砥粒に使われる鉱物は大きく3種類。炭化ケイ素、酸化アルミニウム(アルミナ)、ダイヤモンドです。それぞれの粒の硬さを修正モース硬度で示すと、炭化ケイ素が13、アルミナが12、ダイヤモンドは15です。
この数値を見れば、天然砥石と人造砥石の砥粒の硬さの違いがわかるのではないでしょうか。
天然砥石と人造砥石に優劣はない
人造と天然と聞くと、なんとなく「天然のほうがいいのではないか」という印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、必ずしもそうとはいえないのが面白いところ。人造砥石には人造砥石の、天然砥石には天然砥石のよさがあります。
たとえば、人造砥石には量産ができるという強みがあります。刃物ひとつとっても職人がひとつひとつ手作りで作っていた時代と違い、今は多くの刃物が工場で量産される時代。量産される刃物の種類も、家庭用の包丁やナイフからものづくり工場の機械に使われる工具までさまざまです。これら大量に作られる刃物の研ぎに対応するには、同じく大量生産できる人造砥石のほうが適しています。
また、人造砥石には品質が安定しているという強みもあります。特に、「番手」と呼ばれる砥粒の粗さの統一規格があるのは、人造砥石ならではといえるでしょう。「この刃物を研ぐには何番手の砥石を使うといい」とわかっていれば、砥石を買う方も簡単です。
もちろん、天然砥石にも砥粒の粗さ・硬さで「こういうときにはこういう砥石を使うといい」という目安はあります。しかし、同じ種類の砥石であっても天然ものであるがゆえに、ひとつひとつの石に個体差が存在します。そのため、砥石を使う人自身が実際に見て、自分の持つ刃物を研ぐのに適した石かどうか考え、判断しなければいけません。
その一方で、この個体差は天然砥石の魅力でもあります。気に入った、こだわりの刃物道具を使う職人の中には、愛用の道具と相性が良い天然砥石を探す人もいます。道具・砥石の両方にこだわって、大切に使い続けたい――というわけですね。これは、画一的に作られる人造砥石にはない魅力です。
天然砥石が大活躍!日本の文化を支える職人の研ぎの秘密
現在は、刃物を使う職人の間でも、手に入れやすく安定した性能で研げる人造砥石が主流。しかし、どうしても天然砥石でないとできない、天然砥石のほうが好まれるケースもあります。京都府亀岡市にある「天然砥石館」に、どんな砥石がどんな職人に好まれているかを伺いました。
柔らかめの砥石を使って研ぎ、切れ味を長持ちさせる「和包丁」
日本の和食文化を支える道具のひとつに、和包丁(わぼうちょう)があります。現在、和食の料理職人の多くは、人造砥石を使って包丁を研ぐことがほとんどです。しかし、仕上げだけは天然砥石を使う人も少なくありません。料理職人の間では、天然砥石を使って仕上げると包丁の切れ味が長持ちする、錆びにくくなる……ともいわれているそうです。
和包丁とひとことで言っても、その素材によって適している砥石の種類は違います。しかし、一般的な傾向としては「柔らかめの石がいい」といわれています。
というのが、和包丁の場合は片刃、つまり包丁の片方にだけ刃がついている形状をしています。実はこの刃はほんの少しだけ、曲がり・ひねりが入っています。その微妙な形に合わせて研ぐには、柔らかめの砥石のほうがいい、ということなのです。
木材を美しく仕上げることがなにより大事。硬めの砥石を使う「大工道具」
昔ながらの日本家屋や神社仏閣を建てる大工の道具、ノミやカンナもまた刃物。常に研いでおかなければいけません。
大工道具の場合、重視されるのは「いかに美しく木材を仕上げることができるか」です。たとえばカンナの場合は、それを使って削った木の表面がいかに美しくなるか、が重要です。そのためには、カンナの刃を真っ平らに研ぐことが基本。
そして、刃を真っ平らにするためには、硬めの砥石を使わなければいけません。というのが、柔らかめの砥石を使っていると、研いでいるうちにどんど砥石が削れ形がかわり、まっすぐに研げなくなってしまうからです。こういった理由から、大工道具の研ぎには硬めの砥石がいいといわれています。
現在、大工もまた日本料理職人同様人造砥石を使っている人がほとんどです。しかし、中にはやはり研ぎの仕上げは天然砥石でとこだわる人もいます。天然砥石は、天然であるために品質が均一ではありません。しかし、だからこそ自分の持つ道具の刃との相性が良い砥石に出合えたときの喜びはひとしおだといいます。
「日本刀」の艶のある光沢は天然砥石でしか出せません!
最近注目を集めている日本刀。今まで紹介した包丁や大工道具との大きな違いは、現在の日本刀は「美術品」であるということです。つまり、切れ味などの実用性ではなく、刀身の地鉄(じがね)や刃文(はもん)などを美しく見せる芸術性を重視した研ぎをしなければいけません。
日本刀の研ぎは大きく下研ぎ、仕上げ研ぎの2つに分けられ、それぞれさらにいくつも工程に分かれています。このうち下研ぎの前半の工程は、人造砥石で代用されるようになってきています。しかし、ほとんどの研ぎにおいて使われているのは天然砥石です。
なぜ、天然砥石が使われ続けているのか。それは、人造砥石で研いでしまうと刀身に光沢がですぎてしまって、肝心の美しさがいまひとつわからなくなってしまうから。刀身に現れるさまざまな美しさを堪能するためには、天然砥石を使って艶のある落ち着いた光沢を出す必要があるのです。
日本文化の裏方のひとつ「天然砥石」を知るために
今や非常に貴重になってしまった天然砥石。価格も高いこともあり、一般的にはなかなか目にする、使う機会はないかもしれません。
しかし、砥石の専門店などに行くと、天然砥石を見かけることがあります。また、京都天然砥石組合では10月14日を砥石の日と定め、毎年砥石のイベントも行っています。さらに、京都府亀岡市にある「天然砥石館」では天然砥石についての展示や、天然砥石を使った実際の研ぎを体験することもできます。また、日本刀の研ぎについては、岡山県長船市にある備前おさふね刀剣の里などで研ぎの実演を見ることができます。
こういった機会があれば、ぜひ天然砥石を使った研ぎを見て、体験してみてはいかがでしょうか。古くから日本人が使い続けてきた、日本の文化を支えてきた裏方のひとつである砥石を知ることで、日本文化の奥深さをまたひとつ知ることができるかもしれません。
取材協力:
天然砥石館
参考文献:
『大工道具・砥石と研ぎの技法』 大工道具研究会 誠文堂新光社 2011年12月