昨今は新型コロナウイルスの感染拡大により、野球界でも前例のない出来事が多発しています。そんな中で、色々な人が「史上初」や「〇〇年ぶりの」といった枕詞とともに、野球の歴史に触れる機会が増えていると実感します。
ところで、私は大学で野球を専門的に研究していました。言うまでもなく、野球の歴史には強い興味があります。しかし、残念ながら「学問としての野球研究」はその意義があまり評価されず、「野球を勉強して何の役に立つの?」と言われたことは一度や二度ではありません。
ところが、野球というスポーツは、単に身体を動かして「打って守って走る」だけの競技ではないのです。とくに高校野球やプロ野球は社会の注目度も高く、莫大な金額を投じて開催されています。そんな野球の歴史を学ぶことに、何の意義もないとは思いません。
そこで、今回は大学時代から野球の歴史を研究し、野球に関する卒論で大学を出て、現在は在野の野球史家としても活動する私が、「野球の歴史を勉強して何の役に立つの?」という疑問にお答えしていきます。
人々の努力によって社会的地位を獲得してきた
もともと、日本における野球というスポーツは明治時代にアメリカから持ち込まれ、学生たちを中心に親しまれていました。戦前に学生野球の人気が爆発すると、その波に乗じてプロ野球が発足。戦後には国民的なスポーツとなり、高度経済成長期を象徴する流行語として「巨人、大鵬、卵焼き」とまで言われるようになりました。
もちろん、現代でもその勢いは衰えるところを知りません。2019年度のプロ野球観客動員数はセ・パ両リーグともに史上最高を記録し、合計で2500万人を数えます。地上波の中継から野球が姿を消したり、厳しい指導が敬遠されて少年野球のプレーヤーが年々減ったりしているのは事実ですが、一方で「観戦の対象」としての野球人気は全盛期に差し掛かっているのです。
ところが、今でこそ野球は「青少年が汗を流す健全で尊いスポーツ」というような語られ方さえするようになりましたが、野球が日本に持ち込まれたころは全く逆の捉えられ方をしていました。学生たちが勉強もせずに取り組む「不健全なスポーツ」として非難され、野球をする学生たちはみな不良だと後ろ指をさされたのです。実際、明治44(1911)年には東京朝日新聞(現在の朝日新聞)上で新渡戸稲造や乃木希典といった各界の著名人が「いかに野球は害のある競技か」を語る連載(一般に「野球害毒論」といわれる)もあり、世間の目はかなり厳しいものでした。
やがて学生野球の人気が爆発していき、そうした意見は語られなくなっていきましたが、今度はプロ野球が社会的に非難されました。その理由は「野球という神聖なスポーツで金もうけをするとは何事か」「野球は学生のスポーツで、いい大人がやるものではない」といった感じで、戦後になってしばらくの間までプロ野球は不人気にあえいでいたのです。
こうした歴史を知ると、「私たちが文化を見る目は常に変化する」ということを実感します。だからこそ、私たち野球ファンは先人たちが積み上げてきた「野球という競技への社会的評価」に感謝し、同時にそれを損なうことがないよう努めなければなりません。
ベンチャー企業が「野球はもうかる」ことを示した
野球というスポーツが商業化されて以降、大規模な大会を主催し、またプロとして活躍する選手たちを雇ってきたのはマスコミや私鉄の各社でした。例えば、甲子園を主催してきたのは朝日新聞社ですし、日本初のプロ野球チームを作ったのは読売新聞社です。その他にも野球に携わってきたマスコミの数は多く、もはやここにすべて書ききることはできないほど。一方、鉄道会社は「乗客の確保」という視点から導線としての野球に投資する傾向にあり、阪神・西武・近鉄など、やはり名だたる大手私鉄が球団経営に参入しました。
以上で挙げた企業は、誰が耳にしても知っているレベルの大企業。大企業が中心となって参入した理由は、もちろん球団の維持や大会の開催に多額の費用がかかるためです。しかしそれ以上に大きかったのは、かつての野球は事業単体として収益化するのが難しいといわれており、多額の赤字を垂れ流すだけの「企業体力」が必要とされたから。実際、バブル崩壊以降に経営状態が悪化した企業は「経営のお荷物」として真っ先に野球から手を引いていきました。
しかしながら、近年は野球の収益性も大きく見直されつつあります。確かに野球にかかわる直接的な部分だけで収益化するのは困難ですが、野球の結果は毎日さまざまな媒体で報道され、「阪神」「西武」とさかんに企業名が呼ばれます。企業からしてみれば自分たちの名前を売る格好の広告になり、加えて野球チームを保有することで企業の信頼度も向上することに注目しました。
やがて参入を決めたのがソフトバンク・楽天・DeNAといったIT系のベンチャー企業であり、彼らはプロ野球界に新しい風を吹き込みました。私がDeNAファンなのでDeNAベイスターズを例として紹介すると、TBS傘下時代は「弱くて不人気」と呼ばれた球団を改革。野球面での強化はもちろんのこと、
・球団オリジナルビールの開発・販売
・試合をTVだけでなくインターネット配信の形でも中継
・私たちには隠されてきた球団の実情を暴露するドキュメンタリー映画の製作
など、従来は考えられなかった仕組みを次々と取り入れました。
結果、DeNAはその社名を全国区にしたのはもちろん、「経営のお荷物」どころか球団単体で15.2億円の最終利益を計上しました(2019年度決算報告より)。
各球団が「野球でも収益化ができる」ことを示したので、投資先としての野球は今後も注目され続けるでしょう。同時に、日本を代表する企業が集まる各球団の母体にIT系のベンチャー企業が増えているのは、日本社会の変化を示唆しているようにも感じます。
地元のシンボルとしても機能するように
先ほど見たような野球受難の時代を乗り越えると、高校野球を中心に「おらが町のチーム」というように野球が地域のシンボルとして機能する例もみられるようになりました。地元の高校を甲子園で応援するという方は少なくないでしょうし、チームが優勝でもしようものなら町や県をあげてのお祭り騒ぎになることも。
具体例を挙げると、2007年に夏の甲子園を制覇した佐賀北高校を中心とした盛り上がりには全国が注目しました。タレントの島田洋七さんが出版した『佐賀のがばいばあちゃん』という本が大ヒットし、「がばい旋風」が巻き起こりました。その好影響は現代にも波及しており、「地元に誇りを持てるようになった」という人も多いよう。もはや単なる学生野球の域を超え、地元に生きる人たちの希望を背負っているといっても過言ではありません。
一方、プロ野球は大企業中心の運営だったこともあり、地域との結びつきをおろそかにしてきた歴史があります。球団の所在地も三大都市圏に集中しており、あまり地域を顧みなくても経営に支障がなかったのです。しかし、平成に入ると徐々に野球人気が低迷の兆しを見せるようになり、代わりにサッカーのJリーグが台頭してきました。
Jリーグはプロ野球の「企業重視・地域軽視」という方針に異を唱え、企業色を薄めて「町のチーム」という点を強調しました。それゆえに地元の中小企業や地域自治体とも積極的に結びつき、プロ野球とは全く異なるマーケットを開拓したのです。
これにプロ野球関係者も触発されました。とくに「地域との結びつき」を重視したのが、かつて巨人に人気が集中していて日陰者的な存在だったパ・リーグの各球団。今では北海道・仙台・福岡といった各地方に本拠を構え、球団名にも積極的に地域名を冠して町との結びつきを強調するようになりました。そのわかりやすい例が、「東北」楽天ゴールデンイーグルスというチーム名でしょうか。
結果としてパ・リーグの人気は2000年代の後半から上昇していき、今ではセ・リーグを脅かすまでの存在になりました。
野球を知ると「日本社会」がわかる
ここまで挙げた3つの例からは、日本における
・娯楽文化を捉える視点の変化
・スポーツビジネスの成長
・「大企業」の移り変わり
・地方創生の手段
など、さまざまなことがらを読み解くことができました。これは、野球というスポーツに長い歴史があり、同時に日本社会と深く結びついていることの現れではないかと思います。そのため、私は「野球の歴史を知ると、日本の社会がわかる」と主張しています。
競技の性質上、無数の分野とかかわりをもつ野球。これを研究する営みが、野球そのものがそうであったように社会で広く認められるようになると信じています。興味のある方は、ぜひ自分でも勉強をしてみてください。