私、時々思うんですよね。「お金」って一体何なんでしょう。なんで、このコインや紙で物やサービスと交換できるんでしょう。
普段は特に疑問もなく、頂いたり、使ったり、貯金したりしているんですが、このお金の価値って誰がどんな風に決めたものなんでしょう。そして何故私たちは、それをなんの疑いもなく信じていられるんでしょう。
私は経済学にはとんと疎いので、好きな歴史から「お金」の事を考えてみることにしました。すると、昔の人もけっこう「お金とはなんぞや」と悩んでいた様子がみられました。
実は失敗政策だった『和同開珎』
「お金」の概念ができる前は、物々交換をしていたという事は多くの人が習ったと思います。
日本では弥生時代の遺跡から中国の貨幣が出土していますが、これは日本で流通していたというより、中国との貿易に必要なものという認識だったようです。
日本で最初に作られた貨幣は、7世紀半ばに作られた銀貨「無文銀銭(むせんぎんせん)」、7世紀末の銅貨「富本銭(ふほんせん)」です。しかしこれらは純度が低く、実際に流通していた貨幣なのか、占いに使われていた儀式用のコインなのかは意見が分かれています。
日本国内で流通していたとハッキリと分かっている最古のものが、708年に作られた『和同開珎(わどうかいちん)』です。
この年に現在の埼玉県秩父市に純度の高い銅が発見され『和銅』と名付けられ、日本独自の貨幣を発行し、ついでに年号も『和銅』にしました。
「みんな~! お金を使って~!」
出始めた頃はまだ物々交換が主流だったため、当時の人々には「貨幣」という概念がピンと来なかったようです。そこで政府は流通を促すために、税を貨幣で徴収することにします。そして税を治めに都に来た人々には、旅費として貨幣を支払っていました。
それでも庶民はみんな、イマイチありがたみを感じられなかったのでしょう。朝廷はどうしたら下々の民も「お金の価値」を解ってくれるだろうと考えました。
「そうだ! 1貫(1万枚)貯めたら1つ階位が上がるってシステムを作ろう!」
なるほど、これならみんなが「お金」を欲しがります。この制度は和銅4(711)年に施行されました。しかし、よくよく考えてみれば、これ「貯め込むだけで、結局使ってない」ってことになりますね。朝廷がそのことに気づき、この制度を廃止したのは延暦19(800)年。90年近く経ってからでした。
しかも朝廷の失策はそれ以前の段階にもありました。発行当時の和同開珎の価値は、1枚(1文)で新成人の1日分の給料となります。現代の感覚だとだいたい1万円前後でしょう。
でもこれって貨幣が1万円札しかない状態、ということでしょうか。とても使い勝手が悪そうです。おつりとなる貨幣がないので、庶民は勝手に細かいお金を作ったり、和同開珎の価値自体が非常に安くなったりしました。
よ~し! 新しいお金を発行するぞ~
和同開珎発行から50年と少し経って、ようやく朝廷は新しい通貨を発行しました。それが『万年通宝(まんねんつうほう)』。和同開珎10文で万年通宝1文の価値があるとされました。
でもこれが更に市場を混乱させる事になります。例えるならば、1万円札に対して10万円札を発行したのではなく、新1万円札を発行しただけなのに、新1万円札に交換するには旧1万円札10枚必要という、いくら経済音痴な私でもわかるぐらいの滅茶苦茶ぶりです。
しかも発行された理由が経済対策というよりは、当時、皇族以外で初めて太政大臣となった藤原仲麻呂が、己の権力の誇示する為に発行したものです。
現代にこんなの言い出す大臣がいたら、大炎上ですね。実行どころか会議で発言した時点でボッコボコでしょう。民主主義バンザイ。
藤原仲麻呂はこれだけが原因ではないのですが、その4年後には失脚し、戦に敗けて斬首されます。
そして仲麻呂に勝った孝徳天皇は、仲麻呂が発行した万年通宝を廃止し『神功開宝(じんぐうかいほう)』が発行されました。これも万年通宝10枚につき神功開宝1枚と交換です。
市場が混乱し、お金の価値が低くなるたびに、朝廷は新しく貨幣を作ります。そして毎回「前の銭10枚でこれ1枚と交換します」というものでした。これが最初の和同開珎から数えて12回もありました。
あ……だめだこりゃ
ようやく「あ、これはダメだ」と朝廷が気づいたのは、永観2(984)年になってからです。お金の価値が低くなりすぎて、ただの丸くて平べったい銅になってしまい、「国家安泰を願うため、銭を溶かして仏具や神具を作る」という『禁破銭令』が出されました。
なんでこんなことになったのかといえば、平安貴族に「経済学者」がいなかったから……なんですけど、なんでいなかったんでしょう。不思議ですね。当時、日本が文化を参考にしていた中国では貨幣が紀元前から使われているのに……。
そんなこんなで、日本初の12種類の通貨「皇朝十二銭」は、溶かされて仏像などになりましたとさ。
それ以来、日本独自の通貨の鋳造は、江戸時代までされませんでした。
お金って便利じゃん! と気がついた天才、平清盛
日本人の経済音痴っぷりって、今にはじまったものではないのですね。でも、何事にも異例の天才が出現するものです。日本の経済史において外せない天才は『平清盛』でしょう。
お金の価値が崩壊してしまった日本にとって、貨幣は「銅の塊」でした。仏具を作るのに必要だと、宋(中国)の貨幣「宋銭」を輸入していました。
当時、宋ではすでに紙幣が発行されていて、コインの貨幣は必要なくなっていました。それを日本が「溶かして仏具をつくるから木材や水銀と交換して欲しい」と言って来たので、宋銭はどんどん日本へと入ってきました。
この日宋貿易の主要港があった越前国(現在の福井県)の守護をしていたのが、平清盛の父である忠盛でした。忠盛は独自に貿易を行い、手にいれた中国の美術品などを朝廷に献上し、天皇や上皇の側近として認められるようになりました。
清盛の代になると、清盛は日本初の人口の港を博多に作ります。瀬戸内海の航路を掌握し、厳島や神戸の港などを整備しました。そんな彼が目につけたのが「宋銭」です。
なんと清盛は、宋銭をただの銅の塊ではなく、「お金」として流通させることに成功しているのです。
皇朝十二銭が使われなくなってから、日本国内で貨幣の代わりに流通していたのは米や布でした。しかし米はかさばるし、布は半端に切ってしまえば使い物になりません。その点、宋銭はかさばらないし、数えるのも楽です。
おそらく清盛は、自分の作った港から徐々に使い始めたのでしょう。やがて「お金の概念」は貿易商から上流階級へと広がって行きます。
短期間で爆発的に流通し始めた宋銭。それと同時に「お金の価値」も人々に浸透します。やがて朝廷がその価値に気づいた頃、その「お金」を一番持っているのは、日宋貿易を掌握していた平家というわけです。
やがて平家は、朝廷内にも反対勢力が拡大していき、源平合戦へと繋がるのですが、この平家への反発は「宋銭を流通させたが、それによって一番得をしているのは平家」という状況も要因の1つと考えられるでしょう。清盛が始めた面白そうな新しいゲームのルールを皆が理解し始めた頃、そのゲームのランキングは平家で埋め尽くされている。
……怖い! 清盛さんの頭脳が怖い!
徳川家康が貨幣制度を統一
平家が滅亡した後、宋から銭の輸入は禁止されました。しかし銭の価値自体はなくなることはありませんでした。それどころか流通はどんどん加速し、上流階級から下流へと流れて行きます。鎌倉幕府も宋銭の使用を認めざるを得ませんでした。
室町幕府の頃になると、中国は「明(みん)」という国になり、明銭も日本にやってきましたが、東日本では相変わらず宋銭が使われていました。
そして江戸時代になり、徳川家康が初めて貨幣制度を全国統一しました。
金・銀・銅の貨幣を鋳造し、日本国内で使える通貨となります。「皇朝十二銭」以来、約650年ぶりの日本オリジナル通貨です。
ややこしい! 外貨取引
幕末になってペリーが来航し、開国すると外国の通貨を取引で扱うようになります。経済音痴の鬼門「外貨取引」です。
当時の日本の金貨は、諸外国よりも金の比率が高かったため、大量の金が海外に流出してしまいました。例えば1ドルを日本で両替すると、一分銀3枚になりました。一分銀3枚で小判1枚に換金できます。それを本国に持って帰ると4ドルになるといった具合です。
ここで江戸幕府の勘定奉行小栗忠順(おぐり ただまさ)が米国で熱い交渉合戦を繰り広げるのですが、それはここではちょっと置いといて。
結局、江戸幕府はこの混乱した貨幣制度を整備しきれないまま大政奉還し、小栗忠順も新政府軍に捕らえられて斬首されてしまいました。
貨幣制度の近代化は新政府が担う事になります。そして明治15(1882)年には日本銀行が設立しました。
結局お金とはなんぞや?
第二次世界大戦後に日本は高度経済成長、いわゆるバブル期を迎え、1990年代にそれが弾けて現在にいたっています。
バブルがはじけた頃、私は小学生ぐらいだったので、話にしか聞いた事ありません。今の景気が上がり調子なのか下がり調子なのか色んな人が色々言っていてよくわからない状態です。
大人になってから、クレジットカードやプリペイドカード、電子マネーなど「現金」ではないお金も使うようになりました。
改めて考えると「お金」って不思議ですね。経済音痴な私でも、千円の本を買う時は、千円札を出しても、千円分のポイントを使っても、同じように買えるわけですよ。それは「価値」に対する信用だと思うのです。
千円と書かれている物が「千円札」で買えるという「お金の価値」に対する信用。そしてそれが「千円を出す価値がある物である」という、販売者への信用。結局人と人との信頼関係は、物々交換の時代も貨幣経済の現代も変わらないのかもしれないですね。
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