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2020.12.05

そうだったんだ!誰も教えてくれなかった『源氏物語』誕生秘話!

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『源氏物語』の作者と言えば、紫式部ですよね。何を今さら! と思われるかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。1000年も前に書かれた小説の作者が、なぜ現代にその名を残せたのか。そしてあのとんでもなく長い小説がどうやって今に伝えられたのか、と。

それってそんなにすごいことなの?

世界を見渡してみましょう。みなさんが良く知る歴史書『三国志』を元に小説『三国志演義』が書かれたのは1398年(成立)のことです。イタリアで書かれた神曲『ダンテ』も1304年(成立)と、紫式部が『源氏物語』を書いた1008年(成立)より、約300年も後のことなのです。その差、300年ですよ!!

54帖からなる『源氏物語』は、一人の女性によって書かれた世界最古の長編小説と評されています。私たちが光源氏の多様性あふれる恋愛に色めき立てるのも、1000年の時を超えてこの物語が受け継がれてきたからです。もはや紫式部という女性の存在にこそ、壮大なロマンを感じずにはいられません。

『源氏物語』というか紫式部ってすごい人だったんだ......!

そこで、今回は光源氏に彩られた華麗な色恋ではなく、紫式部がどのようにして小説を書き、それが世の中にどんな影響を与え、どんな風に時代が作られていったかを紹介していきます。

源氏物語あらすじ全まとめ。現代語訳や原文を読む前におさらい

紫式部の悲しい人生の中で生まれた物語

平安貴族たちにとって、優雅で高貴な遊びの一つが「和歌」でした。歌を贈りあう宴が開かれ、そこでお酒を飲んだり、舞を踊ったりと、雅な世界が繰り広げられていました。当時は財力よりも知性がもてはやされた時代。物語はいわゆる俗っぽい、格下のエンターティンメントとして扱われていたのです。かの在原業平も紀貫之もみな歌人として、多くの歌を残していますが、物語は書いていません。

物語って現代だと一大ジャンルだけど、平安時代は違ったんだ...!

では、なぜ、紫式部は小説を書いたのでしょう。そこには紫式部のあまり明かされてはいない悲しい人生がありました。

紫式部は、受領(ずりょう)と呼ばれる地方に仕えた役職で、中流階級とされた家に生まれました。この時代、名前が残されているのは、みな上流階級の高貴な人々のみ。さらには、女性である紫式部がどんなに才能にあふれていたとしても、名前が残るなどあり得ないことでした。しかし、天は彼女に夫と死別するという悲劇を与え、そこから運命の輪が動き出します。すでに子どもがいた紫式部は、今でいうシングルマザーとなり、金銭的にも精神的にもよりどころを失います。

現代でいえばハリーポッターの作者であるJ・K・ローリングといったところでしょうか。彼女も貧しい無職のシングルマザーでしたが、そこからあの人生逆転劇が起こりましたよね。あそこまで追い詰められた状況ではなかったかもしれませんが、寂しい心を慰めるために物語を紡いだのが『源氏物語』の始まりだったと言われています。それが友人たちの間で大評判となり、その噂は宮廷にまで広がり、エリート貴族たちをも虜にしていきます。その中の一人が摂政関白であった藤原道長で、一条天皇の后となった藤原彰子の父です。そして彰子に仕えたのが紫式部となります。

趣味で書いたのだと思ってた。紫式部は嬉しかっただろうな。

貴族たちの知性を刺激した『源氏物語』

ではなぜ、紫式部を自分の娘に仕えさせたのか? それは先ほども書いた当時のエリート貴族たちが所望した「知性」に他なりません。紫式部の才能を知った藤原道長は、一条天皇の気を娘・彰子へと引かせるため、流行作家の紫式部をスカウトし、宮廷サロンを展開したのです。ちなみに、一条天皇の皇后である藤原定子に仕えていたのは『枕草子』の作者・清少納言ですから、紫式部と清少納言はまさに運命のライバルだったのですね。

こうして、紫式部が天皇の后に仕えたことで、『源氏物語』はさらに多くの貴族に読まれるようになります。印刷という技術のない時代、写本といって、いろいろな人々が写し書きするようになり、後世に残りました。

技術がないとはいえあんな長い物語を手書きって!よほど人気だったんだろうな。

国宝となる源氏物語絵巻がその圧倒的な世界観を描き出した

『源氏物語』は、紫式部の想像を超え、宮廷文化として花開き、絵画化もされました。今でいう、ベストセラーの映画化とでもいいましょうか。それが現在に残る国宝『源氏物語絵巻』です。文学性もさることながら、当時一流の絵師たちが煌びやかな王朝文化を繊細な技法で表現し、芸術作品としても素晴らしいものとなりました。現存する最古の絵巻で、徳川美術館(愛知県名古屋市)と五島美術館(東京都世田谷区)に所蔵されています。これらは公開されるたびに多くの人々を歓喜の渦に巻き込んでいます。

この前私もみたけど、12世紀にこんなに綺麗なものが描かれていたなんて驚きでした。

徳川家も愛した『源氏物語』を題材に造られた調度品

3代将軍徳川家光の娘・千代姫が尾張徳川家2代光友に嫁ぐ時に持参したとされる調度品『初音の調度』の意匠は、『源氏物語』第23帖の「初音」に由来するものです。繊細で美しい蒔絵に表現された源氏物語の儚(はかな)い想いが芸術品となって眩(まばゆ)い光を放っています。

さらに江戸時代後期になると武士階級出身のベストセラー作家、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』を執筆。平安時代を室町時代に移し、光源氏的な主人公が好色ぶりを発揮するという話です。挿絵は当時人気NO.1の絵師であった歌川国貞。超人気の話題作となりました。

一つの小説が美しい絵画となり、工芸品となり、さらには戯曲化され、広く大衆に広がりました。そして、今もなお長編小説の最高峰として与謝野晶子や谷崎潤一郎をはじめ、著名な作家たちが『源氏物語』の現代語訳を執筆しています。
「源氏物語」現代語訳をもっと楽しむための登場人物と基礎知識

人々の心に宿る、人を愛するという気持ちを様々な女性に表現させた物語は、時代を経ても色あせることがないのです。家にいる時間が多くなった今、改めて『源氏物語』に触れ、紫式部の感性の泉に溺れてみてはいかがでしょう。

こういう背景を知っていると、『源氏物語』の読み方も変わってきそう。まずはビギナーズ向けから挑戦したい!

『源氏物語』に5年くらいどっぷり浸かっていたという和樂web編集長セバスチャン高木が、ざっくばらんに『源氏物語』の背景を解説した音声コンテンツはこちら(無料)

アイキャッチ画像:国会図書館デジタルコレクション

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‪‪銀行に10年務めたあと和樂webのスタッフに。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』聞き手担当。頭も体も硬いので、今一番欲しいのは柔軟性。