日本文化の入り口マガジン和樂web
5月11日(火)
Love the life you live. Live the life you love. (ボブ・マーリー) 映画「HOKUSAI」公式サイトはこちら
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
5月11日(火)

Love the life you live. Live the life you love. (ボブ・マーリー) 映画「HOKUSAI」公式サイトはこちら

読み物
Culture
2021.04.20

毎週のように新バイクを発表!?ホンダVSヤマハ、列島を巻き込んだ「HY戦争」とは

この記事を書いた人

筆者は1冊の文庫本を持っている。

清水一行の『首位戦争』(角川文庫)だ。

清水一行といえば経済界の内情を書いた小説で知られるが、この『首位戦争』はまさに「奇作」と呼ぶべき内容。二輪業界のトップ企業恩田モータースと、シェア2位のニッポン発動機がタイトル通りの首位戦争を繰り広げる。企業や人物の名を変えているのは、訴訟対策か。しかし恩田モータースはホンダ、ニッポン発動機はヤマハ発動機であることは一目瞭然である。

これは1979年頃から加熱した「HY戦争」を書いた小説だ。

きっかけは「ラッタッタ」

日本には50ccという独特の排気量クラスが存在する。

この50ccマシンは、長らくホンダ・スーパーカブの独断場だった。しかし日本経済が成長し、国民の可処分所得が増えるようになると、当然ながら需要も多様化する。スーパーカブとその追従車種だけでは人々は満足しなくなった、ということだ。

1976年、ホンダは50ccバイクのロードパルを発売。これはまさに「自転車の延長線上」といった感じの外見で、徹頭徹尾女性をターゲットにしていた製品だ。

Hondaはスーパーカブ以降、市場開拓のためのトライをしていたが、その一つであるシャリイの開発に先立って、神山たちは女性の免許証保有比率が20%近くもありながら、10人に1人もバイクに乗っていない事実に着目。この女性ユーザーを何とか取り込みたいと考えた。

調査のために女性従業員を集めてカブに乗ってもらった際、

「重たくてスタンドが立てられない」

「キックスタートは駄目」

「スカートでは乗れない」

など、ほとんどの女性がカブへの不満を口にした。

(ホンダ公式サイト)

100kgに満たない車両重量のスーパーカブだが、それでも一般女性にとっては重い。対してロードパルのそれは僅か44kgである。テレビCMにはわざわざヨーロッパから女優のソフィア・ローレンを呼んできた。「ラッタッタ」のフレーズは、巷でも大いに流行った。

翌77年、ヤマハはロードパルの対抗馬としてパッソルを市場投入した。これは「ステップが平ら」ということを強く打ち出した車種で、CMには女優の八千草薫を起用した。

「ステップが平らですから、膝を揃えて乗れるんですよ」

つまり、「バイクは跨るもの」という固定概念をヤマハは打ち破ったのだ。

同時にこれは、熾烈なHY戦争の前哨戦でもあった。

コンピューターが開発速度を向上させた

『首位戦争』を読んでみると、まさに泥沼のような内情が容赦なく書かれている。このあたりについては当記事では敢えて触れない。真面目にやると、和樂webのコンセプトから逸脱してしまうからだ。一つ言えるのは、1980年頃からホンダがヤマハへの反撃を開始し、結果として熾烈な原付開発競争に突入したという点である。

この時代、既に生産工場や設計室にコンピューターが導入されていた。

コンピューターを使えば、それまで数ヶ月かかっていた新車開発のペースが数日でできるようになる。蓄積されるデータを、そっくりそのまま活用すればいい。生産現場にもロボットがあるから、様々な部品を作ることができる。

こうして日本の二輪業界は、毎週のように新製品が発表されるという異常事態に突入した。

しかし、作ったはいいがそれをどうやって売ればいいのか? 生産が機械化されたからといって、販売の効率が良くなるというわけでは決してない。従って、1週間前に新発売されたモデルは早速ながら値下げされ、さらに以前のモデルは日本各地の商店街の福引き会場前に並んだ。

四輪メーカーとのタイアップで「新車を買えば原付がオマケについてくる」ということすらあった。79年から83年頃までの期間は、列島が50ccバイクに溢れた時代と形容してもいいだろう。

浜松のオサムが仲介に立つも……

が、この一連の現象は「ダンピング」以外の何ものでもない。

同種製品の競合が発生し、各社が値下げ戦略に踏み切ると、利益の回収は難しくなる。しかも市場はすぐに飽和し、最悪「売った分だけ損するが、生産をやめたらもっと損する」という状況になってしまう。

それは当事者のホンダとヤマハだけでなく、スズキとカワサキにまで悪影響を与えるものだ。だからこそ、スズキの鈴木修社長は両社の仲介に立った。

この時代、鈴木社長は三ヶ日みかんの保管倉庫業者が儲かっている場面を目撃している。なぜかといえば、みかんではなく売れ残りの原付が大量に舞い込んできたからだ。

が、鈴木社長が取り持ったHYの和解は、失敗に終わった。

斬新なマシンも登場

この戦争は83年にヤマハが敗北宣言をする形で終息するのだが、どんな物事にも必ず「良い面」と「悪い面」がある。

敢えて「良い面」を探れば、この時期に極めて斬新な原付がいくつも登場したということに尽きる。

モーターファンが異口同音に名を上げる「HY戦争時代に登場した斬新マシン」は、ホンダ・モトコンポ。これは長方形のボックス型のボディーを持ち、その中にハンドルとシートとステップを収納できるという設計だ。同時期に発売された四輪車種シティに搭載できるという触れ込みだったが、売り上げは芳しくなかった。

しかし、ユーザーは気まぐれである。

モトコンポの生産終了後、藤島康介の漫画『逮捕しちゃうぞ』で辻本夏実が乗るマシンとして登場し、読者に多大なインパクトを与えた。細い路地に逃げ込んだ交通違反の二輪を、パトカーに車載のモトコンポで追いかける。この場面に魅せられた人が相次いだのだ。

現在でもモトコンポは「中古価格の高いマシン」として知られている。

【参考】
ホンダ公式サイト
『首位戦争(清水一行 角川文庫)』
『俺は、中小企業のおやじ(鈴木修 日本経済新聞出版社)』

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。