Culture
2022.01.11

花魁道中を踏める遊女はほんのひと握り。吉原版出世コースに乗るにはアレとコレが重要!

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江戸吉原の華といえば、なんといっても花魁! 艶やかに髪を結いあげ豪華な衣裳を身にまとい、一夜の夢を見せる……。そんな遊女の最高位・花魁になるための吉原版出世コースに乗るには、2つの条件がありました。
この出世コースに乗ったら本当に花魁になれるの? 乗れなかったらどうなるの? さらに花魁を含めた吉原遊女たちのその後はどうなるのでしょうか。

吉原には出世コースがあった

男性相手に一夜の甘美な夢を売る、幕府公認の遊郭・江戸吉原の遊女たち。その頂点に立つ数少ない高級遊女が花魁(おいらん)です。花魁は美貌だけでなく、教養を備え、芸事にも秀でていることが必須でした。時代によっては花魁ではなくて、「太夫」と呼ばれていた時期もあります。

▼吉原遊郭について詳しくはこちらの記事をどうぞ
遊郭って何?吉原は何をするところだったの?3分で分かる遊郭のすべて

出典:シカゴ美術館

この花魁という呼び名ですが、一説には彼女たちの妹分が「おいらのところの姉さん」と呼んでいたことによるとされています。しかし「花のさきがけ」と書いて、なぜ「花魁」と読ませるようになったのかは不明です。

花魁になる方法ですが、これは吉原版出世コースに上手く乗るのが確実でした。貧しいあまり口減らしのために親権者の都合で女衒(ぜげん / 女性の売買を生業とする仲介業者)、または直接親権者の手により吉原へお金と引き換えに年季奉公へ出された少女は、この出世コースに乗れるかどうかで将来が決まると云っても良いでしょう。

誰にでも春をひさぐ遊女になるか、それとも相手の選り好みが不可能ではない高級遊女・花魁になるか。遊女になる自らの運命を受け入れたとしても、出世コースに上手く乗れるかどうかで、その先はさらに変わります。

ただ何も知らない少女を高級遊女にするためには、なにかとお金や時間がかかります。そのため、楼主は見込みのある少女の選別を計りました。

少女たちの運命をも左右する2つの条件

出世コースに乗って花魁になるには、ある2つの条件がありました。まずはこちらの図をご覧ください。

花魁へのエリートコースは一番上の道

「禿(かむろ / かぶろ)」「新造」など馴染みのない言葉が目につきませんか? 禿とは先輩遊女(姉女郎)につき、彼女たちの身の回りの世話をしながら吉原遊郭のことを覚える少女のこと。
先輩遊女1人に対し1~3人の禿が付き、「ありんす」に代表される廓言葉はこの頃に覚えます。超高級花魁付きの禿ともなれば、花魁道中にも付き従います。

禿が成長して13~14歳になると「新造出し」を経て、遊女になる次のステップ・新造になりました。本格的に先輩遊女の下で、遊女としての接客法などを見習うのです。なかでも将来有望な新造は振袖新造(振新 / ふりしん)と呼ばれ、花魁道中に参加します。

お大尽を迎えに行った帰りの花魁道中
十返舎一九『青樓繪抄年中行事. 上巻 仲の町花蓋図』出典:国立国会図書館

1つめの条件は年齢!

禿になれた少女は、出世コースに乗るための1つ目の条件をクリアしたと考えてよいでしょう。「そんなことがクリアの条件なの?」と驚かれる方もいるでしょう。
実は1つ目の条件は、妓楼へ奉公に上がった年齢なんです。見世に年季奉公へ出される年齢は個人個人で異なり、幼い者だと女衒に手を引かれ7~8歳でやってきます。もう少し成長し、10歳以上で見世に来る少女もいます。
これは各家庭の事情によるので、どうしてもバラついてしまうんですよね。ただ「10歳まで」というのが1つの目安で、これ以上成長している少女は禿にならず、いきなり新造になることも。

それは図の中にある振新ではなく、留袖新造(留新 / とめしん)でした。この2つの違いは、ズバリ客を取るか取らないか。
一応、留新も先輩遊女に付き従い、遊女としてのノウハウを見習います。けれど禿経験を経ていないこともあり、妓楼の主人たる楼主から「高級遊女(上妓)になる見込みなし」と判断され、客を取らなければならなかったんです。ただ禿から新造になれたとしても、楼主の判断で振新ではなく留新になることがありました。

吉原が江戸第一の高級遊里としてあり続けられたのは、この禿→振新システムによる英才教育によるものだとされています。

2つめの条件は容姿!

2つめの条件ですが、これは禿時代に重要となりました。それは楼主が禿の容姿や素質を見て、特に将来性が感じられた場合は手元に引き込み、「引込禿(引っ込み禿とも)」として特別に育てたのです。この時に三味線などの基本的な芸事を特訓し、13~14歳で振新になりました。

出典:シカゴ美術館

振新が付き従うのは、花魁の中でもさらにトップクラスの超高級最高位花魁です。宴席時には姉遊女の客に対し、酌をしたり舞を披露する場面ももちろんありました。

これら客あしらいの巧拙などは、振新が後に上顧客のハートを掴むことができるかどうかを計る機会のひとつだったと考えられていたようです。そして振新の中には、容姿はもちろん客の人気等も考慮し、禿同様、楼主の手元で「引込新造(引っ込み新造)」として育てられることもありました。

引込新造になれば、花魁になることはほぼ確実。 厳しい花魁修行にも身が入ったことでしょう。

花魁になるための稽古内容は花嫁修業より多かった!?

「花魁って客の相手をするのが仕事なのに、どんな稽古をするの?」と疑問思う方もいますよね。たしかにその通り。花魁だ、引込新造だと云っても、高級な女郎とその見習いです。ただ一介の遊女と花魁とでは、客層がまっったく違うんです。

前者の客は、主に吉原で遊ぶ金を集めて来たレベルの江戸の町人。一方、花魁の相手は、大名やお大尽と呼ばれる豪商など上流階級の人々。彼らに楽しんでもらうためにも、知的な会話術や芸事などが必須だったのです。

花嫁修行並み? もしかしてそれ以上!?

花魁になるための稽古ですが、それはざっと以下のものでした。茶道、華道、香道、書道、書画(墨絵)、和歌、漢詩、囲碁、将棋など。歌舞音曲面では琴や三味線、唄、舞踊のほか胡弓、鼓も!

茶道を嗜んでいる花魁
渓斎英泉『契情道中双〔ロク〕 見立よしはら五十三つゐ 海老屋内鴨緑 せう野』出典:国立国会図書館

江戸の町娘ならば幼少時より寺子屋へ通っているので、これらの芸事はある程度できた可能性があります。商家の娘ならば稽古事の一環として習っていたでしょう。けれど花魁たちの殆んどは、年端の行かないうちに吉原へ来たため、何もかもがチンプンカンプンだったと思われます。

例外は実家が武家や大店(おおだな / 大きな商家のこと)で、それが何らかの理由により傾き親が借金を背負ってしまい、妓楼で年季奉公……というようなケースでしょうか。一時期とはいえ引込禿や引込新造となって、楼主の手元で諸般の芸事を仕込んでもらわなければ、とても習得できそうにありませんよね。

しかもこれらの中で、特に秀でたものが欲しかったそう。そのため国学者・加藤千蔭の門人になった花魁や、東江流の書を学んだ花魁も。あらゆる芸事に秀でた花魁は、半年前から予約しないと会えないほどの大人気! 将来的に身請けというチャンスを掴むためにも、さまざまな教養を身に着けておく必要があったのです。

美しいだけじゃない。夜伽が巧みなだけでもない。知的でウイットに富んだ会話が楽しめる大人の女性。花魁が江戸のファッションリーダー的存在なのも頷けますね。

▼高級遊女と一晩過ごすのにかかる費用が気になる方は、こちらをどうぞ。
一晩500万円?浮気はご法度!遊郭・吉原で高級遊女と遊ぶルールが厳しい!

花魁のランクって?

振新や留新など新造が16~17歳になる頃に、楼主と姉遊女が相談して遊女デビューを決めます。そこでまず「突き出し(初めて客をとること)」と呼ばれる儀式を行うのが一般的。
この突き出しには、お披露目のために姉遊女に率いられ新造や禿、番頭新造(後述)等に付き添われて懇意の茶屋を回る道中突き出しと、お披露目道中をせずに妓楼の張見世で遊女デビューする見世張突き出しの2種類があり、どちらでも花魁にはなれました。

十返舎一九『青楼絵抄年中行事 夜見世の図』出典:国立国会図書館

ただ、花魁道中を踏めるのは花魁最高位の呼び出し(または呼び出し昼三)になれた遊女だけなんです。振新の中には、道中突き出しではなくて見世張突き出しデビュー者もいました。この場合は花魁の中でも格下の附廻しで、花魁道中はできません。また留新の中には見世張突き出しできず、さらに格下の遊女になる者も。

出典:シカゴ美術館

それは高嶺の花の特権

花魁を含む遊女全体の格付けは時代によって多少異なりますが、このような感じでした。
呼び出し(または呼び出し昼三)→昼三(ちゅうさん)→附廻し。一般的に花魁と呼ばれるのはここまでです(諸説あり)。以下、座敷持ち→部屋持ち→切り見世(局女郎)と続きます。切り見世の遊女は大部屋に衝立のみで客を取ったんですよ。

江戸吉原の花魁階級(振新は基本的に客を取りません)

ただし呼び出しの花魁が在籍しているのは、吉原の妓楼の中でも規模が大きくしっかりしている大見世(惣籬 / そうまがき)と、大見世より格下の中見世(半籬 / はんまがき)でした。これらは見世の名前ではなくて種類です。それより格下の見世は小見世(総半籬 / そうはんまがき)と呼ばれ、花魁は在籍していません。

道中突き出しをして花魁になると、呼び出し(または呼び出し昼三)か昼三の花魁になれました。昼三というのは昼間の揚代に由来する言葉で、ここからその後のレベルアップで呼び出しになることも可能です。もちろん見世張突き出しで附け廻しになっても、レベルアップすれば格上の遊女になれました。

こうしてみると、花魁には簡単になれないのが分かりますね。だからこそ江戸吉原遊郭の華。誰でもが摘み取れる花ではないのです。

吉原から出るには

そもそも年季明けの年齢って何歳?

吉原での年季奉公の期間は、一般的に10年間と云われています。ということは、7~8歳で女衒に手を引かれ妓楼へやって来た少女の場合は、新造から遊女になる頃、ちょうど年季が明けることに。
ところが筆者が参考にした書籍には「年季明けは26~27歳頃」と書かれていました。たしかに16~17歳で妓楼へ来る娘もいました。でもそれだと禿や新造の期間はなく、いきなり遊女デビューだったと思われます。

これはもしかしたら、年季奉公の期間としてカウントされるのは「遊女デビューしてからの期間」? そう云われれば、禿や新造時代は妓楼側への儲けはないも同然。客を取らない期間の衣装代などは姉遊女が出していたとはいえ、楼主の懐は暖かくなりません。
引込禿や引込新造として手元で芸事を教えるのも、すべては将来を見越してのこと。いわば先行投資です。

遊女として客を取り、妓楼側に利益を出してから10年後。それが彼女たちの年季明け年齢だったのではないでしょうか。

最大の夢は身請け

26~27歳頃に年季が明けるまでは、原則として出廓禁止な吉原遊郭。吉原唯一の出入り口・大門の両脇には町奉行所の番所と、番人が控えている四郎兵衛会所があり、女性の出入りを厳しく見張っていました。この吉原から出る方法は合法・非合法とでいくつかあり、合法的なものが「身請け」でした。

吉原の大門 出典:シカゴ美術館

身請けとは年季が残る遊女が、楼主への身代金を馴染み客に払ってもらい、晴れて自由の身になること。気になる相場ですが、花魁だとおおよそ1,000両。江戸時代後期の1両を現代の金額に換算すると3~5万円なので、3,000~5,000万円程度です。これはなかなかの金額ですね。

ただ身請けされた遊女が「これで自由の身になれる!」と思っても、本当に自由になれるかどうかは分かりません。請け出されても妾にされ、籠の鳥状態なのかもしれません。それでも年季前に合法的に吉原から出られる最大の夢、それが身請けでした。

一縷の望みを賭けて……逃げる!

合法的ではないけれど、吉原から出る方法はありました。それは脱走(足抜け)または駆け落ちです。

日ごと夜ごとに見知らぬ男たちに抱かれるのはイヤ! 毎晩、男たちの性の捌け口となって、あんなことやこんなことなど、ここにはとても書けないような行為はするのもされるのも、もうイヤったらイヤ!!
客に呼び出され花魁道中で迎えに行き、その後の酒宴時に気に入らなかったら断ることができたトップ花魁でも、この気持ちはあったかもしれません。

我慢に我慢を重ねた遊女たちのなかには、年季明け前に吉原から足抜けを試みる者もいました。しかし足抜けの成功率はとても低く、失敗すると厳しい折檻が待っているうえに、捜索費用が年季に上乗せされます。それを知っていたとしても僅かな望みに賭け、遊女は脱走しようとするのです。

間夫(まぶ / 遊女たちの恋人)との駆け落ちも、ほぼ失敗に終わりました。遊女がいなければ遊郭は成り立ちません。足抜けや駆け落ちが成功したとなると、次々に真似する者が現れることは必至です。この連鎖を食い止めるために、なにがなんでも楼主は逃げた遊女を探し出すのです。

無事に年季明けした遊女のその後

どうにか年季明けまで勤め上げた遊女のその後は、吉原から出るか出ないかの2つに分かれます。

まず前者ですが晴れて出廓し、実家へ帰ったり好きな男性と夫婦になったりしました。とはいえ、家族の窮状を救うために吉原で遊女になった孝行娘を、受け入れてくれる家はあまりなかったそう。
これは実家の家長が代替わりしていたり、両親は健在でも世間体が邪魔をして迎え入れてくれないなど、さまざまな理由が考えられます。実家に戻れなかった娘の中には、岡場所に代表される幕府非公認の遊郭で遊女になる者もいました。

後者の場合は、吉原の中で働く男性と夫婦になったり、勤め上げた妓楼よりもランクの低い見世の遊女になったり。また番頭新造(番新 / ばんしん)となり、花魁の相談役として妓楼へ残る者も。

出典:シカゴ美術館

自らの意思ではなくとも、一度落ちてしまうと、そこからなかなか這い出せない吉原遊郭。苦労して上り詰めた遊女のトップ・花魁でさえも、その先の人生は闇です。吉原遊女たちの平均寿命は20代前半。年季明けまで生きていられるかどうかも分からない、彼女たちの一生とはなんだったのでしょうか。切ない。だけでは言い切れない物哀しさを感じませんか?

▼吉原を舞台にしたおすすめ小説
滔々と紅 (本のサナギ賞受賞作) (ディスカヴァー文庫)

参考文献:
『江戸の色里 遊女と廓の図誌』小野 武雄著 2004年5月
『図説 浮世絵に見る江戸吉原(ふくろうの本)』佐藤 要人/監修、藤原 千恵子/編集 河出書房新社 1999年5月
『江戸吉原図聚』三谷 一馬著 中公文庫 1992年3月