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2022.01.02

冬季パラ大会の花形!「氷上の格闘技」パラアイスホッケーの熱量がハンパない

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激しい体当たりや1点を競うスピード感あふれる試合運びなどから「氷上の格闘技」とも呼ばれるパラアイスホッケー。もともとは下肢に障がいを持つ人のためのスポーツとして考案された。

わが国における歴史は、1998年に開かれた冬季パラリンピックの長野大会から始まる。他の種目に比べると実戦経験が圧倒的に少ないにもかかわらず、2010年のバンクーバー大会では銀メダルを獲得するまでに力をつけた。2022年北京大会への出場をかけた予選では惜敗したが「次」に向けての確かな手ごたえをつかんだ、と関係者は見る。

「冬季パラ大会の花形」と称されることもありながら、一般的な認知度はまだまだ低いこの種目の見どころや魅力などを名古屋に本拠を置く東海パラアイスホッケークラブの星剛史代表に聞く。

東海パラアイスホッケークラブ代表・星剛史さん

スレッジに乗って2本のスティックを巧みに操る

――パラアイスホッケーは通常のアイスホッケーとどう違うのですか。

星(以下省略):基本的なルールは大きく変わりません。違うのは使う道具。スケート靴の代わりに、スケート靴の刃を2枚取り付けた、スレッジと呼ばれるソリに乗ります。手にはギザギザの金属とブレードを付けたスティックを左右に1つずつ持って相手ゴールを狙います。

左右のスティックとスレッジで相手ゴールに攻め込む

試合は15分✕3ピリオド。1チームはフォワード3、ディフェンス2、ゴールキーパー1の計6人で構成されます。想像以上に激しい運動量をこなすため、頻繁に選手交代します。わずか1分で入れ替わることも珍しくありません。ですから、フォワードもディフェンスも目まぐるしくリンクに出たり入ったりします。それくらい厳しいスポーツです。

――確かに試合中の画像を見ると、かなり激しめな動きですね。

健常者のアイスホッケーと同様、激しい体当たりが認められている競技です。それほど過酷です。「氷上の格闘技」と呼ばれるゆえんです。ただ、激しいだけでなく、スティックを巧みに操ってパス回ししたり、相手ゴールに痛烈なシュートを叩き込んだりする。この間、選手はスレッジと“一心同体”です。

リンクの上では忖度無用!

――他の競技に比べると、日本ではまだ新しいスポーツですね。

ええ。1998年開催の長野大会に間に合わせるために、ノルウェーから講師を招いて講習会を開いたのが1993年ですから、約30年。とはいえ、まだまだ認知度は低いと思います。“舞台”となるアイスリンクが全国的に足らないこともあって、思うように活動できないのが実情です。

――競技人口はどれくらいなのですか。

日本の競技人口は140人ほど。活動しているチームは全国で7つしかありません。このうち2020年のクラブ選手権に出場できたのは4チームでした。北米の競技人口は2000人を超えるとされていますから、残念ながらケタが違います。

海外では18カ国がチームを持っています。パラリンピックの正式種目として採用されたのは1994年のリレハンメル大会です。2022年の北京大会に出場できるのは8カ国。簡単に言うと、世界選手権Aプールの1〜5位は無条件で出場できます。残りはAプールの6〜8位とBプールの上位3カ国が競う最終予選の上位2カ国と開催枠国の中国です。

――先ごろ行われた最終予選で、日本は惜敗しました。

非常に健闘したと思っています。先ほど、日本における歴史は1993年と申し上げましたが、1998年の長野大会から数えて3大会後、2010年のバンクーバー大会では銀メダルを獲得するまでに力をつけました。すでに素地のあった海外と比べ、ハンデは大きかったにもかかわらずです。だから、伸びしろはあると思うのです。

何がなんでも日本代表が世界の頂点に上りつめてほしい

――星さんは名古屋に本拠を置く「東海アイスアークス」を運営する「東海パラアイスホッケークラブ」の代表ですが、なぜ、この競技に注目されたのですか。

北海道・釧路市の出身なので、子どものころからウインタースポーツには馴染んでいました。自らもアイスホッケー選手としてスティックを握っています。ただし、始めたのは大学生になってから。ですから、競技の醍醐味は十分に分かっているつもりです。プレーそのものの面白さはもちろん、凛(りん)とした空気感、氷の削れる音、特別な空間に惹かれたように思います。

2018年に見学した日本代表チームの合宿で、改めて海外勢に比べて選手の平均年齢が高いことや活動できるチームが少ないことを実感しました。そこで、なんとかこの競技の裾野を広げることはできないだろうかと考えたのです。

星さんが惹かれた“特別な空間”

――名古屋で活動しているのは。

簡単に言えば、地縁でしょう。大学進学に伴って名古屋を中心に居住してきました。卒業後、一時期東京や静岡にも住みましたが、これまでの大半の年月を名古屋で過ごしています。ご存知のように名古屋は世界的選手を何人も輩出してきたフィギュア(スケート)王国です。しかし、同じリンクを舞台にした競技でありながら、パラアイスホッケーの存在はほとんど知られていない。あちこちにリンクがあるのにもかかわらずです。「愛知県のアイスホッケーに関わってきた者として、まずいな」という危機感と「恥ずかしい」という気持ちが募りました。

――そこで、チームを作ることから始められた。

奇遇なことに、事前準備の一環として見学した2018年の日本代表チーム合宿には、名古屋市内の別のアイスホッケー関係者も同じような連絡を入れていたのです。結果的にこのときの縁で意気投合した3人でチームを作ることにしました。同じ思いを抱いていたので話は早かったですね。こうして、2019年9月に立ち上げたのが東海アイスアークスです。

――東海アイスアークスの特徴は。

パラアイスホッケーに限らず、スポーツは本来、その競技が好きで、本当にやりたい選手がチームを作る。しかし、当クラブは、私のようにまずやりたい運営がいて、後で選手を集めました。誤解されるかもしれませんが、障がい者のためとか、ボランティア精神でとかの気持ちは二の次。ただ、勝ちたい。何がなんでも日本代表が世界の頂点に上りつめてほしい。その一心です。大学時代からアイスホッケーに親しんでその魅力を体感しているからこそ、その思いは強いと思います。

地力つけるのに役立った積極的な“他流試合”

――チームを運営する上で心がけていることは。

日本代表チームの一員として認められる選手を一人でも多く出すことです。具体的には、控え選手を含む代表メンバー17人のうちの5人以上を常に出したいですね。選手ではありませんが、代表選手チームのマネージャーの一人は当クラブのメンバーです。この仕事を全うするため、公務員の職をなげうって参加してくれています。

実はパラアイスホッケーは、スレッジに乗れば健常者でも国内の大会に参加できるのです。実際、当クラブのマネージャーも普段は選手として練習に参加することもあります。それだけに、試合に臨む懸命な選手の気持ちが痛いほど分かる。そこで、マネージャーという立場で日本代表チームを支えることに情熱を燃やしているのです。

――選手の起用に対する秘策はありますか。

他の障がい者スポーツと同じように、パラアイスホッケーにも世界で戦える潜在的な力があります。運営側の仕事は、その日本代表チームに一人でも多くの選手を送り込むことだと思っています。ほとんどが車いすバスケットやチェアスキーといった他種目からの転身組です。ですから、選手起用については奇手も妙手もありません。

当クラブのチームは2019年の発足ですから、選手のアイスホッケー歴はようやく2年。にもかかわらず、日本代表チームの今年度の合宿にはマネージャーの他、3人の代表候補選手が参加しました。運営が押し込んだのではなく、選手一人一人の努力が実を結んだ結果です。

――日本代表チームに選手を送り込むための特別な練習メニューがあるのですか。

強いてあげるなら、通常のアイスホッケーチームとの合同練習を積極的に組み入れていることです。私は1973年に設立された地元の名門社会人チーム「ホワイトキックス」の運営も務めているのでできるのです。

時には、スケート靴を履く通常のアイスホッケーチームと交わるので、試合は一種の異種格闘技のような光景を呈します。要するに実践的。かつて所属していた大学チームの後輩1、2年組や他チームと合同練習することもあります。こうした“他流試合”は地力をつけるのに大変効果的だと思います。

通常のアイスホッケーチームとの合同練習で地力をつける

次の次の冬季パラ大会に照準

――パラアイスホッケーを通じて実現したいことは。

一緒に夢を紡いでくれる選手を一人でも多く募って、世界の檜舞台に送ることです。経験の有無は問いません。実際、コンビニで声をかけた障がい者が入部してくれたこともあります。繰り返しになりますが、日本代表チームには銀メダルを獲得する力があります。ですから“叶わぬ夢”ではありません。

一方で、選手が安定的な生活を送れるような環境を整えることも大切な使命だと思っています。東海アイスアークスはプロでも実業団でもありません。わかりやすく言えば、任意団体です。ですから、各選手は昼間の本業を終えてから練習に参加します。始まるのはだいたい夜の10時。終わるころには日付が変わっています。好きでなければ続きません。

選手と勤務先の関係もさまざまです。鍵を握るのは雇用者が選手の気持ちや立場にどれくらい理解を示してくれるか。その一点にかかっています。そういう風潮の中で最近広まっているのが“デュアルキャリア”という考え方です。要するに職業人とアスリートの両立を目指す仕組みです。当クラブに入ってから転職してアスリート雇用という形で仕事に支障なく、思う存分練習に打ち込めるようになった選手もいます。

こういう働き方が恵まれた人にだけ与えられた特別なことではなく、当たり前の選択肢として受け入れられる環境づくりを目指す。次の次の冬季パラ大会に向けた私のミッションです。

“次の次”の冬季パラ大会出場に向けたシュートを狙う

書いた人

新聞記者、雑誌編集者を経て小さな編プロを営む。医療、製造業、経営分野を長く担当。『難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に』(©井上ひさし)書くことを心がける。東京五輪64、大阪万博70のリアルな体験者。人生で大抵のことはしてきた。愛知県生まれ。日々是自然体。