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これさえ知っておけば大丈夫! 日本庭園の基礎知識30

庭の説明には耳慣れない専門用語がよく使われます。ですが、必要とされる知識はそれほど多くも、難しくもありません。30の基礎知識さえ押さえておけば、庭の構成要素や様式がわかりやすくなり、日本庭園がもっと楽しめることは請け合いです。

基礎知識が分かると日本庭園はもっと楽しくなる!

※50音順

1.石組(いしぐみ)

いくつも自然石を組み合わせることを石組といい、石組は庭の景観を大きく左右する要素。日本庭園の主役といってもいいもの。石組が示す庭の主題は、以下の3つに分けられる。

1.「神仙思想を表すもの」
蓬萊(ほうらい)石組、鶴亀石組、夜泊石(よどまりいし)、舟石など
2.「仏教思想に基づくもの」
三尊石組、須弥山石組(しゅみせん)石組など
3.「民間信仰の表現」
七五三石組、陰陽石など

2.石灯籠(いしどうろう)

飛鳥時代に仏教とともに伝来した、照明用の石造品。当初は仏殿正面の献灯で、平安時代以降は神社にも用いられた。浄土式庭園に置かれたこともあるが、庭園に取り入れられるようになったのは、夜の茶会の照明具として露地に置かれた桃山時代から。はじめは石塔などの見立物が使われたが、やがて様々な意匠が考案され、庭園に不可欠な存在となる。

3.垣(かき)

竹垣と植栽を刈り込んだ生垣があり、竹垣は以下のように分類できる。

1.「柵状に組んだ透かし垣」
四つ目垣、金閣寺垣、龍安寺垣(りょうあんじがき)、光悦寺垣(こうえつじがき)、矢来垣(やらいがき)など
2.「塀状に組んだ遮蔽垣(しゃへいがき)」
建仁寺垣、銀閣寺垣、木賊垣(とくさがき)、鉄砲垣、御簾垣(みすがき)など
3.「細い竹の編み組み垣」
大津垣、網代垣(あじろがき)など 
4.「竹の穂や木の枝の垣」
竹穂垣、桂垣、蓑垣(みのがき)、松明垣(たいまつがき)、柴垣など

4.枯山水(かれさんすい)

水を一切使わず、自然の風景を表現した庭の形式。平安時代の「作庭記(さくていき)」に枯山水とは「池や遣水(やりみず)のないところに立てられた石または石組」とあるが、多く登場するのは鎌倉時代後半から室町時代にかけてのこと。夢窓疎石(むそうそせき)が西芳寺(さいほうじ)の上段に枯滝(かれたき)をつくったのが初期の代表例で、やがて禅宗寺院を中心にして、よりストイックな表現が数多く造営される。

5.曲水(きょくすい)

曲がりくねった水路のこと。曲水に浮かべた盃(さかずき)が自分の前に来るまでに歌を詠む「曲水の宴」が奈良時代から行われていたように、中国大陸から庭園文化が日本にもたらされた初期のころから用いられていた。曲水はやがて遣水へと発展するが、江戸時代の大名庭園「兼六園」や、明治時代に小川治兵衛(おがわじへえ)がつくった「無鄰菴(むりんあん)」などに用いられている。

6.景物(けいぶつ)

茶の湯によって発展した露地(ろじ)に用いられるもの。露地を歩くための飛石や敷石、口や手をすすぐための手水鉢(ちょうずばち)や蹲踞(つくばい)、夜噺(よばなし)や暁の茶会の際に明かりをともすための灯籠のほか、石造美術品や橋、垣なども景物とされる。景物はやがて一般家庭の庭にも用いられるようになり、景物をいかに有効に使用するかが作庭家の腕の見せどころとなっている。

7.小堀遠州(こぼりえんしゅう)

1579年~1647年。江戸時代初期の大名で、遠江守(とおとうみのかみ)であったことから遠州と称し、号は孤篷庵(こほうあん)。幕府の作事奉行、伏見奉行を歴任し、茶人としても古田織部(ふるたおりべ)の後を継いで将軍家茶道指南となる。建築家・作庭家としても才能を発揮し、建築では「大坂城」「江戸城」「名古屋城」、庭園では「二条城二の丸庭園」「孤篷庵」などの独創的な作品を残している。

8.作庭記(さくていき)

日本最古の庭園づくりのガイドブック。内容は主に平安時代の寝殿造庭園に関するもので、石組、池泉、滝組、遣水、野筋、植栽などの手法が細かく説明されている。著者は未詳だが、藤原頼通の三男で修理大夫(しゅりだいぶ)を務めた橘俊綱(たちばなのとしつな)が、幼いころから見聞きしてきた作庭工事を中心に、豊かな学識や独自の自然観をもとにして編纂したという説が有力。

9.敷石(しきいし)

露地を歩くために考案された、石材を用いた路の舗装。加工した石を用いる切石敷、自然石をそのまま用いる玉石敷、加工石と自然石を交えた寄石敷がある。切石敷には、四角い切石を用いるものに市松敷、短冊敷、煉瓦敷(れんがじき)、四半敷。変形の切石を用いるものに亀甲敷、氷紋敷がある。玉石敷は霰敷(あられじき)ともいい、石が大きなものは大霰零(おおあられこぼし)、小さいものは小霰零(こあられこぼし)という。

10.借景(しゃっけい)

庭園の周囲の風景を単に背景としてとらえるのではなく、作庭の重要な要素として用いること。平安時代にはすでに借景は確立されていたと考えられ、代表例として「西芳寺」の縮遠亭(しゅくえんてい)における東山、「修学院離宮」の上の御茶屋における比叡山があげられる。明治時代以降の庭では「無鄰菴」と東山、奈良の「依水園(いすいえん)」と若草山・春日山などが典型とされる。

11.書院造庭園(しょいんづくりていえん)

鎌倉時代から室町時代にかけて成立した、書院を建物の中心にした武士の住宅様式に合わせてつくられた庭。室町時代以降は、枯山水や茶室の露地など様々な庭園様式を取り入れることによって発展。桃山時代には、平安時代の寝殿造庭園と書院造庭園を組み合わせることによって「桂離宮」や「銀閣寺(慈照寺)」、「醍醐寺三宝院」などの傑作が生まれた。

12.浄土式庭園(じょうどしきてえん)

仏法の力が弱まる末法の世が来るとされた平安時代後期、厭世的、絶望的になっていた貴族や庶民は浄土教に救いを求め、極楽往生を願うようになる。阿弥陀如来に祈願すれば救われると信じる貴族は、西方浄土にすむとされる阿弥陀如来を池の西側に建てた阿弥陀堂に祀り、池の対岸から遥拝した。これが浄土式庭園の起源で「平等院」がその代表例。

13.植栽(しょくさい)

日本庭園に植えられた樹木。古い時代には縁起をかついで、神の依代と考えられていた常緑の杉や樟(くすのき)を用い、奈良時代以降は松が植栽の主役となる。四季の草花も好まれたが、枯山水庭園や露地では竹や苔以外の色彩を抑え、例外的に紅葉を重用。また、江戸時代には「伊勢物語」にちなんで杜若(かきつばた)を用いたり、外来種の蘇鉄(そてつ)を取り入れることが流行する。

14.神仙思想(しんせんしそう)

道教思想などをもとにして古代中国で発達した、永遠の生命を求める思想。東海に浮かぶ神仙島に不老不死の仙人がすむとされ、中国では漢時代から池に神仙島を配した庭園がつくられていた。日本には飛鳥時代にもたらされ、神仙思想を表した石組がつくられるようになる。桃山から江戸時代に流行した蓬萊庭園や鶴亀の庭なども神仙思想によるもの。

15.寝殿造庭園(しんでんづくりていえん)

平安時代の貴族の住宅形式である寝殿造に付随してつくられた庭。基本的な作例は、敷地を築地塀(ついじべい)で囲い、北側に寝殿を中心とした建物を配し、南側を池泉式庭園にするというもので、寝殿と池の中間には儀式のための白砂の広場が設けられていた。「作庭記」によると、その特徴は大自然の景を心に描き、その縮景をつくるということとされた。

16.州浜(すはま)

日本庭園では自然の景を写すことが重要なテーマで、日本各地の海や海岸線を模した池泉がつくられた。その際に、砂浜を表すために用いた手法が石を敷き詰めた州浜。「桂離宮」では州浜の岬がつくられ、「仙洞御所(せんとうごしょ)」でも繊細な州浜が見られる。また、「平等院」では近年の発掘調査の結果に基づいて、中島の周囲や汀(みぎわ)の一部が州浜に改められた。

17.大名庭園(だいみょうていえん)

江戸時代の大名が江戸屋敷や領国につくった庭園。一般に池泉を中心とした大規模な回遊式庭園の形式をとる。主に大名みずからの娯楽や趣味、教養のための施設としてつくられ、茶の湯や詩歌などを基盤とした意匠が織り込まれた。東京の「小石川後楽園」「六義園」、金沢の「兼六園」、水戸の「偕楽園」、岡山の「後楽園」、高松の「栗林公園」(りつりんこうえん)などが有名。

18.滝(たき)

西洋やイスラムの庭園では、よく噴水が用いられるが、これは人間が水を支配していることの象徴でもある。それに対して滝はあるがままの自然な水の流れであり、日本庭園が自然を写していることを象徴する表現と考えられる。日本庭園で滝が意識されるようになったのは平安時代から。「作庭記」にもつくり方について事細かに説明がなされている。

19.池泉(ちせん)

庭園につくられた池のこと。一般に海を模した表現とされる。平安時代の寝殿造庭園では大きな池泉がつくられ、そこに舟を浮かべて管弦を催したことから、舟で遊ぶための庭は舟遊式庭園という。鎌倉時代以降、池泉の規模は小さくなり、池の周囲を歩いてまわる回遊式庭園が発達。江戸時代の大名庭園では大きな池泉がつくられるようになる。

20.手水鉢(ちょうずばち)

身を浄めるために置かれた、水を入れておく鉢。古来、社寺に参拝するときには、手を洗い、口をすすいだことに基づくもの。手水鉢は桃山時代からの露地の発展とともに庭園に取り入れられ、当初は自然石や石臼に穴をあけたものが用いられ、やがて千利休が考案した石造の宝塔などに穴をあけた見立物が登場。江戸時代には、様々な意匠がつくられる。

21.蹲踞(つくばい)

露地の茶室前に用意された、手水鉢のひとそろいを蹲踞と呼び、露地で最も重視されるもの。蹲踞を構成するのは、手水鉢を中心に、手水を使うために乗る前石、温かい湯を用意する湯桶石(ゆとういし)、手燭(てしょく)を置く手燭石、こぼれた水を受ける海といった役石。手を洗う際に身をかがめる(つくばう)ことから、その名が付いた。役石の組み方は流派によって違いがある。

22.飛石(とびいし)

土の道に置かれた歩行用の石。庭園に用いられるようになったのは、露地が成立した桃山時代以降。飛石の打ち方は、一歩ずつの歩みを基本とする「千鳥打ち」、まっすぐの「直打ち」、変化をつけた「二連打ち」「二三連」「雁打ち(かりうち)」など。千利休が「渡り(歩きやすさ)六分、景色四分」としたのに対して、古田織部は「渡り四分、景色六分」としたとされる。

23.中島(なかじま)

池泉につくられた島。半島を示す出島と区別するために用いられる名称。古来、日本庭園の池泉には島が付きもので、浄土式庭園では極楽浄土を表す三神山(さんしんざん)と呼ばれる3つの中島がつくられた。「作庭記」には、中島は盛り土でつくってはならないと記され、あらかじめ中島となる部分を残して掘らなければ水に浸食されて壊れてしまうと説かれている。

24.橋(はし)

日本庭園の重要な要素である池泉や水流にかけられる橋には、土橋や木橋、石橋などの種類があり、形式には、平橋、反橋、太鼓橋、八橋、屋根付きの亭橋(ていきょう)などがある。反橋はこの世とあの世の結界という意味をもち、浄土式庭園では東から西へ反橋がかけられ、八橋は「伊勢物語」に基づいた木橋で、杜若の群生の中に「く」の字形にかけられた。

25.舟着(ふなつき)

舟遊びの際に舟を着けて乗り降りするための池泉の施設。平安時代の寝殿造庭園で発展し、室町時代には「西芳寺」の合同舟という舟着や、「東山殿(現銀閣寺)」の夜泊舟という屋根付きの舟小屋がつくられた。また、「桂離宮」では御舟小屋ほか主要な建物に舟着があり、「飛雲閣(西本願寺)」には舟から直接建物に出入りできる舟入(ふないり)の間がある。

26.塀(へい)

庭園を囲い敷地内を区分する連続した壁。寝殿造庭園では板塀(いたべい)に板葺き(いたぶき)屋根付きの立蔀(たてじとみ)が一般に用いられたが、傷みやすい欠点があり、浄土式庭園や書院造庭園では漆喰塗(しっくいぬり)の間仕切壁に瓦葺き(かわらぶき)の瓦塀、粘土を打ち固めた壁に瓦葺きや杮葺き(こけらぶき)の築地塀が用いられる。枯山水庭園では「龍安寺」石庭のように、塀が景色に果たす役割も大きかった。

27.方丈(ほうじょう)

禅宗寺院における住職の住居で、仏事や接客などにも使用された建物。もともとは、インドの維摩居士(ゆいまこじ)の居室が一丈四方(四畳半)であったことから方丈と呼ばれるようになった。室町時代末期から、方丈の南側には白砂を敷き、石組や植栽を施した枯山水庭園が設けられるようになる。その代表例が、「大徳寺」や「龍安寺」、「南禅寺」などの方丈庭園。

28.夢窓疎石(むそうそせき)

1275年~1351年。鎌倉時代末期から室町時代にかけて活躍した臨済宗の名僧で、作庭にも才を発揮。室町幕府初代将軍・足利尊氏や歴代天皇から尊崇(そんすう)を受け、後醍醐天皇より国師号を賜る。尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した「天龍寺」につくった龍門瀑(りゅうもんばく)を中心とした庭や、禅風に改めた「西芳寺」の庭は枯山水様式初期の傑作。

29.遣水(やりみず)

奈良時代から平安時代の庭につくられた、池泉に流れ込む細く曲がった水路。自然の小川をモデルにしたもので、寝殿造庭園では建物の床下を通り、池泉に注いでいた。遣水には、水面下に置く底石、水を分流するための水切石、護岸石とそれを支える詰石、幅の大小を調節する横石、凹凸をつくる水越石などを用い、創意工夫した表現がなされた。

30.龍門瀑(りゅうもんばく)

中国の黄河中流にある3段の滝を登った鯉が龍になるという登龍門の故事に基づいた石組の様式。南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)が創案し、夢窓疎石に伝えたとされる。滝の水を表す水落石を中心に、鯉の鯉魚石(りぎょせき)や観音さまの観音石、碧巌石(へきがんせき)、猿石で構成され、「天龍寺」や「西芳寺」、「鹿苑寺(金閣寺)」の龍門瀑は、後の日本庭園の規範となった。

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