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2022.12.19

そもそも初詣とは?いつから始まった?神道学者の先生に伺いました!

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大規模な著名神社の初詣の人手が発表されることが正月の風物詩になるこのごろ。私たちはいつから初詣(はつもうで)に行くようになったのでしょう? 初詣が正月の大イベントになったのはどの時代? 神社やしきたりに詳しい神道学者の三橋先生に伺いました。

※本記事の文章は雑誌『和樂(2012年1・2月号)』の転載です。

初詣はいつ始まった?

解説:三橋 健さん(神道学者)

みつはし・たけし
國學院大學大学院客員教授。『この一冊で神社と神様がスッキリわかる!』(青春文庫)、『すぐわかる日本の神様―あらわれた神々のすがたを読み解く』(東京美術)など著書多数。

「一年に一度の最初の朝日(元旦)を祝う行為は、少なくとも平安時代に始まったことは文献にも残っています。今でも地方によっては続いているかもしれませんが、家族で迎えるお正月とは、初詣は氏神様に出かけるぐらいで、子どもはケンカもせず、お年玉も使わずに家で静かに新年を祝う。これが正しい過ごし方とされていました」

今日のにぎやかな初詣の様子をみると、祝い方の形式が変わってきたといわざるをえません。しかし、新年を祝う心が古代から日本人の中に脈々と引き継がれているのは確かなことといえるでしょう。

歌川広重『名所江戸百景 浅草金竜山』国立国会図書館デジタルコレクション 

新年を祝うしきたりは、平安時代にはもう行われていた

「日本の歴史や文化をたどっていくときに、日本人の伝統的なしきたりが続く“家”からみる、となればそれは天皇家が適切でしょう。平安前期に始まり、現在もなお続いている天皇家の正月の祭祀に『四方拝(しほうはい)』というものがあります。天皇が早朝(午前4時ごろ)に起きて身を清め、呪文を唱え、属星(ぞくしょう、自分の生年で決まり、運命を支配しているといわれる星)の名を唱え、天地四方、そして山稜(さんりょう)を拝します。今年もいい米ができますように、国が安全でありますように、などといって新年の始まりに神様に参拝されているのです」

宮中の参拝儀式をまず公家がならい、さらには庶民に広まっていったとか。こうして新年を祝う精神は今日まで連綿と続いています。

かつて正月は先祖の霊を迎え、静かに籠るものだった

古くから日本人にとって1年の周期は、稲作と共に過ぎていくものであり、トシ(年)という言葉は稲や稲の実りを意味したとも言われるほど。新しい年をもたらし、稲の実りをもたらす年神(祖霊)を家に向かえ、祀ることが年末年始の過ごし方であったとか。

「吉田兼好の『徒然草』に描写が残されています。兼好が金沢八景あたりに立ち寄ったときに、御先祖様の魂祭(たままつり)に遭遇して、『都ではこんな風習はなくなったのに、関東には依然として行われている』と書いています。これが鎌倉時代中期のこと。人々は家に籠り、先祖の霊と食事(雑煮。餅は先祖の魂の表れ)をすることで一体になれる、田の神・山の神となって自分を守ってくれると考えられていたのです」

村落の自立が高まり、室町前期から、氏神様への新年の参拝が始まる

奈良時代から続いた荘園制度が崩壊すると、村落が生まれ、荘園の鎮守神はその地域の氏神様になりました。村民は村祭りを中心に結合し、氏神様への参拝、特に新年の初詣が重視されるように。

「といっても、その当時は神社に参拝するのは家長のみでした。大晦日の夕方から神社に籠り、朝まで酒も飲まず、音楽も楽しまずに元旦を迎えました。これを『年籠り』といい、神様を迎えるための大切な物忌(ものいみ)であり、神事だったのです。年籠りが終わると家に戻り、改めて初詣をすることになっていましたが、面倒になってそのまま参拝するものが出てきました。やがて『除夜詣』と『元旦詣』のふたつに分かれるようになったそうです。これが庶民による初詣の原型でしょうね」

恵方参りや七福神巡りなど、参拝への“仕掛け”は商人の発案

江戸後期に入ると庶民の間で寺社参拝が盛行したのは知られているところ。街道が整備されたことも手伝って、大都市に暮らす余裕のある人々は、氏神様の存在を忘れて、遠くの神様に会いにいくように…。

「大流行したお伊勢参りも、その後にある“精進落とし”という名目で、お茶屋で呑んだり食べたりすることが参拝の楽しみでもあったんです。さらには『恵方参り』(恵方=吉方にある神社に参拝すること)や『七福神巡り』といった今でいう“団体旅行”を商人が企画することで、さらに庶民をあおったんですね。そうして人々は初詣にもかこつけて、旅に出るようになったというわけです」

歌川広重『伊勢参宮略図』国立国会図書館デジタルコレクション 

遠方への初詣は、交通網が発達する明治時代から盛んに

初詣が現代のようなスタイルに変わるのは明治時代になってから。考えられる理由は大きくふたつあります。ひとつ目は、鉄道が発達したこと。東京でいえば、明治末期以降は郊外まで鉄道網が延び、その路線を保有する鉄道会社が沿線の寺社への参詣客誘致を行うように。現在も初詣参拝者ランキングでもおなじみの川崎大師や成田山新勝寺はその典型です。

「ふたつ目には、明治時代から元日が国家的祝祭日になったことです。正月のいろいろな参詣行事が元日を中心に再編されて全国民的に新年を祝う思考が社会に浸透したことにより、初詣の概念が今日のようなイベント化につながったともいえますね。今ではあたりまえのように感じる元日の寺社の混雑も最近のことなんですよ」

構成/藤田 優、福持名保美(本誌)