和樂web編集長セバスチャン高木が、日本文化の楽しみをシェアするためのヒントを探るべく、さまざまな分野のイノベーターのもとを訪ねる対談企画。第6回は、漫画家の崗田屋 愉一(おかだや ゆいち)さんです。
ゲスト:崗田屋 愉一(おかだや ゆいち)
2007年『タンゴの男』(宙出版)でデビュー。2011年、国芳一門を題材にした『ひらひら国芳一門浮世譚』(太田出版)を発表、文化庁メディア芸術祭推薦作品に選出。2016年『口入屋兇次』(集英社)日本漫画家協会大賞最終選考ノミネート。2018年、若き歌川国芳を描いた『大江戸国芳よしづくし』(日本文芸社)が再び文化庁メディア芸術祭推薦作品に選出。現在『MUJIN-無尽-』(少年画報社)『雲霧仁左衛門』(リイド社)『堤鯛之進包丁録』(幻冬舎)を連載中。
時代劇はファンタジーだ!
高現在連載中の『MUJIN-無尽-』ものすごくおもしろいですね。メジャーな新撰組や坂本龍馬のようなテーマではなく、あえて伊庭八郎を主役に選んだのは何か理由があったんでしょうか?
崗ありがとうございます。彼を主役に選んだのは人物に惚れ込んだことも理由のひとつですが、戦いの勝者だけでなく敗者の生きた証を後世に残したい気持ちがありました。幕末をテーマにしたエンターテイメントには、敗者側の視点で描かれた作品が非常に少ないので、それで伊庭八郎を主役に漫画を描こうと。
高崗田屋さんの作品には時代劇が多くありますが、もともと時代劇がお好きだったんですか?
崗そうですね、小さい頃からテレビで観ていました。家では漫画やアニメを観るのが禁止されていたので、歌舞伎や大河ドラマが唯一のエンターテイメントだったんです(笑)。時代劇には、知らない世界を覗き見をする楽しさがありますね。
高時代劇を漫画にするときは、どのように描き進めていくんですか?
崗まずは浮世絵などを参考にしますが、大前提としてそこに描かれている江戸はリアルな姿じゃありません。浮世絵で描かれた世界は、雑誌の写真のような完璧にセッティングされた状態であることを頭において、妄想を膨らませていきます。そのほかにも文献を調べたり、明治に生まれたおばあちゃんに話を聞きながら、実際の生活を想像して漫画に落とし込んでいくのですが、こうした作り込みは、ファンタジーを描くときと同じ手法だと思っています。
高時代劇はファンタジー!
崗はい、私の中で時代劇はファンタジーです(笑)。私『ゲーム・オブ・スローンズ(※)』が大好きなんですけど、文化や言語まで綿密に作りこまれているんですよ。直接画面に映るわけではないのですが、その作り込みによって作品の世界がリアルに見えるんです。時代劇も同じように、ある調度品からその背景にある「生活」を全て想像してみる。すると、まるでその時代に行って見てきたような嘘が描けるんですよ。
高なるほど。先ほど「明治生まれのおばあちゃんに江戸の話を聞いた」とおっしゃっていましたね。江戸時代ってまるで500年前の昔話のように語られることがありますが、実はそうじゃない。150年くらい前の時代なので、当時の文化や生活をリアルに描こうと思えば、まだまだいろんな手法で辿ることができますよね。
崗ぜんぜん辿れます。私は実在の人物を扱う作品に関しては、可能な限りの情報を辿って、さまざまな視点からの評を調べたうえで登場人物の性格を作り上げます。ビジュアルは肖像が残っているなら、なるべく寄せる。だから『ひらひら国芳一門浮世譚』や『大江戸国芳よしづくし』で描いている国芳は、いわゆる美男子ではなく、平たい顔で大きなおしりがチャームポイントなんです。実像から逸脱する必要もないと思っていますし、そのままが一番かっこいいんですもの。
高『MUJIN-無尽-』を読んでいると、江戸時代って意外と今の時代と感覚が近いんだなと感じられるんです。描かれているものが古臭くないし、とてもリアルで。
崗歴史を辿ると、江戸時代から社会も人間も、実はそんなに変わってないんですよね。そういうことが見えてくるのは、時代劇を描く楽しさでもあります。
現代人の漫画リテラシーが落ちている?
高崗田屋さんの漫画との出会いは?
崗家では漫画を禁止されていたので、初めて読んだのは小学3年の頃、従姉妹の家にあった三原順先生の作品です。家で読んでいたものはというと、百科事典とか童話全集とか。今でもその中にあった絵本のアラビアンナイトを鮮明に覚えています。すばらしく芸術的な絵だったから想像が膨らむんですよね。おかげで漫画を描くための妄想力が発達したような気がします(笑)。
高僕の家は崗田屋さんと反対で家が食堂を営んでいたので、ありとあらゆるジャンルの漫画が小さい頃から身近にありました。だから歴史も仏教もエロスも、自分の知識の9割は漫画に教えてもらったものです(笑)。漫画があらゆることの入り口になっていたというか。
崗最近の子は漫画で勉強する、とか言いますものね。崗田屋として描く漫画は、歴史研究の入り口を作るのが仕事だと思っています。それって、RPGで酒場にいる吟遊詩人みたいな役割なんですよ。歴史上の偉人についておもしろおかしく語ってくれる人。なのでその話を聞いてもっと知りたくなった人は酒場を出て、お城に行って学者に話を聞いたり研究の道へ進んでくれたら良いんです。
高なるほど。研究の道へと誘う入り口。
崗ただ、現代人は全てをわかりやすくしないと伝わらない、という問題がございまして…ですね。
高例えば、登場人物が多くなると嫌がられますよね?
崗そうなんです。時代劇漫画がとっつきにくいと思われる理由のひとつとして基本的に髪型が同じなので登場人物の見分けがつけづらい問題があります。私は描き分けをしているほうだと思っていたんですけど「キャラクターが全員同じに見える」とレビューされることもままあり(笑)。考えてみたら、私も初めて浮世絵を見たときは、描かれているお顔が全部同じように見えたんですね。でも数を見ていくうちに全部違う人だってわかるようになってきて。そういうものだと思うのですが…。
高でも流行っている漫画を見ると、キャラクターの個性が見た目でハッキリ描かれていますよね。今はそれがスタンダードになってしまっている。ということは、ストーリーも単純明快にしないと読者がついてこないですか?
崗最近はそうですね。昔は行間を読む人が多かったんです。あえて文字にしなかったこととか、コマとコマの間とか、セリフのないコマとか。作品に流れる空気を読んでくれたのですが、今はなかなか伝わらない。なのでどうするかというと全て文字で説明しなくちゃいけないのですが、私はそれが嫌いで…(笑)。
高現代人の漫画リテラシーが落ちているんですかね。
崗それは大いにあると思います。私の中で漫画の神様が3人いまして…ずーっと上にいる憧れの存在なので、ただ拝むだけなんですが。『鼻紙写楽』の一ノ関圭先生、『子連れ狼』の小島剛夕先生、『御用金』の平田弘史先生。そのうちのひとり、小島剛夕先生の『首斬り朝』という作品があって、日本のコミックがあまり売れないアメリカで重版したくらい、哲学的な魅力のつまった作品なんですね。
死に直面した人の心理とか犯罪者の心理が短編にぎゅっとつまっていて、見事な描写力で活写されている。それが私は大好きなんです。こういうすばらしい哲学的な漫画が昔はよくありましたけど、なかなか読者に伝わりづらいせいか、最近は少なくなってしまいました。
知りたいことは今!今!今!
高この状況は…漫画も水族館に似てきましたね。
崗えっ、水族館も単純明快さが求められているんですか?
高はい。水族館って昔はエンターテイメントよりも学習施設的な役割が強かったので、展示構成はだいたい川の上流から下流、海へと繋がっていく流れだったんですが、もうそれにオーディエンスが我慢できなくなっていて。今って一番の目玉のクラゲとかが入り口にいるんですって。
崗同じだ! 漫画の世界でも、まずわかりやすさが求められるんです。3話まで読んで読者に理解されないと、続きを読んでもらえない。下手したら最初の3ページです。もっと言うと、最初の1話で主人公が何を目的にしていてどういう性格なのかわからないものは、続かないとさえ言われるようになりました。これはもう、グーグル先生のせいですよ(笑)。
高それはね、感じています。グーグル先生のせいで、僕も夜も眠れないくらいに頭を抱えてますもん(笑)。
崗目の前の箱にパン!と文字を打ち込めば欲しいものが出てくる。知りたいことは今!今!今!って世界になっちゃったから、自分で大回りしていろんなものをひっくり返して発見する喜びを体感しづらい時代なんですよね。
高僕もWebメディアを担当するようになって、それをすごく感じていて。インターネットに溢れる情報って刹那的ですよね。知的好奇心だろうが買い物だろうが、全部その場で完結してしまう。
崗でも簡単に手に入るから、簡単に忘れてしまうんですよね。
高前回の対談でもまさに同じ話をしていました(笑)。なので、和樂webはいっそのこと無駄なものを集めた場所にしようと思っています。まったく実用性のない大回りさせるようなWebメディア。そこに人が集まるようにならなければ、Webメディアの文化も終わっちゃうんじゃないかと。で、それを信じて作ってみたら、案の定、規模が大きくならない。だって無駄なものしかないんだもん!みたいな(笑)。
崗でもわかりにくいものへの欲求も、本来はあるはずなんですよ。謎解きゲームみたいに、わからないところからみつけだす楽しみもあるし、なんでもかんでもポンポンわかっちゃうインスタントな楽しみだけじゃないはずなので、その入り口をぜひ和樂webが作ってくださったら。
高もう本当に。我々はその可能性にかけるしかないんです。インターネット自体が成熟してきて少しずつWebメディアに即効性とか実用性じゃないものが求められ始めているんですね。なのでWebメディアの文化が成熟するのが早いか、うちが倒れるのが早いか?チキンレースみたいな状況ですよ(笑)。ただいつも感じているのは、わかりやすさの欲求が今よりもさらに加速した時の恐ろしさです。インターネット上では刹那的でわかりやすいものしか伝わらない、となるとディティールがすっ飛ばされてしまう。
崗私もそれが怖くて、Twitterをやめてしまったんです。情報のさわりがいっぱい入ってくるけど、さわりだけを読んで知った気分になっちゃう。これが危険だなと思って。その情報の前後にいろんな話があるかもしれないのに。でもTwitterは、ぶっちぎりで日本のアクティブユーザーが多いんですよね。
高Twitterにこれだけ信頼をおくのって、ちょっと危うさがありますよね。もうひとつ、SNSの台頭で怖いのがフォロワー数の多い人の声がどんどん大きくなっている現象も。140字の重さが人によって違うんですよ?フォロワー数で自分の価値をつけられちゃって良いの?って不安に思っています(笑)。
崗自分で体感して自分で良いものを探すこと忘れていないかい?と思っちゃいますね。でも最近少しずつその危うさに気づいて、SNSから適度な距離を置く人も増えてきているので、これから社会が変わってくるのかな?って気配はします。
『ボボボーボ・ボーボボ』に出会えた奇跡
高漫画の世界もどんどん電子化が進んでいますね。
崗私はやっぱり紙のほうが好きです。雑誌ってパラパラめくっているうちに、何となく読むじゃないですか。そうやっているうちに夢中になるものがあるんですよね。私の場合、それが『ボボボーボ・ボーボボ』で。
高あの…すごく意外です。
崗最初は苦手だったんですけど、読むうちにだんだんと「えらいおもろいな〜!」と思うようになって、最終的には大ファンになった作品です(笑)。こういう体験が、インターネットが入り口になると生まれにくいんですよ。読みたい作品にはすぐ手が届くけど、偶然の出会いが少なくなってしまいます。
高なんでも電子化ではなく、紙の漫画だからできることもありますよね。
崗あります。決めゴマとかの迫力はスマホではなかなか味わえないですよね。パッと開いた時のオ〜ッという驚きが良いんですよ。あとは紙の方が文字がスッと入ってくる。
高それ、わかります。電子書籍だとセリフとか前の巻で何があったか覚えられない(笑)。
崗もちろん電子書籍の良いところもあるので、紙の漫画をこれからも残していくには、役割を少し変えなくちゃいけないと思うんです。例えば、私のようなコアな紙媒体ファンは多少高くても紙で買いたいのだから、紙の漫画は豪華な装丁にして単価を上げるとか。
高じゃあ絵巻物みたいな漫画はどうですか? 以前に小学館の創業90周年記念企画で、千住博さんの『源氏物語』を巻物にしたことがあって。この手法って漫画にも向いているんじゃないかな、と。『銀河鉄道999』とか、この体裁にしたらものすごく売れると思うんです。
崗小学館さんは『鼻紙写楽』を大判で出してくださったじゃないですか。それだけで、もうグッジョブですよ(笑)! これからも昭和の漫画は文庫版じゃなくてぜひ大判で出していただきたいですね。
高僕も昭和の漫画は大判で読みたい派です。手塚先生の『火の鳥』とか、文庫版で読むと文字が読めなくてなんだこりゃってなりませんか(笑)?
崗そうなんですよ、昔の漫画ってすごくネームが多いので、1ページに平均9〜11コマあるんです。それに対して今の漫画はだいたい3、4コマ。
高それで僕『キャプテン翼』をちょっぴり憎んでるんですよ(笑)。見開き2ページを使って、どーん!!とサッカーボールだけ描いちゃって。リアルタイムに読んでいたときは画期的だったけど、世の中の漫画が全部こういう表現ばっかりになっちゃうと、話が違います(笑)。
崗今の漫画は逆にスマホで読むものなので1ページに2、3コマがちょうど良いんですよね。あとはスマホで読むことを前提に描こうとすると、アップの顔だけが続く顔漫画になっちゃうんですよ。
高でも顔漫画になっちゃうのは紙のセオリーを使うからで、もっとインターネットならではの表現が生まれたら、全く違う漫画ができるのかも。例えば、スクロールに連動して時間が進んでいく漫画。縦に流れるような絵巻を描いたら、おもしろくなるんじゃないでしょうか? 新しい仕組みなのに平安時代からインスピレーションを受けた、みたいな(笑)。
歴史からその人を消しちゃいけない
崗これからの紙の漫画の役割を考えると、やっぱりアーカイブとして優れているんですよね。インターネットにある漫画はサーバーがなくなったら終わりだけど、紙にしておけばどこかの家にひとつは残るだろうから、後世の研究対象にはなれるはずです。なので「昔こういうものが読まれていたんだよ」という証拠として、紙の漫画は残したい。そうしないと浮世絵までは歴史が残っているけど、浮世絵のあとがポッカリと空いてしまう。浮世絵から派生した漫画の歴史が令和で終わるのは嫌だなと。
高それで最近、アーカイブとしての紙の価値が見直されていますよね。
崗嬉しいことです。ただアーカイブするときも情報を選別して残して欲しくないんです。何もかも残さないと意味がない。ラッピングペーパーとして海外に渡った浮世絵が、のちのち歴史的な価値を持つことだってあるんです。そのものの価値を決めるのは誰?という話ですよ。なので価値とかわからなくても全部とっておいてほしい。
高そのものの価値は、受け取る人に委ねたいですよね。
崗ええ。紙だけでなく今は有名な史跡がどんどんなくなっているんです。最近は「墓じまい」といって、先祖伝来の墓を閉じてしまうケースもけっこう増えています。そうするとその人たちの生きた証はなくなってしまうし、次の世代には、その人が存在したことすら知られない。そういう現状をなんとか食い止めるアーカイブの一助になればと思って漫画を描いているんです。
高崗田屋さんは、これからも歴史を繋ぐものとして、漫画を描き続けたい?
崗はい。遅咲きのデビューで、漫画を描ける時間が限られていることがわかっていたので、自分の筆がのっている間に『MUJIN-無尽-』に全てを注ぎ、描き終えたら引退したいです。
崗最後にみなさんへお伝えしたいことは、時代劇をテーマにした漫画はエンターテイメントだから肩肘はらずに読んでね、ということ。登場する歴史上の人物については、とにかくみんなに知ってほしい〜!という気持ちです(笑)。歴史上の人物は、研究者が増えないと存在しなかったことになってしまう。だからこそマイナーな人を知ってもらいたいんです。歴史からその人を消しちゃいけない。誰かが伝えなくちゃいけない。なので、私は知られていないけどものすごい人をなるべくピックアップして漫画を描き続けたいです。
写真・有吉晴花