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雁の来る頃
思ひいでて恋しきときは初雁の鳴きて渡ると人知るらめや 大伴黒主
大江山かたぶく月の影さえて鳥羽田(とばた)の面(おも)に落つるかりがね 慈円
秋晴れの夕空を渡る雁の列を見なくなって久しい。雁が来るのはちょうど稲の収穫の時期で、刈田(かりた)の空ゆく雁を眺める人々の表情には遠来の客を迎えるような安らぎがあった。
万葉集の巻第十には「雁を詠める十三首」があり、すでに秋空をどこからともなく渡ってくる雁にさまざまな思いが寄せられている。
「明け闇(ぐれ)の朝霧隠(ごも)り鳴きて行く雁はわが恋妹(いも)に告げこそ」(読み人しらず)という歌では愛する人に思いを伝えてほしいといっている。この歌の下句には中国の蘇武(そぶ)の故事が意識されており、雁は思いを運ぶ鳥と考えられていたようである。蘇武は前漢(ぜんかん)の人、匈奴(きょうど)に捕われ長く故郷への音信が絶えていたが、雁の足に結んだ手紙が故国に届き、このことの奇瑞(きずい)により解放されたのであった。
日本でも雁は白鳥や鶴とともに霊魂を運ぶ鳥と思われてきたので、渡りの姿を見たり声を聞いたりする時には、或る感慨をもよおすものであったと思われる。掲出の第一首、大伴黒主(おおとものくろぬし)の歌はせつない恋の歌である。詞書(ことばがき)によれば、忍び逢いをしていた大切な女性があったのだが、妨害があったのか逢うことが難しくなり、せめてもとその人の家のあたりまで行ってみると、折ふし初雁が鳴きながら渡るのであった。
「あなたのことを思い、堪(こら)えがたく恋しくなって、空ゆく雁が鳴きつつ渡るように、泣きつつあなたの家のあたりを徘徊(はいかい)し、悲しんでいることを御存知でしょうか」という歌意である。雁はどんな声で鳴くのだろう。「鉤(かぎ)になれ、竿(さお)になれ」と叫んだ記憶はあるが、声のことは覚えていない。しかし『源氏物語』には「かなしさ」を誘う声としてうたわれている。
「初雁は恋しき人のつらなれや旅の空とぶ声のかなしき」。これは須磨に身を退(ひ)いて寂しい日を送るようになった源氏の秋の思いだ。簡素な邸の前栽(せんざい)にも秋の花は咲き乱れて、秋の情趣がここにはいっぱいだが、源氏は白い綾衣(あやぎぬ)のやわらかな衣に紫苑(しおん)色の指貫(さしぬき)などを召して、上には藍色の直衣(のうし)をゆったりと着こなし、海を漕いでゆく船を眺めている。そんな時に詠まれた歌である。源氏の眼には都恋しさで涙が浮かんでいた。歌意は「連ねゆく雁たちは都に残してきた恋しい人たちと同じ思いの仲間なのだろうか。旅の空を飛びゆく声の何という悲しい声か」というものだ。
とはいえ雁は秋の風物詩である。人々は雁が来るのを心待ちにしていたのであろう。掲出の第二首、慈円(じえん)の歌の何と美しく大きな景であることか。絵画的な構図である。ここで歌われた「大江山」は「大枝山(おおえやま)」とも表記される京都市の西京区、丹波(たんば)との境の低山。歌は鳥羽からの夜景だ。暗黒を照らす入(い)りがたの大きな月を背景に、雁の小群は列を解きつつ鳥羽の田の面を今宵の仮り寝の宿と定めて闇中に消えようとしている。
馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)など。
※本記事は雑誌『和樂(2021年10・11月号)』の転載です。構成/氷川まりこ