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『源氏物語』は恋愛のお手本! 馬場あき子×小島ゆかり対談・1【現代人にも響く『源氏物語』の恋模様】
平安朝に本当の恋はあったのか? 馬場あき子×小島ゆかり対談・2【現代人にも響く『源氏物語』の恋模様】
【馬場あき子×小島ゆかり 対談】その3
光源氏のモデルはだれだったのか
小島:光源氏は天皇になる資格を失って臣下に下ったことで、最初は高貴な女を欲していたのですが、「雨夜の品定め」(※注10)以降は急に中流の女に興味がわいていきますよね。
馬場:光源氏のモデルとされる人に在原業平(※注11)がいて、業平は身分の高い女だけを求めて失敗している。中流や同輩以下の女との恋愛もするけれど、そんな女には操を要求する。
小島:『伊勢物語』の主人公とされる人ですね。
馬場:その点、光源氏は一度契った女に対しては一生面倒を見る誠実さがある。これは、当時のあらゆる女にとっての理想だったのだと思います。
小島:「雨夜の品定め」は男の視線で全部書いていますが、これは、女として、男とはこんなものだよと問いかけているように感じませんか。
馬場 物語の読み手の第一は彰子(※注13)でしたからね。やはり、中宮に男の世界を教えるために書いたのでしょう。
小島:元良親王(※注14)も光源氏のモデルだという説については、いかがお考えですか?
馬場:元良親王も陽成院(ようぜいいん)の皇子だけれど、藤原の力によって、絶対天皇の位は巡ってこない。それで〝色好み〟になっていった人ですね。
小島:ひと夜巡りの君という、あだ名がつけられていたほどですからね(笑)。
馬場:ひと晩ごとに女をかえるから、そう呼ばれていたのね。でも、当時の色好みというのは決して悪い意味ではありません。血筋はいいけれど身分に限度があり、制度の束縛がある。そこで、身分の高い女、禁忌(※注14)の女を奪うことで自分の誇りを保とうとする。それが色好みの醍醐味でもあったわけです。
小島:今のプレイボーイのようなタイプではなく、むしろ男性の理想像ですね。
馬場:色好みの世界では、出会いと別れは対になっていて、それから考えると、源氏は色好みの範疇(はんちゅう)からはずれています。全員捨てなかったから。
小烏:そうですね。最後はみんな六条院(※注15)に引き取っていますからね。別れが描かれているのは六条御息所だけ。
馬場:この時代、恋というものは、ただ女にちょっかいを出すようなことではないのです。
小島:和歌を交わし、書画やお香、音楽など雅なもの全体を含んで成立していたのですから。
馬場:色好みとは非常に高い文化のもとに成り立つもの。その競争の中で平安の男女は生きていた。
小島:王朝サロンは、まさにその文化の粋。それが源氏物語に集約されていると思います。
源氏は一度契った女の面倒を一生見た。これは当時の女の理想でした 馬場
※注10 雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)
第2帖「箒木(ははきぎ)」で、源氏のもとにやってきた頭中将(とうのちゅうじょう)らの男たちが行う、妻にふさわしい女性の品評会。
※注11 在原業平(ありわらのなりひら)
825~880年。平城(へいぜい)天皇の孫、阿保(あぼ)親王の子。六歌仙のひとりで、『伊勢物話』の主人公とされる、色好みの代名詞的な男性。
※注12 彰子(しょうし)
藤原彰子。988~1074年。一条天皇の皇后(中宮)。後一条天皇、後朱雀天皇の生母。専任の女房には紫式部のほか、歌人として知られる和泉式部や『栄花(えいが)物語』の作者と伝わる赤染衛門(あかそめえもん)らがおり、自らの宮廷サロンが平安時代の文芸をリードしていた。
※注13 元良親王(もとよししんのう)
890~943年。陽成(ようぜい)天皇の第一皇子だが、父帝の譲位後に誕生。色好みの風流人として知られ、『大和物語』『今昔物語集』に逸話を残す。特に宇多院妃である藤原褒子(よしこ)/京極御息所(きょうごくのみやすんどころ)との恋愛が有名。
※注14 禁忌の女(きんきのおんな)
道徳や習慣上、決して犯してはならない間柄の女性。
※注15 六条院(ろくじょういん)
光源氏が35歳のとき、六条御息所が所有していた土地に造成した屋敷。源氏はここに関係のあった女性を集めて住まわせた。
Profile 馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:https://www.ikuharu-movie.com)でも注目を集めている。
Profile 小島ゆかり
歌人。1956年名古屋市生まれ。早稲田大学在学中にコスモス短歌会に入会し、宮柊二に師事。1997年の河野愛子賞を受賞以来、若山牧水賞、迢空賞、芸術選奨文部科学大臣賞、詩歌文学館賞、紫綬褒章など受賞。青山学院女子短期大学講師。産経新聞、中日新聞などの歌壇選者。全国高校生短歌大会特別審査員。令和5年1月、歌会始の儀で召人を務める。2015年『和歌で楽しむ源氏物語 女はいかに生きたのか』(角川学芸出版)など、わかりやすい短歌の本でも人気。
※本記事は雑誌『和樂(2007年10月号)』の転載です。構成/山本 毅