Culture

2023.11.23

フランク・ロイド・ライトが目指したもの~帝国ホテル二代目本館100周年を機に考察する

20世紀を代表する建築家、フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)は、美しいデザインやその土地の特性を活かした有機的な建築、周囲の環境も含めたランドスケープなど、常に世界の注目を集めてきました。2019(令和元)年には、彼の設計したアメリカの建築物が「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として、世界遺産にも登録されています。そして浮世絵を代表する日本美術の素晴らしさにも傾倒し、コレクターとして多くの作品を蒐集しました。フランク・ロイド・ライトが建てた帝国ホテル二代目本館が100周年を迎え、大回顧展も開かれる2023(令和5)年、改めて彼の足跡を追います。

建築家としてだけでなく、教育思想も強く打ち出したフランク・ロイド・ライト

20世紀初期のアメリカで、すでに自然の景観と建築の融合や民主主義の根底にある教育の真理を訴え続けたライト。その思想は建築だけにとどまらず、様々な分野に影響を与えてきました。ライトは、1867年6月8日、ウィスコンシン州で、音楽家でパブテスト派説教者の父と、教師である母の間に生まれます。しかしライトが18歳の時に両親が離婚し、ライトは母親一族の影響を強く受けます。中でも1886年にライトの叔母たちが設立した先駆的教育機関「ヒルサイド・ホームスクール」の活動が、若きライトの心に深く印象付けられたようです。その後、20歳でウィスコンシン州を離れ、シカゴに赴き、設計事務所に就職。いくつかの事務所を経て、ライトの師となるアドラー&サリヴァン事務所での出会いにより、ライトの人生は大きく変わっていきました。

フランク・ロイド・ライト、タリアセンにて|撮影者不明|撮影1924年 コロンビア大学エイヴリー建築美術図書館 フランク・ロイド・ライト財団 アーカイヴズ

ライトが最初に日本を意識したのが、1893(明治26)年のシカゴ万博の日本館鳳凰殿で、これは左右対称のデザインと渡り廊下の伸びやかな構成で知られる平等院鳳凰堂を模したものともいわれています。この建築をきっかけに、日本へ強い興味を抱いたライトは、1905(明治38)年に初来日し、7週間にわたって滞在。日本各地を周り、そこで見る様々な風景や建物の写真を撮影していきました。ライトの日本訪問は計7回に及び、日本の伝統建築が周辺環境や自然と融合していることや、人工物と自然物が一体となっていることなどが、ライトの建築に大きな影響を与えたといわれています。

シカゴ万国博覧会日本館 鳳凰殿|撮影:1893年 写真提供:帝国ホテル

迎賓館を超える帝国ホテル二代目本館の建設

明治維新を機に日本は大きな西洋化の波にのまれました。それは建築界でも同様で、1890(明治23)年11月に竣工した帝国ホテルは、3階建てのルネサンス様式で客室が60室、迎賓室などの個室、主食堂、ホール、ビリヤード室、談話室、奏楽室などを備えた豪奢な西洋建築でした。1906(明治39)年に別館40室を増加し、1909(明治42)年には大倉喜八郎(※1)が株式会社帝国ホテルの取締役会長に就任。それから7年後の1916(大正5)年に、帝国ホテル新館の設計をフランク・ロイド・ライトに依頼します。当時、日本の建築業界は、鉄筋コンクリート構造や煉瓦造りに試行錯誤しており、外国に見られる浪漫主義に傾倒した建築を望んだため、ライトに白羽の矢が立ったのでした。

※1 明治・大正時代の実業家。大倉財閥の創設者

模型(3Dスキャン&プリンタによる)帝国ホテル二代目本館|建築:フランク・ロイド・ライト、制作:京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab 2023年制作

コンクリートや石を使用したモダンで堅牢な建築

東京の中心地に、美しく積み上げられた煉瓦や石を多様した洋風建築は、当時の人々にとって、宮殿のように煌びやかな建物として映り、脚光を浴びました。ホテルが丸ごと都市という斬新な発想で建てられたホテル内には、客室数270室、回り舞台を持つ850人が収容できる演芸場、300人収容のキャバレー・レストランなどもあり、その広さも1万6,000㎡という巨大なものでした。明治の建築としても群を抜き、各国の要人を迎えるためのホテルとして重用されました。

1919(大正8)年、ライトの設計による新館建設が開始。しかし、知識の差や言葉の壁などがあり、工費は900万円(現在の約1,800億円)を超え、予算は3倍に膨れ上がり、工期も大幅に予定を超えてしまいました。その主な要因となったのが、帝国ホテル全体を埋めている石彫刻でしたが、ライトの指示が石工になかなか通じず、困難を極めたようです。

帝国ホテル二代目本館(東京、日比谷)1913-23 縦断面図|建築:フランク・ロイド・ライト|1915年

そして遂に完成を見とどける前にライトは解雇され、アメリカに帰国してしまいます。このような予想外の事態を巻き起こしながらも、ライトの愛弟子にあたる遠藤新らがその後を引継ぎ、1923(大正12)年9月1日に帝国ホテル二代目本館が竣工。しかし、この日は、世界をも揺るがす関東大震災が日本を襲った日でもあったのです。

死者9万1802人、行方不明者4万2257人という未曾有の大地震が起こる中、帝国ホテルは奇跡的に倒壊をまぬがれました。これがフランク・ロイド・ライトの名を一気に世に知らしめることになり、彼のその後の人生を大きく変えるきっかけになりました。しかし、この災禍を耐え抜いたホテルも、1967(昭和42)年には老朽化に伴い、惜しまれつつも取り壊されました。現在では、その一部が愛知県犬山市の博物館明治村に移築されています。

日本美術がライトの思想に大きな影響を与えた

世界から注目される一方、ライトが設計する建築デザインに、日本の伝統的建築の影響が指摘されるようになりました。中には模倣といった辛らつな批判をする識者や建築家もいて、ライトはそういった見解と亡くなるまで戦い続けることになります。

クーンリー邸、平面図および内部空間「フランク・ロイド・ライトの建築と設計」 フランク・ロイド・ライト 出版:エルンスト・ヴァスムート社 1910年

ライト自身は、日本の建築と自身のデザインにおいての類似性を否定していますが、日本美術においては、彼の哲学的思想への影響は大きかったことを認めています。その最たるものが浮世絵でした。ライトは、

「浮世絵の占める位地は想像されているよりはるかに大きい。もし私の教育の中に浮世絵がなかったらどのような方向に向かっていたかわからない」

という言葉を残しています。例えば、歌川広重の「八ツ見のはし」に見られる枝葉の内部をフレームとして見せる手法は、ライトもウィリアム・ウィンズロー邸のヴァスムートのパース画において、同様に木の幹と葉をフレームのように使用しています。また、遠近法においても、西洋的な遠近法ではなく、浮世絵の空間的手法を採用していました。

名所江戸百景 八ツ見のはし「歌川広重」安政3(1856)年 神奈川県立歴史博物館(左上)、名所江戸百景 浅草川大川宮戸川 歌川広重 安政4(1857)年(左下)、名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田 歌川広重 安政4(1857)年(右上)、名所江戸百景 堀切の花菖蒲 歌川広重 安政4(1857)年(右下)

歌川広重の浮世絵に関してはコチラ
歌川広重、風景画の名作には秘密があった!

さらにライトは、浮世絵を大量に購入し、販売することで利益を得たり、コレクションを増やしたりするようになりました。1906(明治39)年には、シカゴ美術館で浮世絵の展覧会を行い、書籍も出版します。さらに1908(明治41)年にはシカゴ美術館で大規模な展覧会を開催し、会場の設計も担当。1913(大正2)年の東京来訪の際には、大量の浮世絵を購入し、コレクターとなって、メトロポリタン美術館やシカゴ美術館のための浮世絵買い付けへとつながっていったのです。それほど、ライトにとって、浮世絵は自身の人生にも大きな影響を与えたものだったのです。

帝国ホテル二代目本館100周年を機にフランク・ロイド・ライトの大回顧展が開催

現在、豊田市美術館では、[帝国ホテル二代目本館100周年]『フランク・ロイド・ライト―――世界を結ぶ建築』展を開催しています。この展覧会では、フランク・ロイド・ライト財団から移管された5万点を超える資料を管理研究するコロンビア大学エイヴリー建築術図書館の全面協力のもと、建築はもちろん、デザイン、著述、造園、教育、技術革新、都市計画に至るまでの功績を透視図やドローイング、写真や模型など約430点を通して紹介しています。学芸員の千葉真智子さんは、「今回の展覧会は7つの章で紹介し、さらに41のストーリーとプラスαで構成しています。住宅から公共施設、都市計画に至るまで多岐にわたるプロジェクトには、自然や周辺環境への配慮、内部と外部の連続性、有機的につながる内部空間など、ライトの一貫した建築思考を認めることができます。また、ライトの関心事や仕事自体が、時代を超えて有機的なつながりとなっていることを、それぞれの章を越えて感じてもらえたらと思います」と語ってくれました。

第1章では、日本人になじみの深い「モダン誕生 シカゴー東京、浮世絵的世界観」として、同時期に摩天楼都市を目指したシカゴと近代都市へと移り変わった日本とが比較展示されています。また、ライトが目指したデザインの美しさ、テクニック、思想などを透視図やドローイング、模型や写真から、ライトがいかに浮世絵や日本の伝統文化に影響を受けたかを垣間見ることができます。第3章では、進歩主義教育に関わった女性クライアントたちとの仕事を中心に、彼女たちの教育思想も含めて紹介し、ライト自身の教育観にもスポットを当てています。日本においても、羽仁もと子・吉一夫妻が女学校として設立した自由学園の思想に共鳴し、設計を担当(現在の自由学園明日館)。こうした当時の資料も含め、日本での交友関係やライトが理想とした教育プログラムなどの内容も知ることができます。

自由学園(東京、池袋)初期案 平面図 部屋別概要の記録(フランク・ロイド・ライト財団からの寄贈された複写)

第4章「交差する世界に建つ帝国ホテル」では、当時の建築図面や写真、実際に使用されていた家具などからも、美しく有機的なデザインやライトの建築に対する思考を体感できます。膨大な資料や作品を前に、一貫して目指していた自然とのつながり、そこから生まれる有機的なデザイン、人が育つ環境を作る広い意味での建築など、あらゆる側面からライトの実像が浮き彫りになっていきます。第5章以降は、さらにライトの思想を深く知るための建築におけるコンクリートブロックの素材やシステムの工法住宅の設計など、個人や共同体が家を建設できるよう供給手法を提供しました。また、晩年には、興味を持っていた高層の建築などにも触れています。思想から、教育、工法システムの構築まで、建築を幅広い視点から導き出し、20世紀を駆け抜けたフランク・ロイド・ライトが残した建築は、現代の私たちに今を見つめ直すきっかけを与えてくれているようです。

豊田市美術館 展示風景

メイン写真:絵葉書 帝国ホテル二代目本館(東京、日比谷)1913-23|建築:フランク・ロイド・ライト|撮影:1935年頃 写真提供:帝国ホテル

参考資料:フランクロイドライトと日本文化 ケヴィン・ニュート 著 大木順子 訳 鹿島出版会 フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル 明石信道(文・実測図目)村井修(写真)著 株式会社建築資料研究者

帝国ホテル二代目本館100周年
「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」展

会期:2023年10月21日(土)~12月24日(日)
会場:豊田市美術館
開館時間:午前10時~午後5時30分(入場は午後5時まで)
観覧料:一般1,400円(1,200円)/高校・大学生1,000円(800円)/中学生以下無料

休館日:月曜日
公式ホームページ

主催:豊田市美術館、フランク・ロイド・ライト財団
共催:中日新聞社
特別協力:コロンビア大学エイヴリー建築美術図書館、株式会社 帝国ホテル
助成:公益財団法人ユニオン造形文化財団
展示協力:有限責任事業組合 森の製材リソラ
後援:アメリカ大使館、一般社団法人日本建築学会、公益社団法人日本建築協会、一般社団法人DOCOMO Japan、有機的建築アーカイブ

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黒田直美

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。
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