「時を超える女性の恋歌たち」シリーズ一覧はこちら。
小島ゆかり選、万葉時代を代表する恋の歌3首
青旗の木幡の上をかよふとは目には見れども直に逢はぬかも
倭大后
読み:あおはたのこはたのうえをかようとはめにはみれどもただにあは(わ)ぬかも
意味:青々と繁った木々の上を、亡くなられた天智天皇の魂が通っているのが見えるのに、現実にはお逢いできないのですね。
【解説】
倭大后(やまとのおおきさき)は天智天皇の皇后で、この歌は天智天皇が崩御(ほうぎょ)のときに詠まれたものです。木幡は宇治市北部の地名で、青旗はそれにかかる枕詞。また、青旗は木々が茂った緑豊かな景観を浮かび上がらせる効果も与えています。天皇が葬られたのは山科で、その地へ倭大后は思いを馳せているのです。
この歌で倭大后は、亡き天智天皇の御霊(みたま)が自分には実際に見えると言っています。そこに、恐れと畏れの両方を感じます。
もともと、倭大后は父である古人大兄を天智天皇に殺害されているのです。その上で嫁いだところから始まり、時を経てひとり残されてしまう。そのような経過を踏まえて読むと、この歌の後ろにはたいへんもの暗い感情がこもっているように感じられるのです。
空を通う霊は見えるけれども、実際に会うことはできないというこの歌には、古代らしい雰囲気が横溢していて、『万葉集』ならではの面白さがあると思います。
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽してよ長くと思はば
坂上郎女
読み:こひ(い)こひ(い)てあへ(え)るときだにうるは(わ)しきことつくしてよながくとおもは(わ)ば
意味:恋しくて恋しくて、やっと逢えたときぐらいは、愛情深い言葉を言い尽くしてくださいね。これからもふたりの仲が長く続いてほしいと思うのならば。
【解説】
甥である駿河麻呂との恋の歌の贈答のうちの一首です。「恋ひ恋ひて」という印象的なフレーズを最初に使い始めたのが坂上郎女(さかのうえのいらつめ)で、この歌から彼女の包容力や余裕が感じられます。
坂上郎女の最初の夫はずいぶん年上の穂積皇子。結婚後一年半たらずで穂積皇子は亡くなるのですが、非常に愛された結婚生活の中で、郎女は人間として女性として大きく成長したのだと思います。その後もいろいろな恋をして、悲しみも知る。やがて大伴宿奈麻呂(おおとものすくなまろ)と結婚して、大伴家を支え、中年になってからも、甥の大伴家持(やかもち)や駿河麻呂と擬似恋愛的な歌のやり取りを楽しんでいました。坂上郎女は、生涯をかけてふくよかに、女であり続けることを楽しんだ人で、彼女の恋の歌にはそれがよく表れています。
青柳の張らろ川門に汝を待つと消水は汲ます立処ならすも
東歌
読み:あおやぎのはらろかはとになをまつとせみどはくまずたちどならすも
意味:柳が芽吹いている川岸で水汲みも手につかず、もしかして恋しい人に会えるかしらと、往ったり来たり土を踏みならしていることよ。
【解説】
東国庶民の歌と言われる東歌(あずまうた)ですが、そこには万葉時代ののどかな庶民生活や、ユーモアが垣間見られて、秀歌が多いのです。
「張らろ」は「張れる」の方言で「せみど」も方言、音の面でも非常にユニークで気持ちいいですね。「川門」は川幅が狭くなっている岸のことで、水汲み場になっていたところです。
この歌には、普段はしないようなさりげない動作の中に、恋するゆえの情感がにじんでいるように感じられます。このような牧歌的な風景、素朴な恋心などは、『万葉集』以外の古典和歌にはほとんど見受けられません。
庶民的な歌だからこそ 、情景を思い浮かべやすい。また、懐かしさのような感党が芽生えてくる。そんなところが東歌ならではの味わいです。現代の私たちの心にも、東歌に詠まれた恋の情景は、ストレートに響いてきます。
Profile 小島ゆかり
歌人。1956年名古屋市生まれ。早稲田大学在学中にコスモス短歌会に入会し、宮柊二に師事。1997年の河野愛子賞を受賞以来、若山牧水賞、迢空賞、芸術選奨文部科学大臣賞、詩歌文学館賞、紫綬褒章など受賞歴多数。青山学院女子短期大学講師。産経新聞、中日新聞などの歌壇選者。全国高校生短歌大会特別審査員。令和5年1月、歌会始の儀で召人。2015年『和歌で楽しむ源氏物語 女はいかに生きたのか』(角川学芸出版)など、わかりやすい短歌の本でも人気。
※本記事は雑誌『和樂(2005年9月号)』の転載です。構成/山本 毅