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美しい所作、鋭い眼光、響く声。木村容堂さんに聞く、大相撲「行司」の世界・前編
行司は相撲界の書記的存在、
番付、顔触れ、取組記録を担う
土俵以外の仕事も多いと前編でも述べたように、行司は番付(ばんづけ)から顔触れ(*1)、取組の記録までのあらゆる書き物を任されています。まさに“相撲界の書記”とも言える存在。そのすべては筆書きのために、見習い時代から習字の練習に励みます。
さて番付とはいったいなんなのか。なんとなくはご存じだと思いますが、場所ごとに力士、在籍する親方や行司らを階級別に一覧にしたものです。江戸時代の元禄年間(1688~1704)には、板番付が興行場入口に掲げられていたそう。紙に刷られた形で残る最古の番付は、正徳年間(1711~1716)のものだとか。代々受け継がれてきた番付は、「お客さんが会場に隙間なく入るように」との願いを込めて、太く隙間のない相撲字で書きます。
相撲字は、江戸時代から昭和はじめまで番付を発行していた版元・根岸治右衛門(ねぎし・じえもん)が作成していたために、「根岸流」とも呼ばれています。昭和19年からは、行司が番付の書き手となりました。戦後7番目の番付担当として、16年にわたって書き手を務めたのが三役格(さんやくかく)行司の木村容堂(きむら・ようどう)さん。助手時代を入れるとなんと35年もの長きにわたって、番付に携わってきました。ちなみに令和5年3月場所からは、容堂さんの助手を務めた木村要之助(きむら・ようのすけ)さんが引き継いでいます。
「父親は書道が趣味でした。もともと書道は好きで筋がよかったのか、番付担当の二代木村容堂(のちの30代庄之助)に助手を任されました。担当になったのは平成19(2007)年11月場所からです。千秋楽が終わると次の本場所にむけた番付編成会議がはじまります。会議に出席して次の番付情報をまとめ、引退や改名など変更を確認して、原稿をつくります。あとは自宅にこもって、締め切りに間に合うようにひたすら書く。7日から10日ほどで完成させます。本場所2週間前の番付発表までは極秘事項ですから、その間は人に会わないようにしていましたね」。
新横綱、新大関、新十両などを(それぞれ準備が必要なために)除けば、番付発表までの約1カ月はその内容を口外してはいけない規則。相撲字がうまいのはもちろん、口の堅さも番付担当には必須な資質です。
番付は紙を汚さぬように左から
字間やハネにでる書き手の個性
番付の原本を「元書き」と呼び、元書きにはタテ110㎝×ヨコ80㎝のケント紙(番付表の4倍ほど)を使います。番付は5段にわかれていて、1段目は幕内、2段目は十両や幕下というように、地位によって段が異なります。地位ごとに文字の大きさが異なるため、筆を変えて書きます。番付には力士だけではなく、親方、行司、呼出し、床山、世話人など800名ほどの名を書いていきます。墨をすっていた時代もありますが、今は墨汁が定番。書き終わると協会へと納品して印刷会社へ。「場所ごとに番付表も印刷部数が多少変わります。私が務めていた最後の頃は、確か40万枚ほど印刷していたようですね」
書き方の工夫や難しい四股名について訊ねると、最後の仕事である令和5年1月場所の番付を手に説明してくれました。「基本は紙を汚さないように左から書き、枠内の上下を揃えることです。さらに四股名が同じ文字数であっても、必ず字間は変えて動きをつけるようにします。字間のバランスが難しいのは、一山本の一の文字です。臥牙丸の臥も難しかった。またモンゴルとかジョージアなどのカタカナはバランスがとりにくいですね」。バランスのとり方やハネなどに書き手の個性がでるそう。
番付に携わって35年、書き手ならではのやりがいや喜びも語ります。「番付をあげた力士たちが笑顔で番付表を手にする姿を見ると、私が書いた番付でこんなに喜んでくれているのだと、毎回うれしい気持ちになります。また『虫眼鏡』(*2)と呼ぶような番付であっても、喜ぶ力士やファンがいるからすべてに気を引き締めて書かないといけない、とも」。
印象に残る番付として容堂さんは、「どのような番付であっても常に同じように向き合っています。平成24(2011)年3月場所は、協会不祥事で場所の中止が決まり、番付は書いたけど世にでなかったです。これは忘れられませんね。また書き手として最後の令和5年1月場所は、横綱・照ノ富士、大関・貴景勝とひとりずつ。これも珍しいことなので印象的といえば、そうかもしれません」と振り返ります。
明治時代に決まった行司の装束
装束や小物は階級ごとに違いあり
行司といえば、直垂(ひたたれ)に烏帽子(えぼし)という装束がお決まり。しかし昔からというわけではなく江戸時代には、浮世絵に描かれているように裃袴(かみしもはかま)姿で勝敗を判定しています。しかし明治に入ると洋髪に裃姿が似合わないとのことで、明治43年に直垂と烏帽子に決められます。
番付によって服装に決まりがある力士同様に、行司装束にも決まりがあります。幕下格以下は、はだしで袴の裾をまくります。36代木村庄之助を務めた山崎敏廣さんは、夏巡業でアスファルトを歩くときや冬巡業の霜柱の立つ冷えた土俵にあがるときには、早く足袋がはけるようになりたいと何度も思ったと、そのエッセイに綴っています。一人前の行司になったといえる十枚目格からは、足袋をはいて裾も下ろします。また装束の生地にも違いがあり、幕下格までは一年を通して木綿、十両格以上からは夏は紗、冬は絹となります。飾りや紐の色、軍配につける房の色、草履や印籠などの小物も、すべて階級によって異なります。また立行司だけが身に着ける短刀は、差し違えたら切腹する覚悟の意が込められています。
見習い時は兄弟子のおさがり装束からはじまって、自身でお金をためて誂えたり、また昇進すると親方や後援会からお祝いにいただくようにも。一門(*3)の横綱や大関の昇進祝いで贈られることもしばしば。容堂さんもいただきものの装束は多いと言います。「先代の九重親方(第58代横綱・千代の富士)や九重親方(元大関・千代大海)、朝青龍関や曙関にいただいたものは今でも大切にしています。2年前にいただいたポケモン紋様の装束は色味が気に入っています。息子を連れてポケモンセンターに出掛けたこともあり、キャラクターもよく知っていますよ(笑)」。
容堂さんは一場所につき4、5着を用意して特に意識せずに着まわすそう。毎日違う装束を身に着ける行司や長めに袴をはく行司など、装束や着方へのこだわりはひとそれぞれ。ただ装束の手入れは、誰もがきちんと行っているそう。砂や塩がかかるため傷みやすく、破れやほつれがあるとすみやかに修理へ。着用後は必ず陰干しをすると容堂さん、装束の手入れも仕事のうちだそうです。
家紋や吉祥紋、漢詩など
個性豊かな仕事道具・軍配
装束姿の行司に欠かせないものといえば軍配。江戸のころから使うようになり、浮世絵には軍配で勝負を裁く姿も描かれています。行司自身が誂えることもありますが、親族や後援者から贈られることが多いそうです。「譲り団扇」といって、師匠から弟子へと受け継がれている軍配も。なかでも有名なのは、立行司の木村庄之助と式守伊之助の譲り団扇です。13代木村庄之助から150年にわたり受け継がれている軍配と初代式守勘太夫(五代伊之助)が使用した軍配があります。これらは相撲協会が管理・保管しているそうです。
もちろん軍配も階級ごとの違いがあり、幕下以下は木目のもの、十枚目以上は塗りのものを使います。絵柄には決まりはなく、家紋や吉祥紋が描かれたり、漢詩が書かれたりしています。令和6年1月場所で容堂さんが使った軍配は、中国の詩人・陶淵明(とうえんめい)の漢詩が書かれたもの。「漢詩は父の筆によるものです。これは輪島塗ということもあって、能登半島地震の被災地を応援する気持ちで選びました。いくつか所有していますが、ほぼ名古屋の仏壇工房の内藤でつくっていただいています」。螺鈿細工や金粉が施された軍配も伝統工芸品であり、行司の信念や美意識が感じられるお道具です
名乗りを挙げる際、軍配の握り方に木村と式守では違いがあります。軍配を握ったときの手のこぶしを上に向ける木村家の「陰の構え」、こぶしを下に向ける式守家の「陽の構え」です。現在では握り方にとらわれない行司もいるようですが、それぞれの型として受け継がれています。
相撲道の基本「心・技・体」は
行司にとっても基本となるもの
昨年の令和5年大相撲興行は、どの場所もほぼ「満員御礼」の垂れ幕が下がりました。コロナ以前から増えているものの、海外ゲストが大勢訪れるようになったのが印象的。また話題となった相撲ドラマ『サンクチュアリ』の影響もあってかZ世代ファン層が増えた気がします。今の相撲人気を容堂さんは、どのように感じているのでしょうか。
「海外のお客様や初めてお見えになる若い方も日本文化のひとつとして楽しんでいただければうれしい。満員御礼はありがたいことです。コロナ禍では無観客興行を経験したことで、大きな歓声があってこそ大相撲の取組が盛り上がると実感しています」
相撲興行に賑わいが戻った昨今、行司界にも大きな変化がありました。昨年秋に41代式守伊之助が38代木村庄之助へ昇格することが決定。令和6年1月場所に9年ぶりとなる立行司・木村庄之助が誕生しました。最高位の庄之助は、角界では「親方」と呼ばれ、巡業の移動や支度部屋でも横綱や大関と同じ扱いを受けます。立行司・木村庄之助という存在について、容堂さんはこう話します。「木村庄之助とは、所作の美しさや正確な裁きなど行司としてのふるまいだけではなく、日々の生活すべてにおいて後進への模範となるひとでなければいけない。それは目指してなれるものではありません」
心を磨き、技を極め、体を鍛える「心・技・体」は、相撲道の基本。そしてそれは力士だけではなく行司にとっても大事なことだと、容堂さんは言います。「平常心でいること、裁く技術を高めること、万全の体調で挑むこと。それが行司の心・技・体です」。最後に行司になっていなければと訊ねると、「考えたことないです。行司しかなかったんじゃないですか」ときっぱり。自らが正しいと信じた道を突き進む、まさに信念の行司・三代容堂。
伝統文化としての「大相撲」を担っている、行司という存在。その伝統の世界に少しでも触れることで、相撲への興味がわき楽しみが増すことを願って、記事の結びとさせていただきます。
撮影/梅沢香織
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応募方法
「小学館ID」と「茶炉音(サロン)・ド・和樂」にご登録の上、以下応募フォームよりご応募ください。
締め切り
2024年3月31日(日)
発表
応募者多数の場合は抽選といたします。当選者には直接ご連絡を差し上げ、発表に代えさせていただきます。電話などでの問い合わせには応じられませんので、ご了承ください。
■参考書籍
・知れば知るほど行司・呼出し・床山(ベースボール・マガジン社)
・月刊相撲(ベースボール・マガジン社)
・大相撲行司の世界(吉川弘文館)
・大相撲(小学館)
・大相撲行司さんのちょっといい話(双葉文庫)
・大相撲の解剖図鑑(エクスナレッジ)