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永遠のふたり 白洲次郎と正子

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Culture

2024.06.10

神に愛された幕末の彫物師。見るものを圧倒する石川雲蝶の作品を訪ねて

新潟県魚沼市。名峰、八海山の山並みに抱かれた町に、かつて神業とも思える腕を持った彫物師がいたことは、あまり知られていない。名を、石川雲蝶(うんちょう)という。幕末から明治を生きた彫工であり、堂塔大工。市内の寺院などに残る彼の作品を見て、後の時代の人は、いつしか彼を「越後のミケランジェロ」と称するようになった。今も残る彼の作品を訪ねた。

石川雲蝶の謎に満ちた前半生

幕末の動乱まではまだ少し間のあった文化11(1814)年。江戸、雑司ケ谷の家具職人の家に、石川安兵衛、後に雲蝶と名乗る少年は生まれた。生来の感性からか、20代半ばで建築装飾である「江戸彫り」の技術を習得。師である石川周信から石川の姓を許された。


江戸には多くいた大工や彫物師の中でも、最高クラスの腕を持っていたのだろう。長じて「官工」、すなわち幕府お抱えの彫り師となった彼は、幕府御用勤めとして一般の社寺仏閣の彫り物ではなく、格式の高い建築装飾、さらには寺社建築そのものを手掛けるようになる。

「江戸にいた頃の雲蝶の作品は残っておらず、これ以上詳しいことはわかりません。ただし、彼が越後に来た理由はわかっています」

中島さんは観光ガイドでありながら、雲蝶の作品に惚れ込んで研究を続けている。刊行した書籍は、数少ない雲蝶の解説書になっている。

そう語るのは、石川雲蝶について研究を続けている中島すい子さん(写真上)。雲蝶の作品に惚れ込み、観光ガイドの傍ら、解説書『私の恋した雲蝶さま』(現代書館)を上梓した。

天保の改革によって仕事が減った雲蝶に声をかけたのが、越後三条の金物商、内山又蔵だった。腕を見込んだ又蔵は、これ以上無いような条件を雲蝶に提示した。住まいはもとより、道具、さらにおそらくは、有数の米どころの美酒。彼は越後への移住を決意する。時に32歳。「又蔵との出会いが、雲蝶の自由奔放な作風につながったのだと思います」と中島さんは話す。

江戸生まれの石川雲蝶が越後へ移ったのは32歳のとき。おそらく彼も名峰、八海山を見上げただろう。雲蝶は三条の商家へ婿入りし、一男一女を設けている。

頭上に迫る龍と虎

魚沼市の中心部から車で約15分。曹洞宗の名刹・西福寺にある開山堂は、歴代住職ならびに檀家の位牌を祀る御堂で、時の住職・大龍和尚に請われた雲蝶が、堂内の装飾を手掛けた。五間四方の空間は、欄間から漆喰の壁画まで、ありとあらゆる場所に雲蝶の彫刻が施されている。

西福寺開山堂は、雲蝶の作品で埋め尽くされている。貴重なギヤマンや青の岩絵具などを惜しげもなく使えたのは、これがすべて寄進によるものだから。同寺の檀家であり、豪農であった一族などが寄進したもので、それぞれの名前も彫り込まれている。

見るものを圧倒するのは、天井だ。吊り天井は、曹洞宗の開祖・道元禅師が修行中に虎に襲われた際、拄杖(しゅじょう:禅僧が行脚のときに携える杖)を投げつけたところ、杖が龍に姿を変えて虎を退治したという「道元禅師猛虎調伏之図」が描かれる。


龍の鱗が光る緻密さ、逃げながら悔しげに後ろを見やる虎の豊かな表情、鷲のダイナミックな翼の動き。岩絵具による着彩まで自ら手掛けたという雲蝶の驚異的な手仕事が、いまも当時のまま、参詣する人々の頭上に迫る。いずれも、目には当時希少な素材であったギヤマン(ガラス)を用い、同じく貴重であった青の岩絵具も、道元禅師の法衣など、惜しげもなく用いている。

「雲蝶のおもしろさは、彼の遊び心にあると思います」

中島さんはそう語る。動物が好きであったという雲蝶は、鯉や亀、猿や雀、さらには蝸牛まで、まるで思いつくつままに彫ったかのように、いたるところで生き物たちを踊らせる。写実的、緻密なだけでなく、生き生きと、時にユーモラスな表情は、葛飾北斎が「北斎漫画」に描いたような、作者自身が楽しみながら描いた・彫ったであろうことを想像させる。

開山堂正面の柱や梁にも雲蝶の細かな仕事が見える。琴を弾じているのは、中国で古くから信仰された女仙・西王母の娘。指先の反りに、優しげで艶やかな様子を表現した雲蝶の腕が光る。

御堂の欄間に目をやる。修行中の道元禅師を彫り上げた欄間彫刻には、奥の消失点に向かって分厚い板を彫り込んでいく遠近法の技法が見られる。生み出したい場面に、よほどの奥行きが必要だったのであろう。雲蝶は板の裏側にさらに板を継ぎ足して、奥行きを表現している。安政4(1857)年に完成したという開山堂。雲蝶は当時44歳。6年を掛けてこれらの彫刻を生み出した。幕末の越後に、これほどの「美」が存在していたことに、ただただ驚かされる。

 

魚沼を愛した雲蝶の人物像

「雲蝶は優秀な堂塔大工でした。堂塔大工とは、簡単に言えば一人でお寺を造ることができる大工のこと。図面を描き、装飾の彫刻ができ、さらに建築資材まで集めることができる人のことを言ったそうです。彼は一人で越後を訪れ、この地の大工たちを集めてこの本堂を完成させました」

石川雲蝶の作品が数多く残されている寺の一つ、永林寺(魚沼市)の住職、佐藤公彦(こうげん)さん。父である前住職の故・憲雄さんが寺に眠る作品の一般公開に踏み切り、雲蝶の名前を全国広めるきっかけをつくった。

500年以上前に創建され、徳川家康の孫・松平忠直とその子・光永の菩提寺(香華所)として由緒ある永林寺(魚沼市)。石川雲蝶の作品が数多く残されている本堂で、住職の佐藤公彦(こうげん)さん(写真上)は、同本堂の建築自体が雲蝶の手によるものだと説明する。

永林寺は、装飾だけでなく本堂全体が雲蝶の手による。地域の大工を集め、統率し、堂塔大工としての知恵や技術を伝えながら、建築したと伝わる。

「彼は非常にユニークな人柄で、頑固だったとも伝わっています。そもそもこの本堂を手掛けたのは、時の住職との賭けに負けたから。どうにか本堂の仕事をしてもらいたかった住職が、雲蝶が博打好きであることを知り、住職が勝てば雲蝶は無償で本堂を建て、雲蝶が勝てば住職は建築資金を渡すという大博打を申し出たのだそうです」

雲蝶の手による孔雀。木材には銀杏が用いられており、正確な製作年は明らかではないが、構図のバランスや彫りの立体感、細密な描写など、雲蝶の傑作の一つとして挙げられる。

雲蝶はその賭けに負けた。だから彼は、この寺の仕事をお金のためにしたわけではない。むしろそのために、自らの心の向くまま、気の向くままに手掛けた「天才」の自由な仕事が、本堂の随所に見ることができると、佐藤住職は言葉を継ぐ。
 

本堂正面に配された迦陵頻伽。仏教における想像上の生き物で、極楽浄土で美声にて仏法を説くとされ、その姿は上半身は翼を持つ菩薩、下半身は鳥の姿となっている。

中でもおそらく一番の見所は、両面透かし彫りで彩色された雅楽器を持つ天女たちだろう。篳篥、龍笛、笙に楽太鼓。生命感にあふれた5人の天女の艷やかな表情と手つきからは、いまにも雅な音色が聞こえてくるかのようだ。

永林寺における雲蝶作品の代表作でもある天女。

細い目、小さな口、桜色の頬。天女のモデルとなったのは、雲蝶がこの地で惚れた女性だったとも、32歳で婿入りした酒井家出身の妻だったとも伝わる。博打に遊び、女性を愛し、美酒に酔う。魚沼という土地を存分に満喫した雲蝶の人となりについて、確かな資料は残されていない。いずれもが、『このような人だったと聞いている』といったように、口伝として各寺、各家に伝わっているものだ。

「口伝として残された彼の人柄は、実に多彩で、さまざまな側面があったことを思わせます。私はそのどれもが雲蝶という人だったのだと思うし、あえて一つの人物像に統一させる必要はないと思う」

そう語る佐藤住職は、訪れた人に作品の素晴らしさはもとより、寺に伝わる雲蝶の物語を語り伝えてもいる。

祭壇正面の香炉台に彫られているのは天邪鬼。両脇の灯籠台と合わせ、愛らしく人間味豊かな表情が見もの。博打好きだったと伝わる雲蝶は、同寺の近くの賭場に出入りしていたらしく、賭場仲間の間ではこの香炉台の灰を舐めると運気が上がるという迷信が広まったのだという。

「神の指先」を想像する

雲蝶は魚沼を中心に、ただひたすら寺院や路傍の諸仏を彫刻して生涯を過ごした。その一生は、決して聖人君子のそれではなく、豊かな人間味に満ちている。そこから生まれる「遊び心」が、彼の作品に深みと滋味を与えているのかもしれない。

ルネサンス期、 西洋美術史上のあらゆる分野において巨大な影響を与えたミケランジェロを、人々は「Il Divino(イルディヴィーノ)」すなわち、神に愛された男と呼んだ。人は、人智を超えた技量に”神の指先”を想像する。神業としか表現し得ない雲蝶の作品の数々が、彼の心のままに生み出されていったものなのだとすれば、やはり石川雲蝶という人物もまた「神に愛された人間」だったのだろう。

取材・文:安藤智郎(Tomoro Ando)/撮影:高橋マナミ(Manami Takahashi)

取材協力:
新潟県観光協会
曹洞宗 赤城山 西福寺(公式HP https://www.saifukuji-k.com/
曹洞宗 針倉山 永林寺(公式HP https://eirinji.jp/

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和樂web編集部

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