CATEGORY

最新号紹介

12,1月号2025.10.31発売

今こそ知りたい!千利休の『茶』と『美』

閉じる

Culture

2025.08.06

人肉好きの僧、腹で話す女……江戸の文献に残る“変わり者”たち

世の中は広い。いろんな人がいる。情報時代の今とちがって怪と珍が混在していた江戸時代なら、なおのこと、いろんな人がいただろう。というわけで今回は江戸時代の文献の中から、にわかには信じがたい変わり者たちを紹介。

人の肉を食べた僧侶、胆に毛を生やした男、天狗に雇われた少年……市井を騒がせたうわさ話は嘘か、それとも本当だったのか。会ってみたいような、みたくないような。江戸時代ならではの、ちょっと変わった人たちをご覧あれ。

犬の親をもつ和尚の事

月岡芳年『月岡芳年新聞小説插絵』(国立国会図書館デジタルコレクション)

仏門を極め、人びとに敬われ、信頼されるべき和尚というのも、また一人の人間であることを忘れてはいけない。他人には明かせない秘密を胸のうちに抱えているかもしれないのだから。たとえば、親が犬である、とか。

寛永のはじめのころの話である。
ある和尚のもとへ、町の檀家の者が薄黒い毛色をした一匹の犬を連れてやってきた。珍しい毛並みの犬である。この犬が気に入った和尚は、そのまま寺で飼うことにした。
数年後、寺を離れることになった和尚は犬の身を案じて、もとの飼い主のところへ返してやることにした。しかしその夜、夢にあの犬が現れて言った。
「わしはお前の親だ。どこまでもいっしょに連れて行ってもらわなければならぬ」
しかも次の日もまた夢に出て言うのだった。
「わしは本当にお前の親なのだ。もし一緒に連れて行かなければ、お前の命をとるぞ」
そんな夢を見てしまったら返すわけにいかない。その犬を呼び戻し、一緒に連れて行くことにした。その犬は座敷の上で暮らし、食事も和尚と一緒にとり、夜も和尚とおなじ布団に眠った。

ある時、寺で非常に大切な催しが開かれることになった。犬は、そのときも和尚と並んで第一番の座に座った。それを見て「礼儀に外れる行いである」と怒りだす僧にたいして、和尚はその犬が自分の親であることを話して、どうにか許しを得たという。犬はそれからすぐに死んだが、丁寧に葬ったとのことである。(『蒹葭堂雑録』)

僧侶は人肉がお好き

これは亡者の湯灌から剃髪までを頼まれた、とある僧侶の話である。
この僧侶、手をすべらせたのか、もとからおっちょこちょいだったのか、髪を剃っている最中になんと間違って死者の頭の肉までそぎ落してしまった。
バレたら恥ずかしいと思ったのだろう。前後の考えもなく、かといって隠す場所もないので、僧侶はその肉を自分の口に放りこんだ。
はじめは気味の悪いのを我慢して口に入れたのだが、いつしかその肉がこの上なく美味しいものに思えてきた。それからというもの、この僧侶は人間の肉の味が忘れられなくなってしまった。

昼間は我慢できる。でも、夜になると耐えられない。
僧侶は、そっと裏の墓場へ出かけていくと仏の土を掘り返し、棺のなかの死骸の肉を切り取り、舌鼓をうって食べるようになったという。

しかし悪事というのはいつか人に知られるもので、そのうち和尚に見つかってしまった。呼び出され、叱責され、打ちひしがれた僧侶は自分の犯した罪を懺悔すると暇を乞い、どこかへ行ってしまった。元禄年にあった話ということである。(『新著聞集』)

腹でもの言う女の事

月岡芳年『月岡芳年新聞小説插絵』(国立国会図書館デジタルコレクション)

元文三(1738)年ごろの話。
兵庫県の山里に住む女性が世にも不思議な病気にかかった。口でなにか言うと、おなじようにお腹の中から声が出てくるのである。女の夫の話によれば昨年、二人で京都へ参詣に行った際に茶屋で休んでいると、急にお腹でものを言い出したという。側にいたべつの客がそれを聞いて気味悪がって騒ぎ出したので、いたたまれず、その夜のうちに京都から帰ってきたとか(『閑田耕筆』)。

まるで応声虫を思わせるうわさ話である。私がこの夫婦の知り合いだったら、処方箋を教えてあげたのに、と思わずにはいられない。
腹の中から不気味な声が…正体不明の病「応声虫」とは

狸たちとの甘い生活

月岡芳年『月岡芳年新聞小説插絵』(国立国会図書館デジタルコレクション)

変わった女のうわさ話は、ほかにもある。

卯乃という女性の話で、寛政七(1795)年の八月頃から行方が知れていない。ただ、その年の十一月頃に貝殻で手水鉢の水を飲んでいるところを見た人がいるという。
発見した人が大きな声を出したものだから、卯乃はどこかへ隠れてしまった。隅なく探したところ縁の下で見つかったが、髪は乱れ、服も汚れ放題、見る影もなく痩せ衰えていた。介抱のかいあり、そのうち事情を話したという。
話によれば、卯乃は若い男三人と一緒に暮らしていたらしい。それはもう毎日が楽しくて、食べ物は男たちが代わる代わるいろんなものを持ってきてくれて、面白いことばかりの夢のような生活を送っていたという。そう話す卯乃の表情は、どこかふぬけた様子で奇妙だったという。無事に親元へ送り届けたが、卯乃はそれから間もなくして亡くなった。(『梅翁随筆』)

じつは彼女、狸と暮らしていたのではないか、と言われている。その証拠に行方不明になった八月から神仏へ供えたものや台所にしまっておいた食べ物がよく無くなっていたと報告する者が現れたのだ。ふぬけていた理由も、男たちとの夢のような共同生活もそれで理由がつく。卯乃は狸たちに化かされていたのだ。

とはいえ物の怪の仕業だなんて、いまいち信じられない。信じられないが、卯乃の様子を知っている人たちは信じた。奇妙なことが現実として起こるのが江戸時代なのである。

天狗に雇われた少年の事

物の怪に化かされた者もいれば、自ら物の怪のもとで働いた者もいる。小間物屋で働いていた少年も、その一人だ。

この少年、夕方に近くの銭湯へ行くと言って手ぬぐいをもって出かけて行ったまでは良かったが、しばらくすると小間物屋の裏口に立っていた。しかも先ほどとはまるで違う恰好をしている。
あまりの不思議さに驚く主人だったが、とりあえず少年を家に招き入れた。すると少年は会釈をして、台所の棚から盆をとり出し、自然薯を乗せて主人に「お土産でございます」と言って差し出した。
主人が「今朝はどこから来たのか」と尋ねると「秩父の山を今朝出ました」と少年は答えた。
「ながく留守にしまして、申しわけございません」
「いつ家を出たのだ」
「昨年の師走に。それからずっと秩父の山にいました。昨日あちらのご主人が明日は江戸へ帰してやるから、土産に自然薯を掘っていけというので、これをもってきました」
不思議なのは、そのあいだも少年は小間物店でずっと働いていたということである。(『諸国里人談』)

どうやら少年は留守のあいだ天狗に雇われていたらしい。ということは、少年が留守のあいだ代わりに小間物屋で働いていたのは、誰だったのか。天狗が気を利かせて誰かを送りこんだのだろうか。それとも天狗に雇われたべつの物の怪だったりして。というか、この少年は天狗のもとでなにをしていたのだろう。考えれば考えるほど不思議な話である。

橋の上で消えた男の事

月岡芳年『月岡芳年新聞小説插絵』(国立国会図書館デジタルコレクション)

天狗といえば、もう一つ不思議なうわさ話が巷を騒がせたことがある。

文化四(1807)年の話である。
ある主人のもとで真面目に奉公をしていた男が、突然「暇をいただきたい」と言い出した。主人が行き先を尋ねると、男は日本橋へ行くのだと言う。どうにも怪しいので男を尾行してみると、日本橋の橋の上まではたしかにいたのに、そこで急に姿が見えなくなった。以来、男は帰ってこなかった。
それからちょうど三年目に日本橋で消えた男から手紙が届いた。
「つつがなくおりますからご安心ください。ただし、帰ることはできません」(『街談文文集』)

街のうわさ話によると、この男は天狗に連れていかれたことになっている。神隠しならぬ、天狗隠しである。日本橋は天狗のいる場所へ通じているのだろうか。

胆に毛を生やした男の事

いかにもうわさ話らしい、というか、嘘みたいな話がある。

秋田県に小間者を商う男がいて、じつに声が良く、唄も上手かったので、人形を操りながら商売をしていた。その男がなにか悪事をして、斬り殺されることになった。
その当日、死刑場に引きだされたとき、男は「歌をひとつ歌わせてほしい」と頼んだらしい。そうして一曲、美声をふり絞って歌うと「思いおくことはない。切れ、切れ」と言って、そのまま顔色ひとつ変えずに斬られて死んだ。
それは見物人の侍たちをも嘆賞させる度胸の太さだったという。それで試しにその男の死骸の腹を切り裂いて、その胆を見てみると、なんと毛が生えていたという。(『異説まちまち』)

度胸のある人間を「胆に毛の生えたやつ」と言うことがあるけれど、まさにその通りだった、という話。嘘みたいな話だが、当時はふしぎな話としてずいぶん、うわさの種になったらしい。

江戸時代の珍と怪を流れるうわさ話

月岡芳年『月岡芳年新聞小説插絵』(国立国会図書館デジタルコレクション)

江戸時代の文献を読んでいると不思議に思うことがある。どうしてこうも、変わった話が多いのだろう、ということだ。
怪談や奇談が語られるとき「これは本当にあった話」のように、事実であることが前置きとして語られることが少なくない。今回紹介した話も、おおくは各地の奇談や珍談を集めた書籍の中から紹介したものだ。でも、その真偽は確かではない。
誰が語り、誰が聞いて、誰か書き記したのか分からない話もおおい。それどころか物の怪や天狗や奇病が登場する、嘘みたいな話ばかりである。つまり、かなり胡散臭い。

情報社会の今とはちがって、江戸時代では「うわさ話」を耳にしても、自分で調べたり、自分の足で出かけて行って確かめたりすることは、なかなかできなかっただろう。確かめようのないうわさ話はいつまでもうわさ話として人と人のあいだを駆け巡り、少しずつリアリティーが増していき、各々が想像力を巡らせて楽しんでいたのかも。そうだとしたら、こんなに楽しい遊びはない。「百物語」や怪談会が大きな広がりをみせたのもこの時代ならではといえる。

当時の人びとにとって、闇はより身近にあった。街では明かりがほとんどなかったことも、怖い話を盛り上がらせた理由だろう。もしかすると江戸の庶民は、私たちよりも、ずっと怖いものや変わったものへのアンテナが研ぎ澄まされていたのかもしれない。

おわりに

それでも、いくらばかりかの真実が、ここには含まれていると、ごく個人的に、私は考えている。なにせ世間は広いのだ。どんな不思議が起こったとしてもおかしくない。
狸と暮らした女も天狗と働いた少年も日本橋で消えた男も、いなかった、とは、言いきれない。彼らはみな、存在していても不思議はない、ちょっと変わっているだけの、普通の人たちなのだ。真実の揺らぐ実体のない話だからこそのおもしろさが、ここにはある。

【参考文献】
富岡直方『日本猟奇史 江戸時代篇』国書刊行会、2008年

Share

馬場紀衣

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。
おすすめの記事

その「無視」が命取り。今川義元・大内義隆、悲劇の結末とは? 戦国武将失敗エピソード集(怪異編2)

Dyson 尚子

あなたの顔は本当にひとつだけですか? 人の顔をした腫瘍「人面瘡」とは

馬場紀衣

借りたものを返さないと…死んでも取り立てに来る、討債鬼の恐怖

馬場紀衣

人間と結婚したり、祟ったり。ヘビ年の今こそ知りたい「日本人とヘビ」の愛憎物語

あきみず

人気記事ランキング

最新号紹介

12,1月号2025.10.31発売

今こそ知りたい!千利休の『茶』と『美』

※和樂本誌ならびに和樂webに関するお問い合わせはこちら
※小学館が雑誌『和樂』およびWEBサイト『和樂web』にて運営しているInstagramの公式アカウントは「@warakumagazine」のみになります。
和樂webのロゴや名称、公式アカウントの投稿を無断使用しプレゼント企画などを行っている類似アカウントがございますが、弊社とは一切関係ないのでご注意ください。
類似アカウントから不審なDM(プレゼント当選告知)などを受け取った際は、記載されたURLにはアクセスせずDM自体を削除していただくようお願いいたします。
また被害防止のため、同アカウントのブロックをお願いいたします。

関連メディア