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2025.08.08

なぜ“川で洗濯”しているの? 日本昔話から読み解く水辺の意味

日本昔話に登場するおばあさんは、川で洗濯をしているイメージがある。『桃太郎』では「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川で洗濯に……」行くところから物語は始まる。
洗濯場は衣類を洗う場でもあるが、出会いの場でもある。川へ行かなければ、おばあさんは桃太郎に出会うことはなかっただろう。『花咲か爺』でも、子犬は川上から流れてくる。

でも、すべての出会いが幸せな結末を迎えるとは限らない。流れてきた桃をタイミングよくキャッチしたおばあさんは幸運だったかもしれないが、水場での出会いが不幸を招いた例もあるのだから。そんな「洗濯する昔話」をまずは紹介しよう。

待ちすぎた恋の結末

歌川豊国画(The Metropolitan Museum of Art)

おそらく洗濯する昔話のなかでもっとも古いものは、『古事記』の中に読むことができる。

物語のヒロインは、美和河(みわがわ)のほとりで偶然にも洗濯をしていた乙女。
雄略天皇が美和河のあたりを遊行していると、川辺で衣を洗う容姿麗しい乙女が目をひいた。乙女の姿にひとめぼれした天皇は、思わず声をかけるのだった。
「お前は誰の娘か」
美和河の乙女は答えた。
「私は引田部赤猪子(ひけたべのあかいこ)と申します」
この時代、男性が女性に名前を聞くことはプロポーズするのと同じくらいの意味があった。だから、そう尋ねられて乙女はすぐに結婚について考えたにちがいない。
「お前は嫁がずにいるように。また呼びにこよう」
天皇はそう言葉を残すと宮へ戻って行った。
乙女は言いつけを守り、召される日を今か今かと待ちつづけた。でも、なかなか迎えはやってこない。そうこうしているうちに八十年もの月日が流れてしまった。

乙女はついに天皇の宮を訪ねることを決意する。
八十年も待ったのだ。返事はどうであれ、自分の心だけはお伝えしたい。
しかし時というのは残酷で、ようやくお目通りできた天皇は乙女のことなどすっかり忘れていた。それでも真心は伝わったようで、天皇のほうにも結婚のことが頭をよぎったが、お互いの年齢を思えばそうもいかない。歌を交わし、贈り物を与えたという。

「洗濯」する昔話

葛飾北斎「冨嶽三十六景 隠田の水車」(The Metropolitan Museum of Art)

結婚をちらつかせながら女をいつまでも待たせているダメな男の話は世間でよく聞くけれど、いくらなんでも八十年は長すぎる。長すぎて、そのあいだに他の男性に求婚されたこともあっただろう。天皇がひとめぼれするくらいの美貌の持ち主だ。思いを寄せてくる男性は何人も現れただろうし、乙女のほうでも「そろそろ……」という気になったことは、一度や二度じゃなかったはずだ。
そのすべてを振りきって、たった一度の約束を胸に待ちつづける。乙女の心は川より深く、水より澄み渡っている。まさに洗濯をきっかけに生まれた、哀しいロマンスである。あるいは、人を愛するというのは、こういうことを言うのだろうか。

ところで、日本古来の洗濯方法は「踏み洗い」だった。
手で洗うよりも、足で踏んで洗うほうが多かった理由は、昔の布は繊維が固くてごわごわしていたから、と言われている。だから、おそらく『桃太郎』のおばあさんも踏み洗いをしていたし、乙女も踏み洗いをしていた。

『徒然草』には、洗濯する女性の足に見とれていたせいで神通力を失った仙人の話がでてくる。これは私の勝手な想像だけれど、もしかすると『古事記』に登場する天皇もまた、乙女の洗濯している足にひとめぼれしたのではないだろうか。

昔話のおばあさんは、なぜ洗濯ばかりしているのか

勝川春好画(The Metropolitan Museum of Art)

ところで『桃太郎』のおばあさんは川で洗濯しているが、『舌切り雀』のおばあさんは井戸端で洗濯をしている(川の場合もある)。
『常陸国風土記』(奈良時代)には「村の中に清泉あり」、夏の暑い時には「男女集会ひ休遊び飲楽あり」という記述があるから、この時代、夏場の水辺には周辺の人たちが集まって涼んでいたことが分かる。
川へ洗濯に行くのは古い時代の庶民生活の象徴でもある。井戸のほとりは洗濯場であり、寄合場でもあり、洗濯は日常のひと場面であると同時にリフレッシュするための活動にもなっていたらしい。

そうなると、昔話の情景がすこし変わってくる。
「おばあさんは川で洗濯に……」という語り口には、一人で黙々と衣を洗っている家庭の主婦を思わせるふしがあったが、おばあさんたちは近隣住人と賑やかにおしゃべりでもしながら気楽に洗濯を楽しんでいたのかもしれない。

古の洗濯事情

喜多川歌麿「婦人手業操鏡」(The Metropolitan Museum of Art)

『万葉集』には、洗浄に関係のある歌がいくつか記さているので、洗濯(あらひ衣)は、すでに人びとのあいだで習慣化された日常のひと場面だった。ただ、洗濯という言葉は見あたらず、代わりに「ときあらい」とか「さらす」などの字句が登場する。
ものの本によれば、「ときあらい」は仕立てた着物をほどいて洗うこと。「さらす」は漂白と水で洗う工程を含んでいるという。

昔話のおばあさんたちは洗浄料になにを使っていたのだろう。
おばあさんたちが使っていたのは、おそらく「さいかち」だ。さいかちのさや(果皮)には、サポニンという成分が含まれていて、古くから洗濯に用いられていた。
このさやを水に浸出して衣類を洗ったのか、水煮したもので洗ったのか、あるいはそのままこすったのかは定かではないけれど、これで洗うと生地を傷めることなく、なおかつ洗った後は光沢が出て、手触りもよくなったという。ちょうど洗剤と柔軟剤の両方をいいとこどりした、環境にも肌にも優しい万能石鹸みたいなものだったと思われる。

水辺の恋

水辺は物語の生まれる場所であり、そして清浄の場所でもある。水行、滝行、水垢離(ごり)、沐浴などは、すべて水によって体を清めるという共通の目的があるし、「みそぎ」には田植えや収穫といった五穀豊穣を祈る行事と深く関係している。古代日本人の清浄は水と結びついていると言ってもいい。

日本昔話のおばあさんたちが水辺へ洗濯に行くのは、たんに物語上の都合上そうしていたのではなく(もちろんそれもあっただろうけれど)、洗濯が生活のなかに溶けこんだものであり、水場が禊と祓いの場所でもあったからだろう。不思議な物語が生まれる萌芽が、ここにある。

洗濯をしながら想い人を待ちつづけた乙女も、天皇と出会った場所が畑やあぜ道だったら、話は変わっていた、かもしれない。

【参考文献】
落合茂『洗う風俗史』未来社、1984年

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馬場紀衣

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。
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