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Culture

2025.09.10

開いてはじまる扇子の話。尾上菊之丞さんと日本舞踊『二人椀久』

扇子は、風をおくる道具として知られています。それが伝統芸能の表現者にとっては必要不可欠なものとなります。なかでも日本舞踊家にとって、扇は最も大切な道具。持ち手の身体の一部にもなれば、心を映し出し、景色を描き出すことも。それほど重要なアイテムでありながら、ふだんはぴたりと閉じられ、じっくり拝見する機会は多くありません。

そんな扇子を見せてください、というお願いに答えてくれたのが、日本舞踊尾上流四代家元の尾上菊之丞(おのえ きくのじょう)さんです。名作舞踊『二人椀久(ににんわんきゅう)』で使われる扇子をご紹介くださいました。

三代目尾上菊之丞 おのえ・きくのじょう

日本舞踊尾上流四代家元。1976年3月生まれ、東京都出身。三代家元の二代尾上菊之丞(現墨雪ぼくせつ)の長男として生まれ、2歳から父に師事。1981年、国立劇場「松の緑」にて5歳で初舞台。1990年に尾上青楓せいふうの名を許される。2011年8月、四代家元を継承すると同時に、三代目尾上菊之丞を襲名。

名作とともに、受け継がれる扇子

——さっそくですが、菊之丞さんの「特別な扇子」を見せてください。

尾上菊之丞(以下、同じ):
舞踊『二人椀久ににんわんきゅう』で椀久を踊るときに使う、こちらの扇子です。

——『二人椀久』といえば、歌舞伎や日本舞踊で人気の演目ですね。

長らく上演が途絶えていたものを復曲するかたちで、祖父の初代尾上菊之丞が、1950年代に長唄舞踊として発表しました。その後、五代目中村富十郎さんをはじめ、今でも多くの歌舞伎俳優や舞踊家により踊られて、祖父の代表作となりました。

祖父が『二人椀久』を初演するにあたり、日本画家の前田青邨せいそん先生が衣裳のデザイン画と扇面を描いてくださり、それを元にこしらえた衣裳と扇で祖父は椀久を踊ったんです。父(尾上墨雪。二代目菊之丞)も私もその拵え(衣裳・化粧)、小道具や舞台美術、演出に至るまで祖父の型を受け継いでいます。

椀久を踊る初代尾上菊之丞。

——デザインはシンプルですが、グラデーションのじんわりした淡さに不思議な余韻があります。

椀久の前に現れた松山は椀久が見る夢かうつつが幻か。意識が判然としない感じを抽象的に……とロジカルに読み解くのもナンセンスですが(笑)。かなめ(留め具)の向きから言えば浅葱あさぎ色の面がこの扇の表ですが、シーンやポーズによって赤紫の面を表にして持つこともあります。

——同じデザインの扇子が、いくつもあるのですね。

舞踊で使う以上、消耗は避けられません。なかでも『二人椀久』は、激しく扇を使う演目なので、新調するたびに絵描きさんに元のデザインを写していただくのですが、そこに少しずつ違いが出てきます。浅葱や紫の濃淡やぼかしの雰囲気が違い、それぞれに良さがあります。

長さは一尺(30㎝)。扇骨せんこつ(骨組み)は竹でできている。

Check!! 舞踊『二人椀久』について

男女が幻想的に踊ります。豪商の椀屋久兵衛(通称:椀久)は、遊女の松山と馴染みの仲。しかし椀久があまりにも入れあげて放蕩を尽くしたため、椀久は座敷牢に閉じ込められます。恋しさのあまり正気を失った椀久は、座敷牢を抜け出して、松山との幸せだった日々の幻を見るのでした。

日本画家と日本舞踊家が育んだ名作舞踊

——前田青邨といえば日本画の大家、院展の重鎮です。

前田先生は、六代目尾上菊五郎の後援者でもあり、菊五郎劇団の舞台美術も手がけていらっしゃいました。尾上流は、六代目菊五郎が創設した流派ですので、そのご縁もあり、祖父にもお力添えくださる関係に。

初代菊之丞、二代目菊之丞の襲名祝い扇も前田青邨がデザインをした。

当時、新橋の花柳界は、文壇や画壇の頂点に立つ方々が集う場でした。芸者衆のハレの舞台『東をどり』では、川端康成や谷崎潤一郎にはじまり、北条秀司、久保田万太郎が戯曲を書き、舞台美術は横山大観、竹内栖鳳、そして前田青邨といった、僕からしたら歴史上の人物のような先生方がご後援くださいました。尾上流は、祖父の代から新橋芸者衆の踊りを指導しています。今では考えられないほど、豊かな文化の交流がなされていたのでしょうね。

尾上流の名取扇、二代目菊之丞襲名祝い扇子、椀久の扇子の表と裏。いずれも前田青邨によるもの。

——そしてこちらが『二人椀久』の衣裳のデザイン画ですね。現在、舞台で見る椀久のビジュアルとほぼ同じです。右下に書かれた文字は……。

“金銀箔は「もみ」でも可”。前田先生からのメモ書きです(笑)。前田先生は、すでに日本画壇のトップの方でした。でも決して美術品としてではなく、あくまで舞踊作品を創るためのやりとりの中で、描いてくださった絵だったのでしょう。

そのようなわけで、絵を四つ折りにしたあとまで残っています(笑)。尾上流には、前田先生にゆかりのものが多くありますが、残念ながらどれも、お宝としての価値はそう高くないのかもしれません。でも尾上流にとっては大切なもの。扇面もこの絵も、後になって「あ!」と気がついて額装しているんです。

その折れ目、色の褪せが、青邨と尾上流の創作における繋がりを想像させます。

椀久は、別格に“重い”

——数ある扇子の中から、『二人椀久』の扇子を選ばれた理由をお聞かせください。

『二人椀久』は尾上流を代表する演目であり、自分自身にとっても憧れの強い作品だからです。

デザイン画を元にして仕立てられた衣裳。木の葉のふちに“金銀箔”!

——この作品にどのような魅力を感じますか?

まず圧倒的に曲が良い。この世界に没入できる仕掛けが、たくさん作られています。また、日本舞踊の「狂乱もの」は、女性の主人公がほとんどですが、『二人椀久』は男性の物狂いです。“狂い”はある種の躁うつ状態で、役が踊ることに無理がないんです。小難しい解釈をする必要もなく身体が動き、幻の松山を見て没頭できる。体力的には大変ですが、現実とは少し離れたところへ心を持っていける、踊る楽しさのある作品だと思います。

風に吹き寄せられた木の葉を描いた「吹き寄せ」と呼ばれる文様。

——観る側だけでなく、踊る人をも惹きつける理由が見えてきた気がします。

でも、もし祖父の代表作ではなかったら、僕は『二人椀久』に、ここまで執着しなかったかもしれません。

——それは、「家の芸」や血の繋がりがあるからこその愛着だったとか?

DNAが反応するとか……。いや、一番大きく影響したのは、周りの熱量ですね。僕が生まれる前に初代は亡くなりましたので、僕は初代から、直接教えを受けることが叶いませんでした。それだけに初代のお弟子さん、父、天王寺屋(中村富十郎)さんなど、初代を知る方々は熱心に、僕に初代の芸や思いを伝えようとしてくれるんです。初代の思いを、僕がどこまで受け取れているかは分かりません。でも周りの方々の「伝えよう」という熱量は、間違いなく伝わってくる。その思いが、重い。冗談ではなくヘビーなんです(笑)。他の演目と比べて別格に重かったのが、『二人椀久』でした。

——周囲の期待に応えて、椀久を意識するように。

そして、それが嫌でもありました(苦笑)。「家の芸」がある皆さんは、少なからずそのような経験をされているのではないでしょうか。

僕が踊りを始めたのは、周りの期待を感じたからです。物心がついた頃から、「踊りをやってね」「がんばってね」「楽しみにしてるよ」と声をかけていただきます。子どもながらに大人たちの期待を感じ、「ハイ!」と答えてニコッとする。でも本心は、また別にあるんですよね。歌舞伎俳優や舞踊家の中には、子どもの頃からお芝居や踊りが大好きで、という方もいらっしゃいます。でも僕は天邪鬼でしたから、周りの期待が嫌でした。天邪鬼だから嫌だったのか、重圧を感じて天邪鬼になったのかは分かりませんが(笑)。

「今でも自分は、天邪鬼だと思います」と菊之丞さん。

——でも『二人椀久』は、嫌いにはならなかった。

やはり素敵な作品だと感じ、「皆さんが憧れるのも分かるな」と思えたのでしょうね。いくら家に所縁の作品でも、魅力がなければ途絶えてしまうかもしれません。この先も、多くの方に憧れていただき、踊っていただける作品として受け継がなくてはいけない。そのためには、まずは僕が踊れなくては話になりません。この先、僕が拵えをして踊る機会は減っていくと思います。舞踊家としては、やはり(衣裳や化粧なしの)素踊りに重心があるからです。ですが『二人椀久』だけは、生涯この衣裳で、あの拵えで踊ろうと思っています。

「三代目尾上菊之丞襲名披露舞踊会」(2011年 国立劇場・大劇場)椀久=尾上菊之丞、松山=八代目尾上菊五郎(当時菊之助)

さらに意外なビッグネーム登場!

——菊之丞さんは2011年に四代目家元となり、三代目菊之丞を襲名されました。ご襲名の祝い扇は、どうされたのですか?

万寿菊がデザインされた扇子を、金子國義先生に描いていただきました。

——あの金子國義先生ですか!? 女性や「不思議の国のアリス」をモチーフに、アバンギャルドな画風で知られるアーティストですよね。このような絵も描かれていたのですね。

実は、金子先生の最初のデザイン案には、女性が描かれていたんです。でも、その女性の顔がどこか自分に似て感じられまして(苦笑)、「大変申し訳ないのですが、万寿菊だけの方が好きかもしれない」とご相談を。お茶目なお人柄の先生ですから、「誰の絵だか分からなくなっちゃうよ?」なんておっしゃいながらも、今のデザインに仕上げてくださいました。
襲名披露舞踊会(2011年京都南座)にて、右から狂言師の茂山逸平さん、菊之丞さん、金子國義さん。

——素敵な扇子ですし、意外な組み合わせが面白いです!

後から知ったのですが、金子先生は、日本画や舞台美術からキャリアをスタートされたそうです。襲名披露の会では美術もお願いしました。「また古典の舞台に関われて嬉しい」と喜んでくださいました。

舞台美術は、金子國義。襲名披露舞踊会 逸青会作品『千鳥』(2011年京都南座)にて、右から茂山逸平さん、菊之丞さん。

——最後にあらためて、舞踊家の菊之丞さんにとって扇子とは?

日本舞踊家にとって扇は最も大切で、この一本で神を感じ、あらゆるものを表現する唯一無二の道具です。他には代えがたいものという意味では、命のように大事なものではないでしょうか。身体の一部にしなくてはいけませんし、手から離れ、扇子自体が浮いたように見える表現をすることもあります。

先ほど「扇子は消耗する」とお話しましたが、決して消耗品という意識で手にすることはありません。子どもの頃、うっかり扇子を跨いでしまった時には、とても厳しく怒られました。「大事にしなくてはいけない」と教えられて育ち、この年齢になり、その大切さを実感できるようになった気がします。舞踊家の精神性を表すものであり、扇子を依り代に神様がエネルギーを送ってくれる。扇子があるから、自分は清らかな光を放ち踊ることができる。大げさに聞こえるかもしれませんが、そのような感覚です。

関連情報

日本舞踊キャラバン
2025年9月13日(土)京都公演 祇園甲部歌舞練場
2025年12月21日(日)広島公演 JSMアステールプラザ 大ホール
※尾上菊之丞さんは、京都公演に出演します。
https://nihonbuyoucaravan.com/

尾上菊之丞・茂山逸平 二人会「逸青会」
2025年9月27日(土)~28日(日)
セルリアンタワー能楽堂
https://www.ceruleantower-noh.com/lineup/2025/20250927.html

和樂web内の尾上菊之丞さんの記事はコチラから

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塚田史香

ライター・フォトグラファー。好きな場所は、自宅、劇場、美術館。写真も撮ります。よく行く劇場は歌舞伎座です。
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