2025年9月、10月国立文楽劇場・爽秋文楽特別公演で『曾根崎心中』が上演されます。主人公のお初を語る太夫の竹本織太夫さんに、地元大阪でゆかりの場所を案内していただきました。いざ、聖地巡礼へ!!
時空をこえて響く『曾根崎心中』と関連する鐘
今から300年以上も前、元禄16(1703)年に堂島新地天満屋のお初と醤油屋の手代の徳兵衛が、大坂の曾根崎・天神の森で心中。近松門左衛門はすぐさまに浄瑠璃※1を完成させて、1か月後には竹本座で上演を行うと、興業は大成功をおさめます。お初19歳、徳兵衛25歳という若すぎる恋人同士の純愛の物語は浸透していき、憧れて心中する人々が後を絶たない事態に。ついには心中物の上演禁止令、心中した者には葬儀を出さない法令まで出して沈静化させたほどの衝撃作だったようです。
心中の場面で、お初と徳兵衛が死出の旅の前に聴いたのと同じ鐘が、現在も鳴っていると知り、織太夫さんと出向きました。京阪電鉄、大阪メトロ谷町線「天満橋駅」から徒歩約5分の場所に、その「時の鐘」は存在していました。

「天神森の段・冒頭で『あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生(こんじょう)の鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり』と徳兵衛が語りますが、吉田簔助(みのすけ)師匠、先代の吉田玉男師匠が遣うお初・徳兵衛の人形で語らせていただいたことが、印象に残っています」。ご自身が語られたのと同じ鐘が、4度の火災をくぐりぬけ、場所を転々とした末に、こうして現存していることに感慨深い様子でした。昭和60(1985)年より釣鐘屋敷跡のこの地で、「大坂町中時報鐘顕彰保存会」によって運営されています。

織太夫さんは幼稚園児の頃まで、この鐘からわずか200メートル先の場所に住んでいたそうです。「その時はまだここに鐘はなかった訳ですが、縁を感じますね」
地元っ子・織太夫さんならではのエピソード
大阪は市街地や周辺に多くの川が流れていて、「水の都」と呼ばれています。かつて水運の要として、物流や商業を発展させる大きな要因ともなっていたのです。「時の鐘」から東の方角へ進むと、徒歩約10分ぐらいで大川へ。
毎年7月25日の天神祭では、この大川を数多くの船が行き交う「船渡御(ふなとぎょ)」が行われ、大阪の夏を彩ります。文楽人形が船首で舞い、人形浄瑠璃文楽の関係者が同乗する「文楽船」も盛り上げるのに貢献。船と船がすれ違う時に、大阪に伝わる手締め(手打ち)の「大阪締め」が行われるのも情緒があります。

この大川は中州となっている「中之島」で、北の「堂島川」、南の「土佐堀川」と分かれて名前が変わるのも特徴。織太夫さんは、お祖父様の石町にあったマンションの向かいにある中之島エリアの八軒家浜で、後輩の小住太夫さんとSUP(スタンドアップパドル)を楽しんだこともあるそうです。9年前の写真を見せていただきました。ビルを背景にSUPを楽しむ姿は、さすが生粋の大阪人ですね。
恋愛成就のパワースポット「お初天神」
「時の鐘」から車移動15分ほどで「お初天神」に到着。お初と徳兵衛は、この社の裏にあった天神の森で心中事件を起こしました。まさしく近松門左衛門の『曾根崎心中』誕生の地と言えます。正式名称は「露天神社(つゆのてんじんじゃ)」ですが、お初の名前にちなんだ「お初天神」の通称がよく知られています。JR「大阪駅」・各線「梅田駅」、大阪メトロ谷町線「東梅田駅」、から近い便利な場所にあることから、旅行客の姿も多く見られます。
こうして『曾根崎心中』ゆかりの場所を巡ってみると、実際にあった出来事なのだと、実感することができました。大阪の町を熟知している織太夫さんは、自転車でこの界隈をよく行き来しているそうです。「この神社のすぐ近くに住太夫師匠※が、子どもの頃に住んでおられたそうですよ」と教えてくださいました。

2人の三百回忌の慰霊祭の際、氏子の1人から「お初さんのために」と百万円の寄付があり、それをきっかけに地元商店街などからの寄付金で建立された慰霊ブロンズ像がありました。恋の成就を願うパワースポットとして訪れる人も多く、この銅像の前で祈願すると、2人の悲しい恋物語にあやかって願いが叶うとされています。

お初と徳兵衛が見上げた月は?
織太夫さんは写真やイラストを多用したカジュアルでわかりやすい解説本『文楽のすゝめ』を、平成30(2018)年から出版しています。継続してシリーズ化されていて、今までに3冊既刊。
「2022年に作った最新刊では『14歳からの文楽のすゝめ』として、その年代の人たちに伝えるのをテーマにしています。『曾根崎心中』について今まで触れていなかったことはなんだろう? と考えた時に、ちょうど2人が心中をするのは「暁(あかつき)の鐘」、夜明け前の鐘が鳴っている時間帯なんですよね。そうすると、まだ月が見えている。その月はどんな月だったのかが、気になりました。実際に起きた事件で、日にちがわかっているため、さかのぼって調べたところ、「上弦の月」だったのですよ、満月ではなくて。この月を眺めながら、鐘の音を聴いていたとイメージすると、語り方も変わってきます」
『曾根崎心中』のお初と徳兵衛が心中したのは、1703年5月22日のこと。さかのぼってみると、その日の夜は上弦の月が輝いていた。およそ320年前の夜、死を決意した二人は一体どんな思いでこの月を見上げていたのだろう。
近松が書き下ろした『曾根崎心中』初版本
大阪府立中之島図書館には『曾根崎心中』の浄瑠璃本が所蔵されています。破損しているページがあり、奥付(おくづけ)を欠いていたため、いつ出版されたものなのか長らく不明でした。それが平成15(2003)年に富山県の黒部で完本が見つかったことから照らし合わせ、元禄16(1703)年に刊行された初版正本(しょはんしょうほん)だということが確定したそうです。

「最初に出てくるのが、お初が大坂三十三観音を巡礼するところです。現在文楽で上演される『曾根崎心中』(野澤松之輔脚色)では『観音廻り』の上演はないのですが、2011年に神奈川芸術劇場で開催された杉本文楽※3では、竹本義太夫※4以来308年ぶりに近松の原文通りに語らせていただきました。これはタイミング良く黒部で初版正本の完本が見つかったお蔭です。ただ通常のスピードで語ると時間が長くなってしまうことから、作曲と演出を担当した三味線の鶴澤清治さんに、高速のラップ調でと指示されました(笑)。一瞬でも間違えたら、大変なことになるので、緊張しましたね」と、懐かしそうに当時を振り返ります。
(※4)義太夫節の開祖で、竹本座の創設者。

江戸時代の初演以来、上演が途絶えていた『曾根崎心中』を歌舞伎で復活したのが昭和28(1953)年のこと。その後、昭和30(1955)年に文楽に戻したものが、現在も引き継がれているそうです。「近松が最初に書いた内容と、違いもありますが、どちらにも魅力があると思います」と織太夫さん。悲しい結末を迎えてしまったお初と徳兵衛ですが、まさかこれほど長く人々に愛される物語となって伝えられるとは、夢にも思っていなかったことでしょう。
取材・文/瓦谷登貴子
取材協力/大坂町中時報鐘顕彰保存会、露天神社、大阪府立中之島図書館
参考書籍:『14才からの文楽のすゝめ』竹本織太夫監修
竹本織太夫さん出演情報
2025年大阪・関西万博開催記念
爽秋文楽特別公演
Cプロ『曾根崎心中』に出演。
■公演期間:2025年9月6日(土)~2025年10月14日(火)
※9月12日(金)、9月24日(水)、10月6日(月)は休演
■開演時間:
●9月6日(土)~9月25日(木)
【Aプロ】午前11時(午後1時15分終演予定)
【Bプロ】午後2時(午後5時10分終演予定)
【Cプロ】午後6時(午後8時終演予定)
●9月26日(金)~10月14日(火)
【Cプロ】午前11時(午後1時15分終演予定)
【Bプロ】午後2時(午後5時10分終演予定)
【Aプロ】午後6時(午後8時終演予定)
■観劇料:Aプロ、Cプロ6000円(学生4200円)、Bプロ6700円(学生4600円)
■会場:国立文楽劇場(OsakaMetoro・近鉄「日本橋」駅下車7号出口より徒歩約1分)
公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2025/7/
チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
https://ticket.ntj.jac.go.jp/
Spotifypodcast『文楽のすゝめ オリもオリとて』
X文楽のすゝめ official

