でも、もし、万が一にも地獄行きが決まったのなら、せめて納得できる理由があってほしい。もちろん、道理にかなっていても地獄になんて行きたくはないけれど。
ということで、今回紹介するのは思わぬ理由で地獄行きが決まった者たちの物語。
罪人さん、いらっしゃい
奈良末期から平安初期にかけて編纂された仏教説話集『日本霊異記』には、冥界(あの世)についての説話がたっぷり収められている。この書物、正式には『日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんぽうぜんあくりょういき)』という。
題にあるとおり、善と悪に基づく現報、つまり現世での報いにまつわる不思議な話を集めたものである。
何としてでも地獄行きを免れたい私にとって、この本は罪の報いで地獄へ堕ちて行った人たちのサンプル集と言っても過言ではない。
ところで、日本には昔から「人の振り見て我が振り直せ」という素晴らしい良い教訓がある。
今のうちに罪人たちの行動をふり返っておけば、もしもの時(つまり地獄行きになったとき)の役に立つかもしれない。
罪の報いというけれど、彼らはいったい何をしでかしたのだろう。罪状はなんだったのか。『日本霊異記』から地獄堕ちの実例を見てみよう。
膳臣広国、あの世の妻に訴えられる

膳臣広国は、閻魔王に呼び出しをうけた。
地獄行きになるような覚えはなかったが、どうやら先に亡くなった妻が「広国に家から追い出されたと」閻魔王に訴えたらしい。
閻魔王は二人を入念に尋問した。結果、広国は幸運にも無罪となり現世へ帰ることを許された。地獄くんだりまで呼び出されて、まったく迷惑な話である。現世へ帰ろうとする広国に、閻魔王は告げた。
「もし父親に会いたければ、南の方へ往け」
閻魔王の言うとおり南の方へ向かった広国は、亡き父親と再会した。そこで父親は、自分が地獄へ堕ちた理由を語って聞かせた。
「わたしは妻子を養うために、生き物を殺した。高利貸しもしたし、人のものを奪い取ったこともある。父母に孝行せず、目上の人を敬わず、他人を罵り、あざけった」
父親は罪を償うために焼けた銅の柱を抱かされ、鉄の釘を打ちこまれ、毎日九百回も鉄の鞭で打たれたとも語った。そして、さらにこう言った。この苦しみから逃れるために仏像を作り、経を写してほしい、と。現世で功徳を積むことは来世に影響するのだ、と。
やがて広国は一人の子どもに導かれて現世へと帰還する。その子どもこそ、広国が子ども時代に写経した『観世音経』の化身だった。
(日本霊異記 上 非理に他の物を奪ひ、悪行を為し、報を受けて奇しき事を示しし縁 第三〇)
広国の話から学ぶことはおおい。
ひとつは、生前に人の恨みは買わないでおくこと。死んでから訴えられる可能性があるからだ。もう一つは、現世で功徳を積んでおくこと。そうすれば、来世で良い思いができる。そしてこれが一番重要。閻魔王の呼び出しには、きちんと応じること。
それにしても、とんでもない父親である。これでは地獄へ堕ちても文句は言えない。
石川の沙弥、地獄まで知れ渡る悪行の数々

その男は、姿こそ立派に僧だったが心の中では盗みを働くことばかり考えていた。それだけで充分に邪だが、心で思っているだけならまだしも、じっさいに行動に移したのがよくなかった。
邪な僧、石川の沙弥は、あるとき塔を建てるためだと嘘をついて寺社への寄付を騙しとった。そのうえ盗んだお金で妻と一緒に自分たちのものを買って食べた。寺に住みつき、塔の柱を叩き割って薪にしたこともある。
なんて罰当たりな人間だろう。神聖な職に就いているせいだろうか。悪事がいっそう悪く感じられて、救いようのない悪人に見えてくる。
そんなふうにして、石川の沙弥は各地を転々としながら悪行を重ねた。
あるとき、石川の沙弥が「熱い! 熱い!」と叫びながら飛び跳ねた。
ある人が理由を尋ねると、石川の沙弥は答えた。
「地獄の火が俺の身体を焼いているんだ。だからこんなに苦しいんだ。そんなこと聞かなくたってわかるだろう!」
石川の沙弥は、その日のうちに死んでしまったという。
(日本霊異記 上 邪見ある仮名の沙弥の塔の木を斫キて、悪報を得し縁 第二七)
いくら見てくれが良くたって心の中が汚れていれば、悪人である。悪行は、人間の目は騙せても閻魔王は騙せないのである。
それで私は思ったのだけど、ということは、その反対もあり得るのではないだろうか。つまり、悪い行いを重ねた人の名が地獄まで知れ渡るのなら、良い行いをすれば天にまで響くのでは。だとしたら天国行きは確定だ。
「そういう考えがすでに邪である」と閻魔王に言われたらどうしよう。
大和国の瞻保、母親を悲しませて地獄行き

大和国(現在の奈良県)に瞻保(みやす)という男が暮らしていた。瞻保は儒教を学んでいたが、本のうわべだけしか理解しようとしなかった。そして、母親を大切にしていなかった。
あるとき、母親は瞻保から稲を後払いで買った。しかし、母親はどうしても代金を支払うことができなかった。すると瞻保は母親を責め立て、地面に土下座させ、無理やり返済させようとした。しかも自分は寝床に寝そべったままという不遜ぶり。見かねた周囲の人たちが母親の借りた分の稲を返したくらいだった。
瞻保のふるまいに嘆き悲しんだ母親は、自分の乳房を出して言った。
「お前に飲ませた乳の代金を返してほしい」
そして天に母子の縁を切ることを誓った。するとまもなく瞻保の家は火事になった。そのうえ生活できなくなり、飢えて、凍えて、死んでしまったという。
親不孝者は必ず地獄に堕ちるのである。
(日本霊異記 上 凶人の乳房の母を敬養せずして、以て現に悪死の報を得し縁 第二三)
瞻保はいくつも罪を重ねている。
充分な財産があるにもかかわらず支払いを強要したこと。強欲で、周囲の人の忠告に耳を貸さなかったこと。母親に対する失礼な態度。
仏教と儒教では、親孝行は美徳だ。すなわち、親孝行しておけば極楽浄土への近道が開けるということでもある。そして親孝行はもっとも実践しやすい善行だ。死後のために、今から励んでおいたほうがいい。
地獄行きには理由がある、とは限らない

盗み、強要、親不孝……地獄行きになった者たちには、一見すると地獄へ堕ちるだけの十分すぎる理由があるように思える。でも、閻魔王の決定には納得がいかないものもある。
『源氏物語』の作者である紫式部は、地獄へ行ったにちがいない、と信じられてきた。
『源氏物語』は後世の日本文学に多大な影響を及ぼした名著である。世界各国で翻訳、出版されるような名作を書きおろしても地獄へ行くことになるなら、天国への道はなんて狭いのだろう。
しかし紫式部の罪状は、まさに『源氏物語』を書いたことにあった。物語、つまり嘘で塗り固められた話で読者を惑わせたことが、彼女の罪なのである。
心を溶かすほどの艶めかしい文章を読めば、男も女も心穏やかではいられなくなる。したがって、『源氏物語』は罪深い。作者も読者もみな地獄行きというわけだ。古今東西の物語を愛する私としては、この罪状、納得がいかない。
罪人はどう生きるべきか
人はいつか必ず死ぬ。どの神さまを信じていようが、神様を信じてなかろうが、善い行いをしても悪い行いをしても、人は死から逃れられない。私たちの側にはいつもあの世があり、地獄はすぐ手の届くところにある。
死んだらどうなるのだろうという疑問と恐怖は、誰もが抱える人の心だ。地獄へ行きたくないのは、地獄が私たちを震え上がらせる場所だからである。でも、そこにいる人はもしかすると罪人だけではないかもしれない。
ところで、紫式部はあの世で新作を執筆したくなったらどうするのだろうか。それでもし、筆をとりでもしたら地獄のさらに地獄へ堕とされるのだろうか。そこはいったい、どんな場所なのだろう。
【参考文献】
星瑞穂「ようこそ地獄、奇妙な地獄」朝日新聞出版、2021年

