新春を祝う、福を呼ぶ、めでたき『門付万歳』
まずは言葉よりも体感!ということで早速、門付万歳(かどづけまんざい)をご披露いただきました。これは新春のお祝いに、家々を一軒ずつ訪問して歌い踊った演目。ツッコミ役の“太夫(たゆう)”とボケ役の“才蔵(さいぞう)”の2人で演じます。今枝社中の主宰者である今枝増笑門(いまえだますえもん)さんが太夫、次女の今枝てつさんが才蔵となって登場です。
小気味良いメロディーに乗せての2人の掛け合いはコミカルで、なんと言っても纏(まと)う雰囲気が“陽”。演目中に七福神が登場するなど、とにかく新春にぴったりなのです。それに加えて声のトーンに表情、動きに間合い……。全ての要素がめでたさを盛り上げます。みなぎる明るさ、楽しさ、それらを全身で浴び、思わず笑顔になってしまう尾張万歳。かくも楽しい芸能かと感動しました。我が家にもお正月に是非お越しいただきたい!
長い歴史を持つ一大エンターテインメントだった尾張万歳
さて、この尾張万歳の歴史ですが、鎌倉時代後期にまで遡ります。始まりは愛知県名古屋市東区にある長母寺(ちょうぼじ)を開創した無住国師(むじゅうこくし)。法華経に節をつけて人々にわかりやすく教えたそうで、それが尾張万歳の元になったと言われています。あの豊臣秀吉も尾張万歳を演じていたという資料も残っているくらいに、広く愛され、親しまれてきた芸能です。大河ドラマ『豊臣兄弟!』でそんなシーンはお目にかかれるのか……。淡い期待を胸に抱いてしまう僕です。
そんな尾張万歳、農業が行えない冬場の稼ぎとして、農民の間に定着していったのだそうです。かつては数千人もの万歳師が年末から全国各地へ赴き、何か月もかけて門付万歳を披露して回ったといいます。ところが高度経済成長期に多くの人々が、農家からサラリーマンとなり、必然的に万歳師は激減。名古屋では一時完全に廃れてしまったのだとか。そんななか、愛知県知多市などでは、有志による保存会で尾張万歳が受け継がれてきました。
祭り男の血が騒いだ!20代に伝統芸能に飛び込む
京都での学生時代に、京都三大祭のひとつ「時代祭」に参加したことがきっかけで、伝統芸能や祭りへの深い興味を抱いた増笑門さん。サラリーマンとなり、今度は東北に転勤となると、そこで青森の「ねぶた祭」、仙台の「雀踊」などに触れ、その土地に根付く伝統文化や町の祭りが、その土地の人々を支えていることを強く感じたそうです。
「愛知県に戻り、尾張万歳の保存会に入ったら、『20年ぶりの新人だ』と言われました。元々いたメンバーも年配の方ばかりで、自分が頑張らないと尾張万歳は無くなってしまうかもしれないと思い、習い始めたのですが、実は尾張万歳の発祥は名古屋市東区だったと。なんだ、自分の地元じゃないか、ということで、これも神の思し召しかなと感じ、のめり込みました」と増笑門さん。
13年間に渡る保存会での活動を経て独立、名古屋で今枝社中を立ち上げました。長男の増吉 (ますきち)さん、長女の鐵太郎(てつたろう)さん、そして先ほど門付万歳を披露してくださった、次女のてつさんと共に尾張万歳の復興・継承に力を注いでいます。お子さん達は、担い手不足に待ったをかける心強い若き万歳師です。
笑いだけじゃない。歌に踊りに演奏ありの総合芸術
尾張万歳には大きく分けて4種類の形式があります。今回ご披露いただいた門付万歳。そして、かつては大名たちの前でも披露されたという最も格式が高く、正座をしてから歌い踊る御殿万歳(ごてんまんざい)。これは1人の太夫と6人の才蔵で行う万歳で、7人の福の神たちが歌い舞い踊ります。さらに庶民に親しまれた、鼓・三味線・胡弓の三つの楽器を用い、謎掛けや小噺で楽しませる三曲万歳。この三曲万歳の楽器を使い、歌舞伎の演目などを元に、パロディーを演じるのが芝居万歳です。
求められるスキルは多岐に渡り、歌に踊りに楽器、お芝居、さらには機転の利いた笑いの要素にまで至ります。まさに総合芸術というべきオールラウンドな芸能なのです。
次女のてつさんは5歳の頃から尾張万歳を始め、今年で21歳。お若いですが芸歴は16年と、堂々たるものです。それだけの期間、歌舞伎に楽器にと稽古を積み、たくさんの舞台を踏んできているだけあって、門付万歳の演じっぷりはもちろんのこと、インタビューもリズムよく合いの手を入れる楽しい語り口。
「恵比寿さまと大黒さま、ポケットティッシュと解いた心と言うたら皆さんよ、これはどちらも福の神(拭くの紙)ではないかな」と謎かけも披露してくれました。お見事! 一本取られました!
その後も愉快にお話をしてくださり、楽しく和やかな雰囲気で取材が続きました。正月を家で過ごしたことがないというてつさんに、反抗期はなかったのか尋ねると、「父の反抗が倍返しになるので(笑)」との返答に、一同大爆笑。この笑顔の絶えない雰囲気こそが、尾張万歳の根底であり、そして冒頭に記した通り、あの演芸へと繋がっているのだなと強く実感しました。
漫才へとつながる笑いのDNA
そう、尾張万歳は現在の漫才の先祖と言える芸能です。明治期に大阪の芸人・玉子屋円辰(たまごや えんたつ)が尾張万歳を習い、持ち帰って“名古屋万歳”と銘打って演じたといわれます。そこから時を経て昭和の時代。吉本興業部(現在の吉本興業)の横山エンタツ・花菱アチャコのコンビが和装から背広に衣装を変えて、しゃべくりに特化した“漫才”のスタイルを確立したのです。尾張万歳から受け継がれし、笑いのDNA。その系譜は、あの大物お笑い芸人さんにとっても大切なものだったようです。
「西川きよしさんが尾張万歳からの漫才の歴史をご存知で。以前番組収録でお会いした時にも、『我々の先祖ですから、何がなんでも残してくださいね』とおっしゃった。3時間の収録中、何度もそう声をかけてくださり、この時、意地でも守ろうと強く決心しました」と増笑門さんは振り返ります。
実際に増笑門さんの起こすアクションは、常に尾張万歳の未来を見据えています。そもそもお子さんと共に尾張万歳を行っていることが、尾張万歳を守り続けることへの強力なアプローチでしょう。またそれだけに留まらず、習い事としてお弟子さん達にご指導もなさっているとのこと。なんとお弟子さんの最年少は小学2年生だそうで、尾張万歳に親しむ若者を増やすために、精力的に活動されているのです。
新たな娯楽が生まれては消えていく、いわばエンターテインメント消費型の時代において、こういった土壌作りが、伝統芸能継承の明暗を分けると僕は思います。
年明けは尾張万歳が本領発揮!
家族ワンチームで精力的に活動している今枝社中さん。もちろん後進の育成だけではなく、尾張万歳を演じることにも余念がありません。なんと年間50回以上の公演を行なっているとのことですが、特に年始は忙しくなるのがお決まりなんだそう。ご披露いただいた門付万歳もまさに新春を祝う内容でしたが、そもそも“よろずのとし”と書いて万歳。万年の繁栄を祈るというコンセプトで、引っ張りだこなのです。
2026年は1月3日に、尾張徳川家の邸宅跡地である徳川園。そして1月10日には街のシンボルである名古屋城。地元を代表するスポットで、新たな年の景気付けを担います。それぞれ徳川園リニューアル1周年、名古屋開府400年という節目のタイミングから毎年恒例で行っているそうです。どちらも増笑門さんのアプローチから始まった公演とのことで、その行動力と実行力に驚かされます。
「徳川園さんからは、もう2028年のお正月のご相談もいただいています。ありがたい、めっちゃありがたいけど、早過ぎるよね(笑)」と言いつつ、笑顔がこぼれる増笑門さん。年の始めにたっぷり元気がもらえること間違いなし。まだ門付万歳しか観ていない僕が言うのもどうかと思いますが、オススメです!
笑いの絶えない世の中へ、尾張万歳が紡ぐもの
尾張万歳を初めて拝見して、まず感じたのは観て楽しい芸能であることです。そして演じて楽しい芸能でもあるのだろうなと思いました。あたたかい笑いの芸を共にしているからこそ、増笑門さん・てつさん親子はインタビュー中も笑顔が絶えないのです。
「尾張万歳をやっていることで家族の仲が良いって言うのもあるので。いつか子どもができたら習い事として教えたいなと思います」とてつさん。
こうして繋がっていく笑いと絆が、この先も尾張万歳を継承していく原動力になるはずです。
取材・構成/黒田直美 Photo/松井なおみ
尾張万歳今枝社中
名古屋発祥といわれる尾張万歳を継承する名古屋で唯一の団体。1993年から復興し、2006年からは徳川園で、2010年からは名古屋城で、毎年正月などに公演を実施している。
本田剛文 お知らせ
BOYS AND MEN15周年ツアー第二章 【ボイメン高校15年生‼イきがって メンチ切るぜ ン〜〜〜夜露四苦!!!】
<横浜公演>
【日程】2025年12月13日(土)
【時間】16:30開場/17:15開演 ※公演時間は100分を予定しております。
【会場】KT Zepp Yokohama
Zepp Yokohama
<名古屋公演>
【日程】2025年12月28日(日)
【時間】16:30開場/17:15開演 ※公演時間は100分を予定しております。
【会場】Zepp Nagoya
Zepp Nagoya

