かわら版は庶民が熱狂したゴシップメディア
2025年大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺』9月7日放送回で、蔦屋重三郎がこんな台詞をつぶやいたのを覚えている方もいるでしょう。
「読売(よみうり)にしちゃ、まともなことを書いてやがる」
ここにある「読売」とは、時代劇によく登場する「かわら版」のことです。
大河ドラマでは「読売」が、新たに老中に就任した松平定信を指して「徳川8代将軍・吉宗の孫」で、「飢饉の際の米対策に長けている」などと、やたらと誉めていました。それを見た蔦重は「まとも過ぎて読売らしくない」と、疑念を抱きました。なぜか?——当時のかわら版は、どこぞの男と女の関係がもつれたやらのゴシップや、怪獣・化け物が出現したといったフェイクニュースばかりを報じていたからです。それがいきなり老中を称賛するとは「な〜んかくせぇぞ」と、裏で定信がかわら版の業者を雇い、自分を喧伝させているのを感じ取った、という設定だったわけです。
かわら版は政治については書かず、低俗な情報ばかり——これが一般的な認識でした。しかし、低俗だからこそ庶民は身近に感じ、熱狂したのです。

「瓦」のような粘土に絵や文字を彫った?
かわら版は1枚の紙に印刷した新聞の原型で、こうした体裁を「一枚擦(ず)り」と呼びました。料金は江戸中期(1690〜1780年頃)以降で四文。現代の価格に換算して約40円です。
当初の呼称は「読売」で、かわら版といわれ始めたのは幕末の文久年間(1861〜64)でした。歌舞伎『歳市廓討入』(としのいちくるわのうちいり)の脚本に「瓦版」という台詞が登場し、以降、この名が定着したといわれています。
一説には本来の呼び名は「土版木」(つちはんぎ)だったともいいます。土版木とは、土を固めて日に干した粘土に絵や文字を彫って印刷したという意味で、事実ならまさしく「瓦」のような素材を用いて原版としたわけです。元禄10(1697)年刊『俳諧塗笠』(読み方不明)に、
鬧(さわ)がしや 心中おこす 土版木(心中事件を騒がしく報じた土版木)
という句があり、このことから明治時代の江戸文化研究家・三田村鳶魚(みたむら・えんぎょ)は「そもそもは土版木説」を支持していました。
同じく明治時代の近世風俗研究家・朝倉無声(あさくら・むせい)は『俳風柳多留』(はいふうやなぎだる)に「石版売」(読み方不明)という言葉があるのに着目し、これを土版木と同義と見ています。
それが江戸中期に通称「読売」に変わり、幕末になって「粘土で原版を作ったような劣悪な印刷物」という主旨から、前述の『歳市廓討入』に改めて「瓦版」の名が登場した——というのですが、筋が通っているような、いかにも無理やりこじつけたような——要は、真相はわからないのです。
ジャーナリズム研究者の故・小野秀雄は、天明3(1783)年の浅間山噴火を報じた『大やけの次第』という粗悪な一枚擦りを、「瓦を原板としたもの」と主張しましたが、これも本当かは不明です。

最古のかわら版は徳川幕府初期のプロパガンダとして利用された
実際、現存する最古のかわら版でさえ土版木ではないと考えられています。それが『大坂卯年図』(おおさかうどしず/下)で、慶長20(1615)年の大坂夏の陣の模様を記しています。また、『大坂卯年図』と同時代と考えられるもう1枚『大坂安倍之合戦之図』(おおざかあべのかっせんず)も現存します。

この2枚が現在のところかわら版の嚆矢(こうし)と目されているのですが、ただし制作・発行されたのも慶長20年という確証は得られておらず、後世に何らかの史料をもとに“復刻”されたと見られています。
では、その「何らかの史料」とは? 慶長19〜20年の古活字本(こかつじぼん)である『大坂物語』に収められた付録の図と指摘されています。古活字本とは、文禄・慶長の役(1592〜98年まで断続的に続いた朝鮮半島での戦い)を通じて豊臣秀吉が日本に持ち込み、それをのちに徳川家康が活用した木版印刷の技術です。
何のことはない、最古のかわら版といわれながら元は古活字本の絵図であり、さらにその絵図の版木をのちの時代に作り直して刷っていたわけです。土版木で作った形跡は皆無といえます。
また、かわら版研究の第一人者である大阪学院大学教授の森田健司氏は、『大坂物語』の付録図は官制、つまり徳川幕府が圧倒的な力によって豊臣を滅ぼした証しとして制作したと言及しています。豊臣はもうこの世にいない、徳川の天下は盤石であると知らしめる意味を込めて刊行した、と。
最古のかわら版といわれる印刷物は、元をただせば勝利者・徳川のプロパガンダに利用されていたわけです。
大衆はかわら版が発信する情報に一喜一憂
さて時代劇では、かわら版を売る人は頭に手拭いを乗せ、顔をさらして「はいはいお立ち会い、事件だよぉ、てえへんだぁ」などの口上を述べます。
しかし、あの姿は事実とは異なります。実際の売り子は笠で顔をすっぽりと隠した2人組でした。その姿は元禄3(1690)年〜天保元(1830)年の間に描かれた絵に共通しています。顔を隠さずに売り歩くかわら版屋が出現するのは、幕末からです。

実はかわら版は非合法で、公式に販売できませんでした。そのため販売員は顔を隠し、1人では行動せず、2人組で周囲を警戒していたと考えられるのです。
2人のうちどちらかが竹の箸のような長い棒を持ち、かわら版の束をポンポンと叩いて読みあげ、ときには三味線の奏者が付く3人組のケースもありました。

とはいえ売り子には町人が群がり、江戸市中で目立たない存在だったとは思えません。これは将軍や為政者・政治を批判する内容でさえなければ、実質的には黙認されていたことを物語っています。
かわら版の内容を時系列にあげると、貞享〜元禄期(1684〜1704)に人気だったテーマは「心中」。しかし江戸時代、心中は社会秩序を乱す犯罪と認定されていたため、次第に記事化を規制されました。
代わって赤穂浪士の討ち入り(元禄14/1701年)を機に、「敵討(かたきうち)」の題材が流行ります。
さらに天明年間(1781年〜)以降、そこに真偽不明の怪異事件などが加わってきます。例えば体長40cm、足に水かきを持つ「大鼠の大群襲来」のニュースは、田畑を荒らす害獣が増えたのを面白おかしく脚色したのでしょう。

一方、火災が起きた場合は現場となった町名、被害にあった武家屋敷・寺社、焼失戸数から死者数まで素早く詳報する、有益なニュースも発信していました。
愚にもつかないフェイクと役立つ情報が混在するのは、現代のSNSに似ています。それに一喜一憂し、ときに踊らされる大衆の姿も同じです。
庶民が盲信する情報は、いつの時代も変わらないのでしょう。
参考資料: 『かわら版物語』小野秀雄 雄山閣BOOKS23/『珍版・稀版・瓦版』林美一 有光書房/『江戸の瓦版』森田健司 洋泉社/『かわら版で読み解く江戸の大事件』森田健司 彩図社
アイキャッチ画像:(左)『今様職人盡歌合』国文学研究資料館所蔵/(右)『北斎漫画 3編』国立国会図書館所蔵

