初めての花子、ひいおじいさんの扇
——さっそくですが、逸平さんの特別な扇をご紹介ください。
茂山逸平(以下同じ):
狂言『花子』で主人公の男がもつ扇です。うち(茂山千五郎家)では、狂言『花子』には夕顔が描かれた扇を用いることが決まりとなっています。

僕が『花子』を披いた時(披キ=狂言師として節目となる演目の初演)に、できる範囲の修復をしました。当初は分解して打ち直していただこうと考えていたのですが、職人さんから「時代が違うため難しい」と。たとえば要(親骨と中骨を束ねる留め具)に鯨の髭が使われていたりして、現在では手に入りにくい素材も多いのだそうです。ただ、これを元に絵描きさんに写していただいたものなど、我が家には夕顔の扇が結構あるんです。演じ手が若手ならばこちらのような朱の入った夕顔の花のものを。年配ならば、朱のない夕顔の実が描かれたものを選んだりしています。

——狂言『花子』は、どのようなお芝居なのでしょうか。
浮気者の男のしょうもない話です(笑)。男が京都から関東へ出張する途中、花子という女性といい仲になる。「京都へ戻るときには連れて帰るよ」と約束しますが、男には妻がいるから、花子を迎えに行かず京都へ帰ってしまいます。すると花子から「会いたい、会いたい」と次々に文が届くようになります。男も会いにいきたい。そこで男は妻に「持仏堂にこもり座禅をする」と嘘をつき、身代わりとして、太郎冠者に座禅衾をかぶせて座禅をさせると、自分は屋敷を抜け出して愛人のもとへ。
——本当に、しょうもないですね!(笑)
そこで、なぜ夕顔の扇かというと、男女の恋のお話だからです。恋の話といえば『源氏物語』。中でも有名な「夕顔の段」にちなんだパロディですね。光源氏は、ろくでもない男の代表であり、この男も同類ということでしょう。翌朝、夢見心地で帰ってきた男は、太郎冠者に惚気話をするのですが、実は太郎冠者と男の奥さんが入れ替わっていて……。
——ぜひ、しっかり怒られてほしいです。
なんなら花子との逢瀬の前と後で、装束も変わります。違う着物で浮気相手のところから帰ってくるなんて、やっぱりどうしようもない奴です(笑)。
同時代の絵師と現代を描く
——逸平さんは、2018年に『花子』を再演されました。
その時に、僕も夕顔の扇を1本作ったんです。それが、こちらです。

——朱色の雲の模様が、独特のデザインに変わっています。
祖父(四世茂山千作、人間国宝)は襲名をした際に、夕顔の扇を新たに作りました。その扇は、曾祖父の扇を踏まえながらも、朱色の部分を四つ目(茂山千五郎家の家紋)に変えるなど、少しオリジナリティを加えたものでした。僕も「自分で新しく作るならちょっと面白いことをできたら」と考え、ニッポン画家の山本太郎さんにお願いをして、朱の雲の部分は、太郎さんがよくお使いになる流水紋に変えていただきました。

狂言師は襲名やお披きなど、節目節目に扇を作ります。その時、同時代の時代を象徴する絵描きさんに描いていただくことがよくあります。たとえば祖父は、襲名で皆さんにお配りする扇を上村松篁先生に描いていただいたり。僕の場合、かねてより神坂雪佳が好きで、琳派の展覧会のトークショーでご一緒したのをきっかけに、太郎さんとちょっと親しくさせていただくようになって。裏面は、また別の柄になっています(と裏返す)。
——これは、夕顔ではありませんね。まるで……。
はい、LINEです(笑)。

『花子』では、男の台詞に「文の数を尽くして」とあるんです。現代語に訳すなら「花子からめっちゃ連絡きてんの! 鬼電もきてる! そろそろ会いに行かないとやばい! 花子が押しかけて来ちゃう! 会いにいきたいけれど家を出られない! どうしよう!」という状態でしょう。

このお芝居ができた当時、恋人同士の連絡手段といえば恋文以外になかった。それが時代とともに家の固定電話となり、ポケベル、携帯電話が普及し、メールを使うようになり、今はLINEが主流ですね。LINEもいつかは、形を変えるなり消えるなりするのでしょう。そうなった時にもこの扇が残っていたら、「男女がそんな風に“文の数を尽くす”時代があったんだ」という証にもなるのでは、と思うんです。
——現代の恋人同士のあり方が、ユーモアとともに描かれた扇なのですね。思い切ったアイデアでありながら、2本の扇を並べてみると、意外とオリジナルに忠実なデザインであることが分かります。

そうなんです。意外と、色味も一緒でしょう?(笑) ただ、重さはまるで違います。扇屋さんが一般的な顔料や版で刷ってくださるものと比べ、LINEの扇の方が分厚くて重い。太郎さんは、岩絵の具や胡粉を使い、日本画と同じ技法で描いてくださったんです。
——その重みに特別な感覚を覚えたりも?
えーっと、「重いなあ」とは思います(笑)。『花子』って内容は薄いわりに、やること、約束事が非常に多い演目なんです。男が、奥さんだと気づかずに花子との逢瀬を報告するところでは、扇を広げ、謡いながら舞います。体力的には『釣狐』の次くらいに、しんどい。でも、しんどそうに見えてはいけませんし、気持ち良さそうに見えないといけません。

狂言師の修業は、「猿にはじまり、狐に終わる」と言います。初舞台を迎えた子どもの頃に『靭猿』をやり、青春時代が終わる頃に、技術的にも体力的にも高度な『釣狐』を披き、1人前の狂言師になるという意味です。
そこから人生経験を少し重ねた頃に、『花子』を披くことになります。『花子』は、おかしみや工夫も問われます。観てくださる方にはトップレベルに楽しく、演じ手としてはとてもしんどい演目なので、茂山千五郎家では、極重習に位置付けられています。そういった演目が、狂言方としての人生の節目節目を彩ってくれるんですよね。
CHECK!! 茂山逸平さんの披き扇
扇がなきゃ、始まらない
——狂言師にとって、扇はどんな道具なのでしょうか。
一般的な役割は「お客さんの目を助ける」ことではないでしょうか。実際の道具を出してしまうと事象は限定され、片付けも必要になります。でも扇で「あるつもり」なら、何でもできます。お盃からお銚子まで扇だけで宴会もできますし、刀に見立てることもできる。開いて、閉じて、それで終わり。万能なんです。

また、舞台上の狂言師は、その演目で使うかどうかに寄らず扇を携えています。侍の刀ではありませんが、自分の身に常に添わせておくもの。僕の扇は大蔵流のものですが、たとえば観世流の扇は親骨に彫りの飾りが入るなど、流儀により扇の形も違います。その意味では、身分証のようなものでもあります。
——では、逸平さんにとって扇とは?
「これがなきゃ始まらない」ものです。足袋と同じで、扇がなきゃ始まらない。お稽古では、まず扇を自分の前においてのご挨拶からはじまります。特別なものを通り越し、一周し、本当に「なきゃ始まらない」と思っています。

舞台写真:上杉遥、文・写真:塚田史香
関連情報
逸青会 京都公演
日時:2026年02月28日(土曜日)14:00
会場:京都 金剛能楽堂
茂山狂言会 春〜茂山七五三 傘寿記念
日時:2026年03月20日(金曜日)14:00
会場:京都 観世会館
#狂言を未来へ2026
伝承の危機にある演目を後世へ残したい
茂山狂言会によるクラウドファンディングを実施中。
支援募集期間:2026年2月1日~3月31日(火)午後11:00まで。
「READY FOR」プロジェクトページへ
茂山千五郎家 公式サイト
https://kyotokyogen.com/

