Culture

2026.02.23

スケジュール確認はあの世でも大事! 旅立つ前に知っておきたい冥界の歩き方

この世で肉体が朽ち果てると、死者は三途の川を渡ってあの世へ入るのだ、という話は現代でもよく耳にする。ほんとうのところは誰にも分からない。分かってたまるか。それは死んでいるということだ。
とはいえ、もし死んでしまったら可能な限り最短距離で冥界へたどり着きたい。迂回せず、寄り道せず、さっさと転生先を決めたい。そのためには、生きているうちに死後のスケジュールを確認しておく必要がある。

目指せ、中陰

『十王寫』
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

子どもの頃から、冥界はずっと気になる場所ではあった。地獄には閻魔様がいて亡者を裁き、その罪の深さに応じて罰を定めるという。ということは、人は死んだら誰しも一度は地獄へ出向かなくてはいけないのだろうか。ということが頭のどこかにいつも引っかかっていた。それに、亡者の行く先を振り分けるのが仕事なら、閻魔様は地獄のもっと手前にいるべきではないのか。

大人になって知ったのは、じつは閻魔様はあの世とこの世の境目にいるということ。そこは「中陰(ちゅういん)」と呼ばれる場所で、亡者の罪を裁く王は閻魔様だけではないということ。

日本に仏教が伝えられたのが六世紀頃。中国から伝えられた十王信仰が日本で高まってくるのは平安時代末期から室町時代である。
平安時代末期から日本で信仰されてきた経典『十王経(じゅうおうきょう)』によると、閻魔様はあの世をつかさどる十人の王の一人にすぎない。いや、すぎない、なんて言いかたをしてはいけないな。彼らが亡者を裁くのだし、十人の王たち「十王」による裁判で重い判決が下された亡者は、より深い地獄の下層へ送られることになるのだから。

とにもかくにも私の最初の目的地は、中陰である。

あなたのための死後スケジュール

『日光山輪王寺御宝物図解』
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

中陰にいるあいだに行われる裁判は、合計で十回。十回も裁かれるなんて想像しただけで気が滅入る。でも時間だけはたっぷりあるので出廷しておこう。それに一連の裁判で来世の処遇が決まるのだ。十王には、慎重かつ丁寧かつ厳正なる審理を期待したいところ。

死後の審理は七日ごとに行われ、審判を務める王も毎回変わる。
最初の審判は「初七日」と呼ばれる。まずはこの日に向けて心を整えておきたい。担当するのは秦広王(しんこうおう)だという。
次に迎える裁判が、二七日(ふたなのか)。初江王(しょこうおう)が私を待っている。
三七日(みなのか)は宋帝王(そうていおう)。
四七日(よなのか)は五官王(ごかんおう)。
五七日(いつなのか)の裁判は、かの有名な閻羅王(閻魔様のこと)に会える日だ。
六七日(むなのか)は変成王(へんじょうおう)。
七七日(なななのか)は太山王(たいざんおう)。泰山王ともいう。

正直なところ、王の名前などどうでもいい。私が知りたいのは裁判の結果だけである。

裁判はさらに慈悲深いといわれる百か日の平等王(びょうどうおう)、一周忌の都市王(としおう)、三回忌の五導転輪王(ごどうてんりんおう)で終わりとなる。

十回の死後裁判を乗りこえろ

七回目の裁判を務める泰山王
『十王寫』
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

裁判は、七回目の審判でひとつの区切りとなる。七日ごとに行われる審理の七回目である七七日は、いわゆる「四十九日」だ。残された人にとっては死者を悼む節目となる四十九日も、死者にとっては審理の途中。裁判はまだ三回も残されているので心穏やかとはいかない。
とはいえ残りの三回の裁判は再審のようなもの。基本的な判決は七回目の裁判で下される。だから亡者にとってなにより重要なのは、七回目の裁判を務める泰山王ということになる。

十王たちは、亡者の罪の軽重を生前の行いから判断する。生前に後ろめたいことがあったとしても、すでに後の祭りである。死んだ肉体で積める善行など、なにもない。
初江王との裁判で好印象を残し、五七日までは閻魔王に会えるのを心の拠り所にし、七回目の裁判を務める泰山王で心を決める。というのが理想的な(私的)裁判スケジュールかもしれない。

しかし、たとえ泰山王の判決が納得のいく内容でなかったとしても、まだ救いはある。審理をひっくり返すチャンスが平等王、都市王、五導転輪王の裁判で残されているからだ。死んでなお三人の王の前に差し出せる唯一のもの、それは遺族の想いである。

拝啓十王さま、減刑をお願い申し上げます

『仏像図彙 三』
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

『仏像図彙 三』
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

死者の処遇は生前の行いから判断される。しかし平等王、都市王、五導転輪王の裁判では、遺族がどのくらい死を悼んでいるかが審理の対象となる。たとえ生前に重い罪を犯していたとしても、遺族からの手厚い供養があれば多少は減刑をしてもらえる、というわけだ。だから一周忌と三回忌の法要はとても大事。

どれほど不道徳な人生を送ろうが、息のあるうちに遺族にだけはせめて恩を売っておいたほうがよさそうだ。きちんと法要をし、悼んでほしいと頼んでおくのだ。そうすれば、十王さまも心ばかりの減刑をしてくれる、かもしれない。死んでからでは何事も遅いのである。

でも、疑問も残る。
死後に遺族がいかに弔うかで罪状が決まるなら、家族や親しい人のいない死者は一人きりで死に、誰にも供養されることなく十王の厳しい審理を受け、あまつさえ減刑されることもなく結果を待つだけということになる。そんなの、あんまりではないか。

死者の想いを託された有王丸

『平家物語』に、こんな話がある。
俊寛僧都は平家打倒の陰謀をめぐらした罪で流罪になった。無念のうちに病死する俊寛の最期、寵愛を受けてきた有王丸が駆けつけてこう言う。

「私も一緒に死んで、生まれ変わり来世まで仕えたい。この世にはお姫様(俊寛の娘)のほかに供養してくれる人もいらっしゃいません。しばらく生きながらえてお弔いしましょう。」

一緒に死に、来世まで仕えたいと願う有王丸が、それでも死をためらうのは、俊寛の亡き後を思ってのことだった。あなたのために私が極楽浄土を願い、地獄に堕ちないように祈りましょう。言い換えれば、「十王に減刑をお願いしておきますよ」ということである。減刑の希望は有王丸に託されている。
弔いとは、死者のより良い来世を願って供養すること。こういう相手を残してから死ぬと、かなり心強い。私も見習いたいところである。

おわりに

ところで真面目な話をすると、冥界でのスケジュールがこれほどまでに細かく決まっているのは理由がある。法要を行うことによって、仏教と深く結びつくようにしたかったからだ。でも、それだけではない。

人が亡くなり、葬儀に参列するたびに思うことがある。この特別な日は、誰のために誂えた一日なのだろう。そして参列者の顔を見て、思うのだ。今日という日は死者のため、そして遺された人のための一日なのだ、と。遺された人たちが死者の記憶をたどり、悲しみと向き合い、思いを深くするための時間が四十九日であり、一周忌であり、三回忌の法要なのだ。法要が今日まで大事にされてきた理由はこのためだ。

大切な人から遠ざかるのには時間がかかる。死者と共に生者もまた、ゆっくりと別れの準備をしているのかもしれない。

【参考文献】
星瑞穂「ようこそ地獄、奇妙な地獄」朝日新聞出版、2021年

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馬場紀衣

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。
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