煙管は江戸時代の「ファッションアイテム」だった
交通系ICカードの普及により、電車の駅における切符の自動販売機が明らかに減った。切符を使って乗る人が減れば、乗車駅と下車駅近辺の間の安い切符だけを使って中間の運賃をごまかす、いわゆるキセル乗車もしづらくなっているのではと推測している。
そもそもこの不正乗車の方法を「キセル」と呼ぶのは、刻み煙草を詰めて吸う江戸時代以来の喫煙具・煙管が由来。羅宇(らう/らお)と呼ばれる長い管の先端に、煙草を入れる椀型の火皿、手前に持ち手である雁首や吸い口という構造と、両端の駅だけ切符を買う乗車方法をひっかけたものである。
そうでなくとも喫煙者が減っている二十一世紀。今後、キセル乗車の呼称が消えてしまえば、古い喫煙具たる煙管の存在は、もはや多くの日本人の中から忘れ去られてしまうかもしれない。
今日の喫煙者が大半が飲む煙草は、刻み煙草を紙で巻いた紙巻き煙草である。明治時代にこれが普及する以前の喫煙者たちは、それぞれ刻み煙草を購入し、手許の煙管や煙草入れといった喫煙具一式を使って喫煙していた。となればそれら喫煙具は当然、各自の嗜好を反映したものとなり、ファッションの一部としての役割りを担った。
たとえば現在、神戸市立博物館が所蔵している緑・藍色ガラス煙管は、江戸後期に作られた鉛ガラス製の煙管。羅宇部分の鮮やかなコバルトブルーが、はっと息を飲むほど美しい。ただガラスとなれば当然衝撃に弱く、取り扱いにも最新の注意が必要だったはず。それにもかかわらず当時は高価だったガラスで煙管を作らせたその持ち主の粋には、つくづく驚かされずにはいられない。どういった人の持ち物だったのかと、ついつい想像してしまう。
不老長寿から喧嘩まで! 煙管に込められた男たちの「粋」
ただこういったガラス製の煙管は極めて珍しい例で、長く伸びた羅宇部分は竹、両端の火皿や雁首部分は耐久性の観点から金属で作られることが大半だった。その中でも細工が加えやすいのは金属部分のため、現在も残る煙管の中には、ここに個々人のセンスを発揮した品が数多い。
たとえば現在、東京国立博物館が所蔵する「菊慈童文高彫煙管」は、銀製の雁首と吸口部分に彫金および金銀象嵌で、中国の伝説の童子・菊慈童を現している。菊慈童とは元々はある皇帝に仕える従僕だったが、ゆえあって山中に暮らすこととなり、経文を書きつけた菊の葉からしたたる霊露の力によって、七百歳の齢を重ねても変わらぬ若さを保ち続けたと伝えられる。このため彼は近世絵画・工芸では、しばしば不老長寿の象徴として描かれる。

現在の知識からするとおよそ信じがたいことだが、煙草は近世社会においては健康によいものと考えられていた。つまりそんな煙草を吸う煙管に菊慈童をあしらうとは、延命長寿を意識しての行為と推測される。オシャレと実益を兼ね備えた煙管というわけだ。
ただ、わたしのように始終ぼんやりして、いまだに何もないところで転んだりする人間からすると、口に入れる部分が金属製という品は、怪我の元になるまいかと心配になる。そんなことを思いながら史料を読んでいると、案の定、煙管で怪我をした人の記録があった。
それは、江戸時代後期に肥前国平戸藩の元藩主・松浦静山が記した『甲子夜話』の一節。とある人物が嵐の船中で揺れに耐えようと、煙管を顔に当てて俯いていたところ、いっそう激しい揺れが船を襲った際、煙管の端が口の中に入り、前歯が折れてしまったとの逸話である。ううむ、実に痛そうだ。
実は煙管の金属部分と怪我という例は、決して珍しいものではない。持ち主自身が怪我をする例以外にも、それで他人に傷を負わせる者も、江戸時代には数多くいた。
――腰に帯ぶ銀煙管 人を撃って尚未だ摧(くだ)げず 平生、立引きを重んず 言う、本庄より来たると
とは、明和六年(一七六九)に刊行された狂詩集『太平楽府』の一節。火皿や吸い口が銀で作られた贅沢な銀煙管を手にした江戸・本庄(本所)の旗本・御家人の子弟が、喧嘩の際にそれらで人を殴り、義理や意気を重んじる態度を取る様を詠んでいる。オシャレな煙管を武器に使う。それもまた、当時は一つの「かっこよさ」だったのだろう。
ただ幾ら先端部分が金属製でも、あまり頻繁に喧嘩に使っては、竹製である羅宇部分が折れてしまう。というわけで刀を所持できない遊侠の徒の中には、羅宇部分も含めたすべてを金属で拵え、護身用として所持する者もいた。これは「喧嘩煙管」と呼ばれ、中には刀のように鍔を付けたものまで作られていたという。前述のガラス製の煙管とは対極の、もはや喫煙の用途を離れた煙管と言ってもよい。
吉原では「恋の小道具」に。遊女たちと煙管の粋な関係
一方で江戸・吉原などの遊郭では、煙管は遊女のサービスの道具としても用いられた。遊女が少し吸い、火をつけた煙草を客に差し出す行為が、その相手への好意の証とされていたのだ。浮世絵を見ると、彼女たちの煙管は朱漆塗りの羅宇部分が長い、色鮮やかな長煙管。飾りの乏しいほっそりとした煙管が、女たちのたおやかさによく似合う。
――煙管の雨が降るようだ。
とは、今日でもしばしば上演される歌舞伎「助六由縁江戸桜」の主人公・助六のセリフ。その凄まじいまでのモテっぷりが、恋人である花魁・揚巻はもちろん、吉原じゅうの女たちから吸い付けた煙管を差し出される姿によって表現されている。この歌舞伎の中では遊女から一本の煙管ももらえぬ敵役・意休に、助六が足でつまんだ煙管を渡そうとしたりと、煙管が一種の我慢の象徴としても使われているのも面白い。
江戸時代末期の天保年間、時の老中筆頭・水野忠邦は、相次ぐ飢饉や物価高騰に抗うべく、後に「天保の改革」と呼ばれる政策に取りかかる。彼が人事や軍制の改革と並行して進めたのが庶民に対する奢侈(しゃし)禁制であるが、その折には櫛・笄(こうがい)・簪(かんざし)などと並んで、煙管を金銀で誂えることが禁じられている。言うまでもなく櫛や笄類は、それぞれの身を飾るもの。煙管がそれらと併記されているのは、実に象徴的な出来事と言えるだろう。
たかが煙管、されど煙管。そう思うと今日の紙巻き煙草や電子煙草は、喫煙という一点だけにおいては簡便であるが、やはりちょっとつまらない。


