リニューアルの第1回は、織太夫さんのご希望もあり、錦秋(きんしゅう)文楽公演で上演される『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』のゆかりの地である奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社へお詣りをしました。
リニューアルに際しての思い
織太夫さんがリニューアルについて、詳しく説明をしてくださいました。
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ありがたいことに様々な方に声をかけていただいて、ここ数年で様々な媒体や方法で発信をする機会が増えてきました。しかし、新たなプロジェクトが走り出すたびに建て増しのような形になってしまい、私自身の中でも、同じ話を複数のところでしていいものか、それぞれをどう整理していくかと悩んでおりました。大きな枠として『文楽のすゝめ』として文楽に興味を持っていただけるのであれば……と割り切っておりましたが、十代目竹本綱太夫襲名を機に、「綱太夫家はReの家である」というところからも、それぞれをRebranding(リブランディング)したいと思い、『和樂web』の『文楽のすゝめ 四季オリオリ』は、『文楽のすゝめ 綱太夫場』とRenewalしませんかとご提案しました。
綱太夫場というのは、その名の通りです。綱太夫といえばこの演目。綱太夫である以上はこれが語れなければ話にならない。やっぱり綱太夫の語る綱太夫場が一番だよね、と言われなければいけないものです。お家芸といっていいと思います。初代綱太夫の『鰻谷』『俊寛』。今回の『妹背山婦女庭訓』では『芝六住家』と『鱶七上使(ふかしちじょうし)』が綱太夫場です。二代目綱太夫の『合邦(がっぽう)』『志渡寺』、三代目綱太夫の『酒屋』『時雨の炬燵』、六代目綱太夫の『柳』『本蔵下屋敷』、八代目綱太夫の『曾根崎心中』をはじめとした近松物……。と書ききれないぐらいあるのですが、私は十代目としてこれらの綱太夫場を綱太夫として語る責任がありますが、それはお客様にかしこまって背筋を正して聞いていただきたいということではありません。「文楽を神棚からちゃぶ台へ」ということも常々申し上げてきております通り『文楽のすゝめ』プロジェクトの本質もそこにありますので、新しい綱太夫の綱太夫場をより楽しんでいただきたい、という趣旨に変わりはありません。
かしこまったお話になってしまいましたが、簡単に言えば、綱太夫の語るものが綱太夫場です。昔の文楽には鳥屋振(とやぶ)れ※1というのがありまして、東西の口上の後に「○○太夫場」と、声がかかったそうです。大落とし※2にもあったとか。綱太夫であれば、綱太夫場と。話はそれますが、その鳥屋振れが「場」をのばして言うので、「○○太夫はーん」と聞こえると、文楽というのは身内にさんをつけるのかと嫌みを言われたこともあるそうです(笑)。
(※2)義太夫節の演奏において、登場人物が悲しみに暮れて激しく泣き崩れる場面などをさす。
綱太夫場といえば、厳密にはゆかりの演目のことですが、綱太夫が語る場面のことはすべて綱太夫場ともいえるのです。そういった意味で、綱太夫が綱太夫の語る綱太夫場のゆかりの地を辿ると共に、綱太夫場を解説するという形で、この『和樂web』での連載をRenewalしたいと思った次第です。
古事記にも記される大神神社
取材の日はお天気に恵まれ、JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅から徒歩7分ほどで、大神(おおみわ)神社の二の鳥居に到着。鳥居をくぐると、木々に囲まれた参道が続き、空気が変わったと感じます。大神神社は古事記にも登場する日本最古の神社のひとつで、別名を「三輪明神(みわみょうじん)」と呼ばれ、地元では「三輪さん」と親しまれています。

まずはお詣りをと、織太夫さんは拝殿へと向かわれました。大神神社では本殿は設けられていません。拝殿の奥にある「三ツ鳥居(みつとりい)」を通してご神体である三輪山(みわやま)を拝む、古来からの神まつりの姿を伝えています。織太夫さんは一心に祈っておられました。大名跡の襲名を控えておられるので、そのことも祈っておられたのでしょうか……。
奉納舞台からのご縁に導かれて
今回、織太夫さんがリニューアルの第1回目に大神神社を選ばれたのには理由がありました。「ちょうど昨年の11月に、こちらの大神神社の三輪山会館能楽堂で、奉納舞台をさせていただいたのです。大神神社と関係の深い『妹背山婦女庭訓』の『杉酒屋(すぎさかや)の段』を私が語って、三味線は鶴澤清志郎くんで、素浄瑠璃※3の演奏をしました。そして今年、国立文楽劇場の錦秋文楽公演で『杉酒屋の段』を語ることになったのです。これはお導きだなと思いまして。1年前には予測できなかったことなので、ゆかりのあるこちらにお詣りをしたいと思いました」と話します。
奉納舞台では「杉酒屋の段」に続いて「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」を織太夫さんと清志郎さんで演奏され、お三輪の場面を桐竹勘十郎さんが人形を遣われました。

奉納舞台をされた能楽堂の能舞台は、かつて大阪ミナミにあった老舗料亭『南地大和屋(なんちやまとや)』の能舞台を移築・復元したものです。この能舞台も織太夫さんと深い縁がありました。「私は生まれも育ちも心斎橋なのでミナミっ子でして。まだ子どもの頃に、九代目竹本綱太夫(後の九代目竹本源太夫)師匠が、南地大和屋の能舞台で、奥様の小唄春日流の春日とよ子さんとの会をされていたのを、何度か拝聴に伺いましたことを覚えております」と、懐かしそうに振り返ります。
織太夫さんは人形浄瑠璃や義太夫の普及を目的に、株式会社竹本鶴鳴會(かくめいかい)を起こされ、代表を務めておられます。竹本鶴鳴會として初めて携わったのが、大神神社での奉納舞台だったそうで、そのことも感慨深く感じておられる様子でした。

酒造りの神様へ『妹背山婦女庭訓』の成功祈願
「杉酒屋の段」は、三輪の里が舞台。そして酒屋の娘のお三輪を中心に、物語が展開していきます。大神神社は酒造りの神様としても広く信仰されていて、拝殿には大きな杉玉がつるされています。広報室長の山田浩之さんの案内で、拝殿の中に入らせていただきました。「昨年の奉納舞台の時も、こちらの杉玉を見せていただきました」と織太夫さん。元は緑色の杉玉がつるされますが、徐々に1年かけて枯れて茶色に変化していきます。
「毎年11月14日は、大神神社に全国から蔵元・杜氏が集まる醸造安全祈願祭(酒まつり)が行われます。その時には、この杉玉も蒼々(あおあお)とした新しいものに掛け替えられます」と、山田さんが教えてくださいました。

「杉酒屋の段」は、このような内容です。
三輪の里の杉酒屋の娘お三輪は、隣に住む烏帽子折りの求馬(もとめ)と恋仲。その求馬の家に、被衣(かつぎ)で顔を隠した女が訪れます。この様子を見ていた杉酒屋の丁稚・子太郎(ねたろう)は、お三輪に告げ口をします。動揺したお三輪は真偽を確かめようと求馬を呼び出し、求馬の言葉に安心したのもつかの間、被衣の女が現れて……。お三輪の純真な恋心と、被衣の女(橘姫)の求馬への執着が、後の悲劇的な結末へと繋がる重要な伏線を描いています。
続いて「杉酒屋の段」について、織太夫さんにお聞きしました。
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「杉酒屋」については、忘れられない思い出があります。10年前の平成28(2016)年4月公演が通し狂言で『妹背山婦女庭訓』が出ました。私は『妹山背山の段』の雛鳥と『道行恋苧環』の求馬のふた役でした。まさか自分に山の段の雛鳥という大きな役が回ってくるとは思っておらず、かなりびっくりしました。そこへ咲太夫師匠が休演で、杉酒屋の代役も私が勤めることとなり、ひと公演で三役勤めることになりました。この時は昼の部に一・三段目、夜の部に二・四段目という順番でしたので、昼の部の最後に雛鳥を勤め、二段目の間に準備をして、すぐに四段目の杉酒屋を勤めて、終わるとすぐに道行の求馬に出るという慌ただしさでした。もし順番通りの上演だったら3時間舞台にいることになったので、無理だったと思います(笑)。この時の経験が「四の切」※4での急な代役に活きましたので、人生なんでも経験だなと改めて思います。
昭和38(1963)年の文楽協会誕生記念公演で八代目綱太夫師匠が語った音源が残っているのですが。子太郎のすっとぼけた語り口に、嫉妬の炎が燃え上がるお三輪と、「何よこんな田舎娘」という橘姫の女同士の争いに挟まれてオロオロするばかりの求馬(実は藤原淡海)とそれぞれの語り分けや人物造形が見事なんですよね。そして最後の三味線の弥七師匠※5の足取りがこれまた絶品で……。研の會※6でも弾いていただいた弥七師匠の門弟である團七師匠に、今回弾いていただくので、そのあたりのお話もお伺いしながら勉強できたらと思っています。
(※6)歌舞伎俳優の尾上右近さんのプロデュース公演。ファイナル公演の演目『藝阿呆』では竹本織太夫さんと竹澤團七さんが生演奏をして、話題を集めた。
白蛇が棲むという巳の神杉
拝殿の近くに樹齢400年から500年と推定される巨木があって、参拝者が集まっていました。三輪の神様の化身の白蛇が棲むと伝わることから、巳の神杉(みのかみすぎ)と名付けられたご神木なのだそうです。「巳の年には、大勢のお詣りがありました」と山田さん。「卵がお供えされているのですね?」と織太夫さんが尋ねると、「何時からともなく、蛇の好物の卵やお酒が、参拝者によってお供えされるようになりました」と山田さんが教えてくださいました。地元では「蛇」に親しみを込めて、「巳(みい)」さんや、「巳(み)様」と呼ばれるそうです。

万病に効くと伝わる「ご神水」をいただいて、パワーチャージ!
境内にある大神神社の摂社(せっしゃ)、狭井(さい)神社は、三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社で、病気平癒の神様として信仰されています。また薬井戸があり、万病に効くという薬水「ご神水」が湧き出ていると聞いた織太夫さんが是非お詣りしたいとおっしゃったので、立ち寄ることにしました。

狭井神社の拝殿でお詣りをした後に、左奥にある薬井戸へ。ご神体である三輪山から湧き出る霊水がいただける井戸で、現在は石造りの設備に設置されたボタンを押すと、備えつけの紙コップで、その場で水が飲めます。織太夫さんも、ご神水をいただいておられました。日々、舞台や幅広い活動で多忙を極めておられるので、力が補給されたのではないでしょうか?
狭井神社からは、くすり道と呼ばれる参道を通って元の二の鳥居へ戻りました。くすり道の脇を見ると、多くの製薬業者から奉納された灯籠や、薬草・薬木が植えられているのに気づきます。狭井神社は病気平癒・身体健康にご利益があるとされていることから、薬業や医療関係者から深い信仰を集めているのだそうです。
伝説がいきづく緒環杉
二の鳥居を出て右に進むと、大神神社の摂社である大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ・若宮社)があります。神社の入り口脇にある大きな古株は、緒環杉(おだまきすぎ)という名前で、江戸時代にはすでに文献に記載されている名木ですが、やがて枯れてしまい、現在は根本だけが大切に残されています。
緒環杉には、このような伝説があります。
気品のある若者と結ばれた活玉依媛(いくたまよりひめ)が、若者の正体を知るために衣服の裾に縫い付けた糸巻きの糸を辿ったところ、その糸がこの杉のところで終わっていました。若者の正体は、三輪山の神である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)だったのです。
この神話が、「三輪」の地名の由来ともされています。

『妹背山婦女庭訓』では、糸を巻くための苧環(おだまき)※7が、恋の糸をたどって相手を追うための重要な小道具として登場します。作者の近松半二※8らは、三輪の地に伝わる伝説を下敷きにして、壮大な芝居に仕上げたといわれています。
(※8)江戸中期の浄瑠璃作家。
織太夫さんにとって大切な思い出
2026年錦秋文楽公演は、惜しまれつつ逝去された三代目吉田簑助(よしだみのすけ)※9の三回忌追善として催されます。吉田簑助さんの思い出を、織太夫さんにお聞きしました。
「思い出は数え切れないほどあります。一番印象的なのは、文楽の太夫として正式にデビューして間もない19歳だった平成6(1994)年の夏休み公演、『曾根崎心中』の『天神森の段』に初役で出た時のことですね。4枚目のスソ※10に座っていたのですが、初役の若手としてはプレッシャーのかかる役割で、さらに、初代吉田玉男師匠の徳兵衛が1000回に達する記念の公演というのもあって、緊張していました。あえてこう呼ばせていただきますが、玉男簑助の曾根崎心中です。戦後の文楽といえば、曾根崎心中。そして玉男簑助といえば、その当時は文楽そのものですよ。残酷ですが、文楽の太夫は入門何年目であろうが、こうした並びものであっても、ひとりで語る「ソロ」の部分があるんですね。私は『南無阿弥陀仏(なんまいだ)』を任されていました。その緊張を、簑助師匠は感じられたのでしょう。お初の「心も空に」の前に上手に引っ込む際に、一番端に座っている私に、お初の人形を近づけて簑助師匠が小声で『咲甫(さきほ)※11好き。チュッ』と、お初でキスをする仕草をしてくださったのです(笑)。私の緊張をほぐそうとしてくださったのだと思います。その時のことは、今でも忘れられないですし、感謝しています」と心温まるエピソードを披露してくださいました。
秋はお出かけに最適な季節です。大神神社へお詣りをして、『妹背山婦女庭訓』を観劇するのは、いかがでしょうか。
(※11)竹本織太夫を襲名する前名の、豊竹咲甫太夫をさす。
竹本織太夫さん出演情報
三代目吉田簑助三回忌追善 錦秋文楽公演
第2部『妹背山婦女庭訓』「杉酒屋の段」に出演
※第1部は『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』
※第3部は『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』
■期間:2026年10月31日(土)~11月23日(月・祝)
※:11月6日(金)、16日(月)は休演。
■開演時間:第1部 午前11時開演(午後1時30分終演予定)
第2部 午後2時15分開演(午後5時10分終演予定)
第3部:午後5時45分開演(午後8時20分終演)
■観劇料:一般 6500円(学生4600円)
■会場:国立文楽劇場(OsakaMetoro・近鉄「日本橋」駅下車7号出口より徒歩約1分)
公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2026/2026bunraku11/
チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
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大神神社基本情報
奈良県桜井市三輪1422
公式ウェブサイト
https://oomiwa.or.jp/

