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Culture
2019.09.26

新しい地図記号『自然災害伝承碑』を知っているか?石碑は世界一優れたデータ保存媒体なんだ!

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2019年新しく制定された地図記号『自然災害伝承碑』をご存知だろうか。

日本は環太平洋火山帯の真上にある島国である。しかも世界平均の約2倍もの降水量があり、台風も上陸する。地震、津波、洪水、土砂崩れ、暴風等、様々な自然災害が発生する国、それが日本だ。

それらの災害をデータとして共有しようという機運が、東日本大震災をきっかけに高まっている。

石碑の意義

かつて、山本敬三郎という人物が静岡県知事を務めていたことがあった。

この山本知事は「地震知事」と言われていた。静岡県は常に大地震の危機を間近にしている。それを踏まえて、防災インフラの建設を県が主導して実施しよう……と山本知事は提唱した。だが当時は評価よりも嘲笑する声の方が大きく、先述の「地震知事」もどちらかと言えば皮肉のような意味合いの物言いだった。

現代では日本のどの自治体も防災行政に力を入れている。山本知事の判断は時代を先取りしていたのだ。

今年に入り、国は日本各地にある災害関連碑を自然災害伝承碑として地図に記載する決定を下した。石碑とは、我々の先祖が後世に遺してくれた貴重なデータである。たとえばその石碑に「この斜面まで津波が到達した」と書かれていたら、具体的な津波の高さが判明する。そこから津波の発信源となった地震の大きさも予測することもできる。

コンピューターが発達した現代でも、新しい石碑を作る意義は大いにある。

デジタルデータは、それ自体がモノではない。何かしらのきっかけでデータが破損する可能性もある。しかし石碑は風雨に晒された状態で何百年も耐えることができる。つまり石碑は、世界一優れたデータ保存媒体なのだ。

巨大堤防を作った湯浅倉平

さて、自然災害伝承碑は制定されたばかりの地図記号である。

故に、この記事の執筆時点ではまだ地図記号に指定されていない石碑が全国各地に存在する。

筆者の地元である静岡市にも、そのような石碑がある。今回は安倍川沿いにある安倍川修堤碑を取り上げたい。これは大正時代、堤防の改修に尽力した当時の静岡県知事を記念して建てられたもので、この石碑のある一帯の土手は「湯浅堤」と呼ばれている。「当時の静岡県知事」とは、湯浅倉平だ。

湯浅は静岡県知事としてよりも、のちの内大臣としての印象が大きい人物。二・二六事件で斎藤実が殺害され、その後釜として内大臣に就任した。軍部の政治的権限が大きくなっていく時代に、極めて難しい判断を迫られた大臣でもあった。

その湯浅が静岡市に全長約10kmの巨大堤防を作った事実は、あまり知られていない。しかもそれは、議会の反対を押し切った決断だったという。安倍川は極端な二面性を持つ河川だ。

晴天が続いている時はまるで水溜りのような流れしか見当たらないが、いざ雨が降ると中州を飲み込み暴れ川と化す。

だが筆者はもう16年静岡市に住んでいるが、暴走状態の安倍川から水が溢れ出たということは未だ一度として経験していない。湯浅堤を始めとした安倍川沿いの堤防が、上手く機能しているのだ。

防災インフラの重要性

ここで話は大きく変わる。

筆者は最近、『風をつかまえた少年』という映画を観た。これはマラウイの少年ウィリアムが、自転車のダイナモ式ライトを利用して風力発電装置を自作し、電気のない村に初めての灌漑設備をもたらすという内容だ。

当時のマラウイは旱魃が発生し、餓死者まで出ていた。その中でウィリアムは図書館に通い詰めて風力発電の仕組みを勉強し、ついに自分の手で本物を作ってしまう。ウィリアムはのちにTEDカンファレンスでプレゼンを行うほどの著名人になった。

旱魃も自然災害のひとつである。それに対抗できるインフラを整備することがいかに重要か、この映画は教えてくれる。

降水量に恵まれた日本ではマラウイのような大規模旱魃は発生しないが、それと引き換えに水害の危機が待ち構えている。堤防がなければ、筆者の自宅周辺も荒天時には水没しているはずだ。いや、そもそも筆者がこうして生きているかどうかも分からない。筆者の自宅は安倍川沿いにある。

日本の歴史は、自然災害との戦いの歴史でもある。幸いなことに、我々の先祖はかなり早い段階で防災設備の重要性に気づいていた。『風をつかまえた少年』では農村部のインフラ整備に全く関心を持たない大統領についても描かれていたが、少なくとも湯浅倉平はそのような冷酷な政治家ではなかった。

賢明な先祖がいたからこそ、今の我々が存在する。