Culture
2019.09.27

「ねんねんころりよ」の歌詞の続きは?江戸子守唄の意味や地域による違いを解説

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数々の幻想的な小説を生みだした作家、泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池(大正二年)』に子守唄を歌う場面がある。登場人物の一人、百合は人形を抱きながら次のように歌う。

「ねんねんよ、おころりよ、ねんねの守(もり)は何処(どこ)へいた、山を越えて里へ行(いつ)た、里の土産に何貰うた、でんでん太鼓(だいこ)に笙の笛」

この「ねんねんよ おころりよ(群馬)」のフレーズは「ねんねんころりよ(東京)」や「ねんねんよ かんかんよ(千葉)」「ねんねんかんかん(茨城)」と土地ごとにいくつものバリエーションがあるのだが、おそらく日本人なら誰もがひとつは耳にしたことがあるだろう。わたし自身、赤ん坊の頃に母から「ねんねんころりよ、おころりよ~♪」と歌ってもらったかどうか…は分からないが(東京出身)、テレビの『日本昔話』のオープニング曲「坊や~良い子だ、ねんねしな~♪」の子守唄は覚えている。だけど伝統的な子守唄のほうとなると「ねんねんころりよ」の先をよく知らない。鏡花が百合に歌わせた「でんでん太鼓」も「笙の笛」も令和の時代には馴染みがあるとは言い難いし、いまの子供たちの生活とも結びつかない。そもそも、子供のおもちゃの「でんでん太鼓」はまだ分かるとして「笙の笛」ってなに?

「ねんねんころりよ」の子守唄は江戸時代からあった!

日本の子守唄の中で、おそらく最もよく知られた曲は江戸子守唄だろう。「ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな」というあの曲である。日本の子守唄の代表だ。この歌は江戸時代中期の頃に流行し、江戸後期に人の往来が激しくなると歌詞やメロディーを少しずつ変えて日本各地に伝播していった。だから全国に似た歌があるので、耳に残っている人も多いのだ。

子守唄や民謡の多くは労働歌だった。漁師や農民たちが働くときのリズムを取るために歌ってきた曲である。薬の行商や旅芸人、海上輸送の流れにのって子守唄も人と一緒に全国を旅したのかもしれない。当時を物語るように、いまでも全国各地に赤ちゃんをおんぶした土人形が残されている。つまり、それほどまでにこの唄は人々の心を打ったのだ。

人びとを魅了し続けてきた『江戸子守唄』では何が歌われているのだろうか。

 フル歌詞知ってる? その意味は?

まずは歌詞を読んでみよう。   ※( )は歌われている土地を示す

(東京)

ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
坊やのお守はどこへ行た
あの山越えて里へ行た
里の土産になにもろた
でんでん太鼓に笙の笛
起き上がり小法師に豆太鼓

江戸子守唄は母親の歌?

子守唄には母親の歌う子守唄と子守奉公に来た人が歌う子守唄とふたつある。母親が子供へつぶやく歌とちがって、子守娘の歌う子守唄は悲しい曲が多い。自分の働きに来ているところから逃げ出したい、故郷に向かって訴えるような叫びが交じっているからだ。それもそのはず、子守仕事に明け暮れる子守娘もまた母親が恋しい子供の年齢にすぎない。

だから、日本で歌い継がれてきた子守唄は子供をちょっと怖がらせるような歌詞で、曲全体に暗さや寂しさが現れているものが多い。その中でも「江戸子守唄」は母親が歌う数少ない子守唄だ。

当時、貧しい農家の子供は裕福な商家などへ奉公に出されることが多かった。女子なら子守や使い走りに。そうして一生懸命働くと盆正月には心付けと、反物をちょっと持たせてもらい里へ帰ることができる。里の両親は喜んだことだろう。こんなに良いものを頂いて、きちんと勤めなさいと子守娘に激励したかもしれない。子守奉公が里に帰っているあいだは、実の母親が赤ん坊の子守をすることになる。『江戸子守唄』の歌詞は子守奉公が戻ってくるのを待つ母親の立場から歌われたのかもしれない。

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里の土産は、でんでん太鼓と笙の笛?

「でんでん太鼓」は日本の民芸玩具のひとつ。棒状の持ち手がついた小さな太鼓で両側に紐がついている。先端には玉が結びつけてあって、持ち手を右左へ回転させると玉が太鼓の膜に当たり「でんでん」という音かどうかはさておき、音を立てる。子供をあやすときに使われるから子守の奉公が持ち帰るのに理想的な土産だったろう。

では、「笙の笛」とはなにか。笙の笛と聞いて最初に思いつくのは雅楽で用いられる管楽器だ。複数の細い竹管が円筒状にくくられている神前結婚式でおなじみの楽器だ。でも雅楽の楽器を里の土産に持ち帰られても正直、困る。もう一つのお土産を巡る手掛かりは、伊勢にある。

江戸時代、伊勢参りは庶民の憧れだった。「一生に一度はお伊勢さん」と言われたほどで、奉公人や子供が家の人に黙って伊勢参りに出かける「抜け参り」なんてものもあったとか。そんな伊勢神宮のまわりでは、土産屋も繁盛しただろう。当時の伊勢土産として人気だったのが笛。井原西鶴(1642)の『日本永代蔵』の一節、「仕合せの種を蒔銭」という物語にも伊勢の土産物として「笙の笛」が登場する。笙の笛とは、伊勢の神楽の楽器で「笙」にちなんだ竹笛のことだったのだ。ほかの土地でも「笙の笛」が広まっていたというから「でんでん太鼓」と一緒に持ち帰っても、土産としておかしくはないだろう。

子守歌の数はなんと4000以上!

子守唄に興味が湧いたらぜひとも手にとってほしい一冊がある。それが昭和18年に北原白秋が日本の巷に残されているわらべうたを集められるだけ集めよう!と試みた『日本伝承童謡集成』。わたしはこれを数日前に読み終えたばかりだが、本当によく集めたなと感心せずにいられない。この本、全部で6巻あり、その第1巻に膨大な数の子守唄が入っている。これは戦時中には出版されず、戦後まもなく活字になったがGHQのおとがめを受ける要素があり発禁になってしまった。日本列島の子守唄を収めたこの中に『江戸子守唄』もあるのだが、面白いことに『江戸子守唄』は東京だけでもいくつかのバリエーションがある。

「起き上がり小法師に豆太鼓」の「豆太鼓」は「振り鼓」になることもあるし、「起き上がり小法師に豆太鼓」の歌詞のあと、

ころころ山の兎は なぜにお耳がなごござる
親のおなかにいる時に 枇杷の葉食べてなごござる
明日は疾(とう)からおひんなれ
赤の飯(まんま)に魚(とと)添えて
ざんぶざんぶと上げましょう
ねんねん ねんねこよ

と続くものもあって、ユーモアがあって物語性もある子守唄の表現の豊かさに驚かされる。

さすがにすべてを紹介することはできないから、他の地域の子守唄もいくつか紹介しよう。歌詞から土地の風景が浮かびあがってくるように感じないだろうか。

山形

ねんねんころころ 酒屋の子
酒桶かっくり返して呑みたがる
俺ら家(え)の坊やを誰泣かせた
誰も泣かせねいで独(おと)り泣く
おとりで泣くものなじょされべ
なんばの葉で擦すくったら
なんぼ辛(から)かんべえ
ほださげ 泣かねて 眠らっしゃい

新潟

ねんねんおころり ねんねしな
坊やはよい子だ ねんねしな
ねんねのお守はどこへいった
あの山越えて里へ行った
里のみやげになにもらった
でんでん太鼓に笙の笛
その笙の笛 だれが吹いた
寺の和尚さんが吹いたのよ
寺の和尚さんなにしてた
立ったり座ったり お茶煮てた

島根

ねんねこせえ ねんねこせえ
ねんねこしたなら餅(あんも)やろ
隣のおばばが摘んできた
蓬(よもぎ)の餅(あんも)は甘いあんも
ねんねこしたならあんもやろ
ねんねんせ ねんねんせ

京都

ねんねなされ お休みなされ
明日は一日 宮参り
宮へ参ったらなんと言(ゆ)て拝む
親の言(ゆ)たよに言(ゆ)て拝む
親はなんと言(ゆ)た忘れてしもた
一生この子がまめなよに

愛媛

ねえんねえんねえんや
ねんねこ たつねこ やぐらねこ
やぐらの下には子がねとる
おこしておくれな大工さん
おきりゃ 乳じゃの飯じゃのと
親には仕事をさしゃさんせ

熊本

坊やはよい子だ ねんねしな
坊やのお守はどこへ行た
あの山越えて里へ行た
里の土産はなになにぞ
一に香箱 二に鏡 
三で薩摩の板買うて
板はけずりて門たてて
門のまわりに杉植えて 
杉の緑に鳴く鳥は
雁か水鳥(すいしょ)か鵜の鳥か
通って見たれどすいしょ鳥

詩人・北原白秋が書いた子守唄

じつは北原白秋も子守唄を作詞している。

有名な歌なので知っている人も多いだろうが、せっかくなので紹介しよう。

『ゆりかごのうた』 北原白秋作詞・草川信作曲

ゆりかごの歌を カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごの上に 枇杷の実が揺れるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごのつなを 木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
ゆりかごの夢に 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

あの曲もこの曲もぜんぶ子守唄

日本の子守唄は、江戸時代から「寝かせ歌」「目覚め歌」あるいは「遊ばせ歌」に分類されてきた。「寝かせ歌」はその言葉通り、我が子を眠らせようと子供を抱いたり身体を撫でたり、リズミカルに体を叩きながら歌う子守唄のこと。江戸子守唄が代表的だ。

「目覚め歌」と「遊ばせ歌」は子供が眠りから覚めて機嫌の悪いときや、遊ばせる目的で歌う子守唄のこと。童謡の多くがこのタイプに入る。新しい日本の子守唄なら「ぞうさん」「七つの子」「犬のおまわりさん」「どんぐりころころ」「おうまの親子」などテレビやラジオから流れてきたり、幼稚園や学校でみんなと一緒に覚えた人もいるだろう。

子守唄・わらべ歌・童謡は何がちがうの?

簡単に説明すると「わらべ歌」とは昔から子供たちに歌われてきた歌のこと。子供のために歌って聞かせる歌もわらべ歌だ。「童謡」は子供たちによって自然に作られて歌われる歌で、子供の自作の歌や詩も含んでいる。

江戸時代以来、童謡は「わらべ歌」を意味していたが、大正時代に「童謡運動」が起こってからは「わらべ歌=伝承童謡」「新しい童謡=創作童謡(あるいは芸術童謡)」と呼ぶようになったりと少し複雑な経路をたどることになる。

呼び名はなんであれ、子供が歌い、親が子を想って歌われてきたことに変わりはない。子供をおどかしたり、笑わせたりしているうちに母親もついついつられて眠ってしまう。歌詞のおもしろさや、言葉のリズムにつられて幸せな気持ちになれる。そうした安らかな日々を支える不思議な力こそが、子守唄の魅力なのだ。

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◆参考文献:
北原白秋編(1947)『日本伝承童謡集成 第一巻 子守唄編』、三省堂

藤原 良雄編(2005)『別冊「環」10 子守唄よ、甦れ!』、藤原書店

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。