Culture
2019.10.26

歌と踊りと絶品ご飯!アイヌ文化と沖縄文化の祭典「チャランケ祭」の楽しみ方

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今年も沖縄人(ウチナンチュ)とアイヌの祭典「チャランケ祭」が開催されます! 東京都中野の地で1994年にはじまったチャランケ祭は、今年でなんと26年目。94年当初から、アイヌ舞踊と沖縄伝統のエイサーを中心とし、日本中、また世界各地の民俗芸能が披露されてきました。踊りや歌の合間には、アイヌ民族の祈りの儀式「カムイノミ」や、沖縄県に伝わる祭の儀式「シタク」も行われます。そしてもちろん、普段はあまり食べられないアイヌ料理や沖縄料理の出店も!2019年11月3日〜4日、今年も視覚、聴覚、味覚、そして体中の筋肉が刺激に震える2日間がやってきます!

しかしそもそも、なぜ沖縄とアイヌなのか? そしてなぜ中野なのか? 毎年楽しみにしている人でも、始まりの話を知らない方は多いハズ。そこで和樂webでは、祭のキーマンお二人にインタビューを申し込み、お話を聞かせていただきました。

会長と実行委員長の熱い思いに魅了される3時間

中野の沖縄料理店で私を出迎えてくれたのは、ウチナーグチが心地よい、茶目っ気たっぷりの会長と、ギター片手に熱い歌を歌い上げる実行委員長。

会長の金城吉春(きんじょう・よしはる)さんは、94年当初の祭の発起人の一人であり、沖縄県の伝統芸能「エイサー」や三線の名手でもあります。チャランケ祭では65歳の現在でも、現役バリバリの地揺(じかた)です。

一方実行委員長の上里尭(うえざと・ゆたか)さんは、今年で委員長歴3年目。幼い頃から祭に携わり、チャランケ祭と一緒に育ってきたといいます。アイヌ料理店と金城さんの経営する沖縄料理店で働くかたわら、ご自身で音楽活動もされています。

5分も話せば昔馴染みの大好きな人と話をしているような気分なってしまう、大変不思議なオーラを持ったお二方でした。チャランケ祭の魅力はもちろん、主催者のお二人の熱い思いに胸が震えっぱなしだった、3時間ロングインタビューをお届けします。

アイヌ舞踊にエイサー、そしてマオリも出演!

ーまず最初に、お祭りの概要を聞きたいんですが、毎年だいたい、何団体くらい出場するんですか?

上里:15,6組くらいですかね。

ーみんなアイヌ舞踊か、エイサーを踊るんですよね?

上里:いや、そんなことないですよ。今年はアイヌが2組、それから小学校と保育園の団体がアイヌ舞踊を披露します。それから沖縄のエイサーが今年は8,9組かな。あとは「森の踊り衆」っていう日本各地の伝統芸能を継承している団体があるのと、韓国の団体もいますし、今年はニュージーランドのマオリ族も有名な「ハカ」を披露してくれます。

ー基本的には、踊りが中心なんですね。

上里:そうですね。踊りじゃないのは、カムイノミっていう、アイヌの神への祈りの儀式と、あと旗あげ、旗おろしは全員でやりますね。


カムイノミの様子。

ー旗あげ・旗おろしは金城さんの故郷に伝わる儀式なんですよね?

金城:そう、本当は大綱曳の時にやるんだよね。東西に分かれて、一年間の豊年満作を自慢しあうの。(出身地の)南風原町(はえばるちょう)の後ろには首里城があって、昔は年貢を納めてたから、稲で編んだ綱を引っ張りあって、「今年はうちのがたくさん穫れた」とか自慢する祭。その祭の最初と最後に旗あげと旗おろしがあるんだよね。

—来場者が参加できるプログラムもありますか?

上里:みんなで踊る演目もありますよ。沖縄だと、「くいちゃー」っていう宮古島の踊りはみんなで踊るし、エイサーでも輪踊りがあるし、あとアイヌは最後の「ポロリムセ」っていうのが輪踊りですね。あと「パッタキウポポ」っていうバッタの踊りも。

ーそれ見たことあります! 中腰でぴょんぴょん跳ねる、かわいらしいけど大人にはキツイっていう踊りですよね。(笑)

金城:そう、おもしろいよね。昔北海道に、バッタがわーっと大量発生したことがあるらしくて、その時のことを踊りにしてるらしいんだよね。アイヌはほら、文字がなかったじゃん、だから物語とか神話が全部踊りや歌になってずっと語り継がれてるの。おもしろいよ。


アイヌ舞踊「リムセ」

「上」とつながる瞬間、泣けてくる

—チャランケ祭の「ここだ」っていう見どころはありますか?

上里:クライマックスっていう意味でいうと、やっぱり旗おろしの時の「シタク(※1)」ですね。夕暮れ時の空がちょうど暗くなる時間帯に、沖縄側の大将として(金城)吉春さん、アイヌ側の大将として(浦川)治造さん(※2)が台に乗って運ばれてきて、にらみ合うんです。その間ずっと太鼓が一定のリズムを刻むんですけど、それだけで厳粛な空気が流れる。それで二人が台の上で立ち上がった時、太鼓が一気に止むんです。その静寂の中、女性の「綱曳歌(つなひきうた)」っていう歌だけが響くっていう。

—わあ、すごそうですね。

上里:僕は前で棒持ったりしてるんですけど、あれは特別な時間ですね、長いような短いような。

—台に載ってる時、何か感じたりしますか?

金城:俺は、治造さんの目をずっと見てるじゃない? で、向こうは向こうでガンつけてくるんだけど、なんだか、涙が出てくるんだよね。泣けてくるの。それがなんでだか今までずっとわかんなかったんだけど、「上」とつながるからだってやっと気づいた。最初に「カムイノミ」やって、それが最後にシタクをやって(完成する)。

上里:あの瞬間に思うことって人それぞれだと思いますけど、見てる人はただ単にあの厳かな雰囲気に飲まれて泣いちゃう人もいると思うし、台支えてる人は、重すぎて泣いてるかもしんないし。(笑)

金城:ブルブル震えてな。(笑)

※1 シタク・・・旗おろしの最後に行われる儀式。東西に分かれたチームの大将が竹で組まれた台に立ち、にらみ合う。大将の乗った台を支えるのは人間の力のみなので、重い上に危ないとのこと。

※2 浦川治造(うらかわ・はるぞう)さん・・・アイヌの著名なエカシ(長老)。北海道浦河町出身。40代で関東に移住し、現在も関東で活動するアイヌのリーダーの一人として活動している。アイヌ文化奨励賞受賞者。東京アイヌ協会名誉会長。


シタクの様子。琉装に身を包んだ金城会長。

アイヌ舞踊の名手と、エイサーの名手が中野で出会った!

—祭がはじまった94年当初のお話を伺いたいんですが、どんなきっかけがあって、沖縄とアイヌの祭をやろうという話になったんですか?

金城:当時俺は、世田谷区の和光小学校で上級生にエイサーを教えてたんだけど、その時ちょうど(アイヌの)広尾さんも下級生にアイヌの踊りを教えにきてたの、それでその後(打ち上げの)焼肉屋で隣の席になって(仲良くなった)。最初(広尾さんのことを)ウチナンチュだと思ったの。(笑)そしたらアイヌだって言うんだよ。その後、(中野北口広場でやっていた)エイサーの練習を広尾さんが見に来て、ただの広場で、照明も何もないとこだったけど、それでいいから一緒に踊りたいって言ってきて。

左手前が広尾さん。右奥にいるのは、若き日の会長・金城さんです。

—広尾さんは何者なんですか?

上里:広尾さんは、当時いろんな小学校とか保育園とかでアイヌ舞踊を教える活動をしてたんですね。

—アイヌ舞踊の名手と、エイサーの名手が運命的に出会っちゃったんですね。

金城:俺は元々は「ゆうなの会」(沖縄県人の市民団体)とか(沖縄県人会の)青年部で踊ってたんだけど、そういう会だと他にしなきゃいけないことが多いの、新聞発送とかさ、総会の最後に踊るんだったのに、会が長引いて結局踊れなかったりさ。(笑)だから俺は独自に、エイサーだけに集中できる会を作りたいと思って、「東京エイサーシンカー」っていう会を作ったの。それと広尾さんとの出会いがちょうど重なって、じゃあ祭やろうっていうので始まったのが「チャランケ祭」。

歌や踊りは人類共通の文化

—チャランケ祭を知らない人は、「北と南の文化は全然違うはずなのに、なんで一緒に祭を?」って思うと思うんです。

上里:「北」と「南」って言い方をすると、北海道にいるアイヌと、南にいた沖縄が中間の東京で出会ったってニュアンスだと思うんですけど、元々関東にいるアイヌも、沖縄人もいて、この祭は彼らの祭なんですよね。両者とも関東で生活していて、いろんな摩擦を受けながらも寄り添って踊りをやってたコミュニティっていうのがあって、それが出会ったってことが大事なんだと思うんです。

ー同じような境遇下に置かれていた人々、あるいは同じような生きにくさを抱えていた人々が共鳴したってことですよね。

上里:アイヌも沖縄も、関東で差別されたりとか、生きづらい思いをされてきた方たちだと思うんですけど、そういう人たちが、それを怒りに転化するのではなく、文化を通じて自分たちが生きれる場所を作ってきたってことだと思います。

金城:俺は文化(が共鳴した)だと思うね。歌ったり踊ったりする文化が集まったってことだと思う。きっかけはアイヌと沖縄かもしれないけど、(アイヌ・沖縄だけじゃなく)もう人間の根っこですよ、それはみんな同じなんだと思う。

中野はカオスが許される自由な街だった

—祭の場所は、なぜ中野だったんですか?

金城:当時は東中野に「郷土の家」っていう地方出身者のより集まるとこがあったの、ウチナンチュだけじゃなくていろんなとこからさ、中国からの人も集まってて。俺の古典(舞踊)の先生もみんなそこの出身なの。その流れで、そこの出身者が中野や高円寺に店だしたりしてて。だからウチナンチュが多かった。住みやすかったんじゃない?

上里:かつ、中野には北口広場っていうのが当時あって、そこは太鼓叩けたんですよね、夜まで。

金城:駅前でね、苦情もなかった。

中野北口広場での祭の様子。

上里:昔は管轄が区なのか都なのかが曖昧だったらしくて、苦情があったとしても、それを聞き入れる窓口がなかったらしい(笑)あと木もたくさん生えてて、ちょうどよく音も遮られてたのか・・・わかんないですけど(笑)エイサーだけじゃなくて、サックス練習してる人もいたし、当時はいろんな人いましたね。

ーそういうカオスが許される自由な空間て、貴重ですよね。

アイヌと沖縄から日本中、世界中に! ご縁でつながる輪を大事にしたい

—中野にウチナンチュが多かったということですが、中野のウチナンチュの集まりが、アイヌを中野に招待する形でチャランケは始まったんですか。

上里:いやでも、その前から、当時「ゆうなの会」が主催してた祭には(アイヌも)出てたし、韓国もでてたし、つながりは元々あったんですよね。

—韓国の団体も、もう最初から出てたんですか

金城:1回目は出てないかな。でもファンさんなんかはさ、やりだすと止まらくてずーっとやってたよ。

上里:ファンさんて、韓国の伝統的な農民の踊りをやってる方なんです。もう70歳ですけど、鉦(どら)とか、チャンゴっていう朝鮮に伝わる太鼓をずーっと叩くっていうのを、今も現役でやってますよ。

—70歳で!すごいですね。チャランケ祭ははじめから多彩な文化に包まれてたんですね。

上里:そうですね、沖縄とアイヌが中心になってはいるけど、それだけじゃないですね。今年はマオリが来てくれるんですけど、オーストラリア先住民のアボリジニが出てくれたこともあります。何年か前は、フィンランドのグループと人を介して知り合いになって、急遽飛び入り参加で歌ってもらったこともあるんです。そうやって、見てくれてる人たちから輪が広がったりもするんですね。そういうのは大事にしていきたいですね。

世界の人が文化や踊りを通じて繋がっていく架け橋に

——チャランケ祭というと、沖縄&アイヌという印象が強いと思うんですが、韓国・マオリ・アボリジニ・フィンランド・日本の伝統芸能と、かなり多文化ですよね。これからも世界中、日本中とつながっていこうという展望をお持ちなんですか?

上里:そうですね、でもただ呼ぶっていうよりは、やっぱりつながりがあるところを大事にしたいです。人気のグループに固執して追いかけるよりは、血の通った人間同士のつきあいがあるとこと、人と人がつながるっていうご縁を大事にしていきたいですね。

金城:祭で掲げてる旗に、「萬国津梁(ばんこくしんりょう)」っていうのがあるの。意味は、全ての国の架け橋ってことで、これは尚巴志(しょうはし)が琉球王朝時代に三山を統一した時に、「これからは戦の時代ではない。侍たちは刀を捨てて、腰に扇子を挿して、萬国津梁の元に世界に出かけて行く」って言ったのね、それで他所の国が来た時はもてなす、出かけていったら文化を持ち帰るってことをしたんだよね。チャランケはそれをテーマにしてる。これもたまたま知り合いが上げてた旗で「かっこいいな」と思った旗があって、チャランケでも上げてくれって頼んだのがはじまりで、俺も意味知らなかったんだけど(笑)

でも今アイヌがすでに、世界中で招かれて踊りや歌を披露しにいってるじゃない?これは萬国津梁だって思うんだ。チャランケはそういう風に、世界の人が文化や踊りを通じて繋がっていく架け橋になればいいと思うよ。

チャランケ祭の楽しみ方:踊りに歌、アイヌ料理に沖縄料理!

—最後になりますが、チャランケ祭は、アイヌや沖縄の文化を全く知らずに行っても大丈夫ですか?

上里:もちろん。こんなにいい祭が、ずっと続いてきてる祭があるのに、中野区民でも知らなかったりしますから。ぜひみんなに来てほしいですね、入場無料だし。(笑)文化とか、民俗とか、そういう難しいことの前に、他で見られないような面白い踊りや歌があったり、あとはご飯の出店もあって、アイヌ料理とかは普段あんまり食べれないと思うんで、楽しんでほしいですね。文化を知るっていう意味でも、聞いたり読んだりするより、踊って歌って、五感を使って感じてもらいたいです。もちろん、「文化交流ブース」もありますから、興味があれば詳しいことはそちらで見ていただいたら(知見が)広がると思います。

踊りは人と宇宙をつなぐ

「祭は天と地を継ぐ、踊りは人と宇宙を継ぐ」これは、毎年チャランケ祭が掲げているコピーです。金城さんと上里さんは、チャランケ祭の最大の魅力を「会社や行政がやるのではなく、市民団体、もっと言えば参加者みんなで作り上げる祭だということ」だといいます。仲間で作るから、人のつながりが自然に生まれ、祭への愛情が生まれ、それが後世に継承されていく。チャランケ祭は人と人がつながり、共に歌い、共に踊り、共に祈ることで、天と地を含んだ宇宙が一つになる祭なのかもしれません。今年はラグビーで有名になったニュージーランド先住民族のマオリ族も駆けつけ、日本列島の枠を越えた多文化共演となります。参加団体は全部で15組!朝から晩まで続きますから、どうぞお誘い合わせの上、心と体が震える2日間をお楽しみください!

金城吉春(きんじょう・よしはる)
1954年生まれ。沖縄県南風原町出身。チャランケ祭実行委員会会長。中野新道エイサー地揺(じかた)。中野沖縄料理あしびなー店主。1980年に上京し塗装工として働きながら故郷を思い出し三線を弾くようになる。沖縄出身者の「ゆうなの会」をきっかけにエイサーに取り組み、その後、東京・ 中野を拠点に活躍。踊り、歌、祭り、沖縄料理、それらを通して様々な人々の間に多くの縁を生み続けている。

上里尭(うえざと・ゆたか)
1992年生まれ。東京都中野区出身。チャランケ祭実行委員長。沖縄出身の父と、東京出身の母のもとに生まれ、幼い頃より中野に根付いた沖縄文化に触れて育つ。現在はアイヌ料理屋と沖縄料理屋で働く傍ら、ギターの弾き語りなどによる音楽活動をしている。長野県「りんご音楽祭」に出演するなど、音楽祭やライブハウスにて活躍の場を広げ、その実力を発揮し続けている。

第26回チャランケ祭概要

日時:2019年11月3日(日)〜4日(月・祝)※雨天決行
時間:12:00〜19:00(11/3)10:00〜17:00(11/4)
場所:中野区役所前広場 ※入場無料
公式サイト:https://charanke.jimdo.com

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。