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2019.11.08

うちの子の七五三はいつ?何を着ればいい?基礎知識から由来・歴史までこれを読めば解決!

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子どもの成長を祝って神社や寺を詣でる日本の伝統行事「七五三」。今は全国で行われていますが、もともとは江戸やその周辺地域のみで行われていた儀式でした。

気になるのは、自分の子がいつ・どのように七五三をお祝いすればいいのかということ。2020~2021年に七五三を迎える子の生まれ年や、お参りに適した日程、着物に関してご紹介します。また、意外と知らない七五三の歴史や由来についても詳しく解説します!

七五三はいつするの?

まずは、いつ七五三をお祝いするのかについてご紹介します。

2020~2021年に七五三を迎える子

七五三を行うのは、男の子が5歳、女の子が3歳と7歳です。本来数え年で行いますが、現在は満年齢で行われる場合がほとんど。また、男の子は3歳と5歳に2度七五三を行う場合もありますが、これは地域や風習によって異なります。以下に2020年・2021年に七五三を行う生まれ年を記載しました。

2020年(令和2年)
3歳:2017年(平成29年)生まれ
5歳:2015年(平成27年)生まれ
7歳:2013年(平成25年)生まれ

2021年(令和3年)
3歳:2018年(平成30年)生まれ
5歳:2016年(平成28年)生まれ
7歳:2014年(平成26年)生まれ

早生まれの子はどうする?

早生まれの子は、学年ではなく生まれ年に従ってお祝いします。ただし、同級生やきょうだいと一緒にお祝いしたい場合は、ずらして行っても問題ありません。

特にきょうだいが多いご家庭は、臨機応変に日取りを決めるといいでしょう。

数え年とは?

 
生まれた年を「1歳」とする年齢の数え方を「数え年」といいます。そして、その後は元日を迎えるごとに1年ずつ歳を取っていきます。例えば、誕生日が12月31日の場合、翌日の1月1日には生後2日でも「2歳」。誕生日が1月1日の場合、2歳になるのは次の年の1月1日になります。

数え年で七五三を行う場合は、数え年3歳=満2歳の年、数え年5歳=満4歳の年、数え年7歳=満6歳の年となります。

七五三の日程

七五三は、毎年11月15日です。当日にお参りするのが難しいことも多いため、現代では10~12月の都合が良い日にお祝いします。

そうはいっても、10月のはじめ頃はまだまだ暑い日も多く、厚手の着物は子どもにとって負担です。反対に12月も半ばを過ぎれば、寒さに震えるような地域もあるでしょう。場所にもよりますが、暑くも寒くもない11月中がおすすめです。混雑を避けるなら、写真撮影だけ早めに済ませてもいいでしょう。

なぜ日程は11月15日なの?

七五三を11月15日に祝うようになった由来にも諸説があります。

収穫祭を由来とする説

満月であるこの日に、日本各地で収穫祭が行われていました。旧暦の11月は、収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになりました。
 
江戸時代に入ると、作物の収穫だけでなく、子どもが無事成長したことに感謝しながら、さらなる繁栄と安寧を祈願するという神事が行われるようになりました。  

陰陽道や鬼を由来とする説

旧暦の11月が、陰陽道の「一陽来復(冬が去り春が来る、つまり難が去って良いことが始まる)」といわれる縁起の良い月だからという説。さらに、11月の15日は、鬼が出歩かないとされる「二十七宿の鬼宿日(きしゅくにち)」にあたり、婚礼以外のお祝いには吉日とされていたからという説があります。

徳川綱吉の息子の健康を祝って行われた儀式を起源とする説

天和元(1681)年11月15日、江戸時代の五代将軍・徳川綱吉(とくがわ つなよし)の長男・徳川徳松(とくがわ とくまつ)の健康を祈った儀式が起源とも言われます。徳松は幼い頃より体が弱かったため、5歳まで無事に育ったことが喜ばれ、祝い事を行ったのだそうです。しかし残念ながら、徳松は天和3(1683)年、5歳で夭折しました。

七五三の服装:子ども編

主役の子どもたちは、どのような衣装を着ればいいのでしょうか。

3歳の衣装

3歳の女の子は「被布(ひふ)」と呼ばれる、着物の上に袖なしの羽織をかけるスタイルが一般的です。3歳の女の子で大人のような帯付きの着物を着用することもありますが、長時間帯を締めるのは小さな子には大変なので、被布を着用することが多くなりました。

男の子が3歳の七五三の衣装を着る場合も、女の子と同じように被布が人気です。そのほか羽織や陣羽織、裃(かみしも)なども着用します。和装はお手洗いや汚れが気になるようでしたら、スーツなどの洋装でもいいでしょう。

5歳の衣装

5歳の男の子は、長着・羽織ともに黒の「紋付袴」が正式な衣装とされています。ただし最近では黒にこだわることなく、自由な色や柄でコーディネートを楽しむのが一般的で、羽織を着用しない場合もあります。正式には家紋を入れますが、これも入れなかったり、家紋がわからなければ「通紋」を貼り付けてもらったりすることもできます。

7歳の衣装

7歳の女の子は、大人と同じように「四つ身」の着物を着用し、帯を締めます。しかし、まだまだ着崩れせずに1日過ごすのは難しいお年頃です。着崩れする前に写真撮影を済ませておくといいでしょう。

七五三は、子供の成長に感謝し健康を祈る行事

近世までの日本は「七歳になる前の子は神の子」と言われるほど乳幼児の死亡率が高かったのです。そのため、7歳までは当時の戸籍である人別帳(にんべつちょう)や氏子台帳に登録されず、死亡しても死亡届を出す必要がないほどでした。死亡率の高い乳幼児期を無事に乗り切って成長したことへの感謝と、これからの末長い健康を祈って神社にお参りに行ったのが七五三の始まりとも言われています。

楊洲周延「安津末風俗 十一 宮詣」  国立国会図書館デジタルコレクション

男児(5歳)が女児(7歳)よりも早く祝うのは、男の子が後継者だったという意味もありますが、医療技術が発達する現代までは、女児よりも男児の死亡率が高かったためです。また、暦が中国から日本に伝わった時に、奇数は陽数、偶数は陰数と伝わり、奇数の歳の方が縁起が良いとされていたため、という説もあります。

もとは3つあった七五三のお祝い

現在では「七五三」は一つの行事だと捉えられていますが、昔は3歳、5歳、7歳に行う「髪置(かみおき)」「袴着(はかまぎ)」「帯解(おびとき)」という、それぞれ別の儀礼がありました。この三つを合わせて「七五三」と呼ぶようになったと言われます。いずれの儀礼においても、髪型や衣服の型の変化によって、周囲に子どもがある一定の年齢にまで成長したことを示しました。そして、将来、社会を支える一員になることを確認するという重要な意味もあったのです。

この三つそれぞれの行事について解説します。

髪置

江戸時代は、男女児ともに数え年3歳(満年齢で2歳になる年)になると「髪置」を行いました。当時は、髪を剃っておくと病気の予防になったり、健康な髪が生えてきたりすると言われており、3歳までは男の子も女の子も髪を剃る風習がありました。それを終えて、男の子は髪の毛を結うために、女の子は髪をきれいに伸ばすために3歳の誕生日に行われた儀式が「髪置」です。

当時の「髪置」は、子どもの健やかな成長や長生きを願って行われていたと言われています。髪の毛が真っ白になるまで長生きするようにと願いを込めて、白髪をイメージした綿帽子を子どもの頭にのせるということも行われていたそうです。

袴着

数え年5歳(満年齢で4歳になる年)には、大人への第一歩として男児が初めて男児が袴を着用し始める「袴着」の儀式を行いました。「袴着」を経て、男児は羽織袴を着用にするようになります。

「袴着」は、元々は平安時代の宮中のみで行われていた儀式でしたが、次第に広がり、武家、庶民の間でも行われるようになりました。

帯解

数え年7歳(満年齢で6歳になる年)には、それまで紐付きの着物を着ていた女児が、初めて大人の装いである丸帯をつける「帯解」という儀式を行いました。「帯解」を経て、女児は社会から認められ、大人の女性の第一歩を踏み出すのです。

当初は、男児、女児ともに「袴着」「帯解」の両方の儀式を行っていたようですが、江戸時代頃から次第に変化し、男児は5歳の時に「袴着」を、女児は7歳の時に「帯解」を行うという形となりました。

歌川広重「江戸名所 浅草東御門跡」 国立国会図書館デジタルコレクション

今の七五三は、江戸時代に商業政策として始まった

「髪置」「袴着」「帯解」といった子供の年祝いは、古くは中世の公家日記などにも見えますが、江戸時代になると庶民の間でも行われ、七五三と称されるようになりました。江戸中期、呉服屋がこの3つの行事を商業政策として取り入れ、一つにまとめ、江戸の町で宣伝しました。これが今日の七五三の原型だと言われています。そして武家や有力商人などの間で流行したものが、明治以降、庶民に普及しました。

商家では、着飾った子どもたちに母親や叔母たちが介添えをし、乳母や丁稚小僧、出入りの職人や鳶などがうち揃って産土神(うぶすながみ)にお参りに行きました。その後は親戚の家々にご挨拶まわり。夜は知人を招いてお祝いの宴席です。

江戸時代は、疱瘡(ほうそう)や怪我で、子どもが亡くなることが少なくありませんでした。子どもが無事に成長して節目を迎えることができるのは、親にとっては何よりの喜びであったことでしょう。
 

歌川豊国(三代)画 「七五三祝ひの図」 東京都立中央図書館特別文庫室蔵

七五三では着飾った子どもを連れて各所の神社に参詣しますが、特に神田明神は賑わったようです。お宮参りの際、女児は裾の長い着物を着たので、図のように父親や出入りの男性に担いでもらいました。着物は、腰上げをしていない四尺(120㎝)もあるものを着ました。右図には、女性の後ろに付き添う少年の手に千歳飴が見えます。

千歳飴にこめられた願い

七五三では、千歳飴を食べて祝います。この千歳飴が作られたのも江戸時代のことです。千歳飴は、精製した白砂糖を練り固めて作った太白飴(たいはくあめ)を細長くし、紅白それぞれの色で染めてあります。鶴亀や松竹梅などの縁起のよい図柄が描かれた袋に入れられた千歳飴には、子どもが元気によく成長するように、そして長生きするように、という親の願いが込められているのです。

▼千歳飴について詳しく知るならこちら!
七五三より歴史の古い「千歳飴」。細長い形や袋の意味、起源、作り方など秘密をたっぷり紹介!

七五三では、子供の成長に感謝しましょう

七五三は、子どもの成長の節目に氏神を参拝して守護を祈るとともに、神からも地域社会からも社会的人格を承認される通過儀礼でもあったのです。

最近は、七五三が11月15日前後の週末に行われたり、著名な神社への参詣が集中したりするなど、本来の意味が変化し「晴れのイベント」として楽しまれるようになりました。しかし、子どもが無事に育っていることに感謝し、いっそうの成長を願う親の気持ちは、いつの時代になっても変わりません。

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。