鬼ごっこ。その言葉の響きに郷愁を誘われるかたも多いのではないだろうか。心のままに生き(てはいなかったかもしれないが)、近所迷惑という言葉も知っていても知らぬ振りをして許され、子供のやることですから、と失敗も大抵は許され、甘やかしてくれる祖父母は存命で、体調が悪ければ存分に休め、将来の夢はどこまでも自由で――なんだか悲しくなってきてしまった。ともかくそんな子供時代を思い起こさせる、楽しい遊びが鬼ごっこである。
あれから40年(かどうかは秘密だが)。大人になってしまったあきみずはふと考えるのである。「鬼」ごっことは何ぞや。なぜ節分で追い払われ、桃太郎に退治される「鬼」たちを真似た遊びを子供がするのか。
調べていくと、鬼とは何か……と考え込んでしまうようなエピソードが出てきたのである。
鬼ごっこの種類
鬼ごっこ、とひと口に言っても、様々な種類があるらしい。どころか、日本全国の鬼ごっこを集めていくと250種以上、「鬼遊び」という鬼ごっこを含む広いカテゴリーで数えると2000種類以上にもなるとか。
代表的と思われるものを数種類紹介していこう。
いわゆる「鬼ごっこ」
メンバーの中から1人「鬼」を決め、それ以外のメンバー「子」は一定時間内に逃げる。一定時間を過ぎると「鬼」が追いかけはじめ、「鬼」にタッチされると鬼役が移動する。○○鬼、と呼ばれる遊びはこれを基本ルールとしているものが多く、ここにそれぞれ独自のルールが付加される。
鬼ごっこ遊び全体に通じることだが、鬼役の移動の把握も重要で、子の振りをして近づいてきた鬼にまんまとタッチされることもある。逃げ切る体力と同時に心理戦もカギとなってくる、なかなかにハードな遊びである。
隠れ鬼
鬼ごっこにかくれんぼの要素を追加したもの。鬼は隠れた子を探していくが、発見してもタッチするまで鬼役は移動しない。
いろ鬼
メンバー内で決めた特定の色に触れていれば、鬼に捕まらないもの。鬼役の移動時と、全員が指定の色に触れられている場合には、色の変更が行われる。
こおり鬼
鬼に触れられた子がその場から移動できなくなる。鬼役の移動はなく、鬼が子に全員触れることができれば終了となる。捕まっていない子が「凍った」子にタッチすることで、捕まった子も復活できる。
地域によっては、子が自ら「こおり」と宣言して鬼のタッチを避け、捕まっていない子にタッチしてもらうことで復活するルールを持つ場合もある。
しっぽ鬼・しっぽ取り鬼
子が「しっぽ」に見立てたもの(ハンカチ、帽子、縄跳びなど)を腰につけて、数人の鬼がこの「しっぽ」を取っていく。「しっぽ」を取られた子はゲームオーバー、鬼は制限時間内に全員のしっぽを取れば勝ちとなる。
鬼役を設定せず、取ったしっぽの数で勝ちを決めるもの、しっぽを取られても他の子のものを取って自分に付ければ復活できるものなども見られる。
手つなぎ鬼
鬼にタッチされた子が鬼と手を繋いでいく。救済措置はないことが多く、捕まった子も鬼と一緒に残った子を捕まえていく。
影踏み鬼
子の影を鬼が踏むことで鬼役が移動する。細かなルールはバラエティーに富んでおり、地域差も大きい。
現在は日中の太陽光を利用するのが一般的だが、古くは月明かりでできる影で行われることもあった。
高鬼(たかおに)
地域によっては「たかたか」「たかたかとうばん」とも呼ばれる。
鬼よりも高い位置にいれば捕まらないが、その場所にずっと留まることはできず、ある一定の時間が経過すると移動するルールを持つことが多い。
だるまさんがころんだ
子が鬼のいる場所から離れて開始される。鬼は壁や木の幹などに顔を伏せて「だるまさんがころんだ」と唱え、直後に振り返る。振り返った時に動いていた子は捕まって鬼と手を繋ぎ、鬼はこれを繰り返す。
子は鬼が唱えている間(鬼が見ていない間)に少しずつ鬼に近づき、捕まっていない子の1人が捕まった子と鬼の手を切って逃がした瞬間に全員が鬼から走って逃げる。鬼は10秒程度数えてから「とまれ」と声をかけ、子はその場で動きを止める。鬼の10歩以内にいた、最初の子が次の鬼となる。
「坊さんが屁(へ)をこいた」と呼ぶ地方もある。
ケイドロ・ドロケイ
警察組と泥棒組に分かれて、警察組が泥棒組を牢屋に入れていく遊び。泥棒組メンバーは一度捕まっても、捕まっていない仲間がタッチすることによって再度逃げることができる。
鬼ごっこの起源
鬼ごっこには「鬼事(おにごと)」「鬼遊び」「鬼渡し」「鬼かいな」「おについぼ」「おにふくろ」など、いくつかの異名がある。江戸時代後期には「鬼わたし(江戸)」、「つかまへぼ(京都)」、「むかへぼ(大坂)」、「鬼ごと(東北や長崎など)」、「鬼々(仙台)」、「おくりご(津軽)」、「鬼のさら(常陸)」と呼んでいたという記録が残っている。
鬼ごっこの起源は平安時代以前にまで遡るという。
節分の豆まきの原型である「追儺(ついな)」は、人に害をなす悪鬼や邪気・疫病を退散させる祭事であるが、これを鬼ごっこの起源とする考えがある。神楽には圧倒的な力を持つ神が人に害をなす存在を調伏していくストーリーが見られるが、神が出現する前段階で鬼が人に対して横暴な振る舞いをする。この部分を子供たちが模倣したのが始まりではないかというのだ。
恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が考案した、地獄の鬼から地蔵菩薩が子供を守る「比比丘女(ひふくめ)」も平安時代から続くものとされている。鬼役に向き合った親役の後ろに子が縦に長くつながる。鬼は列の最後の子を狙って追いかけ、親は両手を広げて子を守る。鬼に捕まった子は次の鬼となり、鬼役は親役となる、というものだ。
「子を捕ろ子捕ろ(こをとろことろ)」「子捕ろ子捕ろ(ことろことろ)」「子買お(こかお)」「おやとりことり」「ことりおに」「おくまどろどろ」など様々な名称で呼ばれるが、捕まった子が次の鬼となり、鬼が次の親となって子を守る、というのが実に興味深い。それにしても、子を捕る、子を買うなど、名前がおどろおどろしいことこの上ない。
いずれにしても、宗教的発想に起源を持つとするのが主流であるようだ。人身売買や遊郭での遊びを起源とする異説については、俗信であるとの見方が大半らしい。
また、かつては鬼を決める際、じゃんけんなどにはよらず、東京地方の「ずいずいずっころばし」など呪文のようなものを唱えながら順番に巡って、最後に止まった場所で決めていく形式が主流だったという。
しかしそもそもこうした遊びは日本特有のものではなく、中国の「鷹と鶏」、アメリカの「タグ」、ヨーロッパの「狐とガチョウ」など世界各国で見られ、犬や猿などにも似たような遊び行為が見られるというから、根本は生き物の本能に近い部分から発祥したものではあるのだろう。
「オニ」とは何か
では「鬼」とは具体的に何なのだろう。頭に角を生やし、虎のパンツを履いている、あの赤やら青やらの人に似た存在は何者なのだろうか。
「鬼」には3系統あるのだという。
1つは、お寺などでも馴染み深い、地獄に棲む恐ろしい存在としての鬼である。現世において罪を犯した人間に因果応報の責め苦を負わせる存在である。
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2つ目は、人間が怨念や嫉妬などによって鬼に変わったものである。『源氏物語』で六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)が生霊となって葵上を襲ったのも、このタイプにあたる。怖い表情のお面で知られる般若も、女性の怒りや悲しみ・嫉妬などの感情を表したものだ。般若は「鬼嫁」となって現代にも脈々と息づいている。
3つ目は、なんと「神」と対になっているというものである。
「鬼」の字は「カミ」や「シコ」「モノ」とも読まれ、「カミ」は「神」に通じる。古代人は万物に神や精霊が宿るとしたアニミズム的思想を持ち、目に見えるものと見えないものと、人の理解を超えた存在があることをごく自然に受け入れていた。後に目に見えないもの「隠(おん)」が転じて「オン」「オヌ」となり、「オニ」と読まれるようになったとされるが、「カミ」にも「オニ」と同じく目に見えないもの、という意味がある。鬼はたいてい山に棲むが、人に豊穣をもたらす神もまた山に棲み、春、人里に下り、秋、新嘗祭で実りを祝った後は山へ帰還する。一説に、山の精霊や荒ぶる神の別名を鬼といったのではないか、とも言われている。
ちなみに、赤鬼や青鬼など5色の体色は仏教の思想で人の持つ5つの煩悩、角が生えて鬼のパンツを履いている姿は陰陽思想の「うしとらの鬼門」によるものとされる。
鬼はなぜ退治されるか
鬼はどうして昔話などで繰り返し人間に退治されているのだろうか。
これには、人こそが鬼である、と呟きたくなるような理由がある。
鬼とは、朝廷に従おうとしない、権力者の思いのままにならない存在を指すこともあった。
鬼は暴力的で有害な存在であり、人間の持たない宝物をたくさん持っている。しかし最後はいつも人間にそれらを奪われ、服従させられてしまう。
蝦夷(えみし)や隼人(はやと)・土蜘蛛(つちぐも)といった名を付けられた集団は、大和政権にたやすく従わなかったし、彼らの持つ資源や文化は大和にとっても価値があり、脅威でもあった。だからこそ、「滅ぼされるべき存在」とレッテルを貼って反体制勢力の鎮圧を正当化した、というのである。『古事記』にも同様の解釈が可能なエピソードがいくつかあるという。
歴史は善悪や道理の通った物語ではなく、勝者のためのものである、というのをまざまざと見せつけられる衝撃的な説だ。同時に、情報操作の恐ろしさ、与えられた情報を鵜吞みにする危険性など、現代のネット社会にも通じる問題と言えよう。
一方で、現代の作品ではあるが浜田廣介の『泣いた赤鬼』のように、鬼であるというだけで人間から疎外されている赤鬼の悲しみに思いを巡らせた物語が存在するのは、せめてもの救いとなっているように思う。
鬼はどこに……
鬼ごっこのほとんどは鬼に捕まった者が次の鬼となり、元の鬼は子となって何事もなかったかのようにその他大勢に紛れていく。鬼だった者が子を守る立場に回ることすらある。
鬼と人とが容易に入れ替わる――無邪気な子供の遊びに深い意味はなかったとしても、そこに「鬼ごっこ」の、人間の本当の恐ろしさを見るような気がするのだ。